-嫉妬と羨望-
その後、私は城の蔵書室に向かった。
探すものは決まっている。
ツァオベラーの歴史書だ。
私は目当ての本をいくつか手に取ると、それを持って蔵書室のライティングテーブルへと向かった。
私の特異魔法の効果で、目を離すと見失ってしまうという理由で、近衛騎士はずっと私の後ろについている。
とてもやりにくい……が、彼らからしても私から目を離すわけにはいかないのだろう。
何せ、彼らにとって私は得体の知れない人間なのだから。
(早く、身元を証明する術を見つけないと……)
そう思いながら、椅子に座る。
何冊か持ってきた本のうち、その一冊を開いた。
私が手に取ったのは、【ツァオベラーの破滅を招いた女】と書かれた本だった。
最初のページから捲ると、序章──作者の見解と解説から始まり、それを飛ばすと、ようやく本題に入る。
【アグネス・フレンツェル。
ツァオベラー王朝の破滅を招いた悪女であり、ここでは彼女の生涯を記そうと思う。
聖暦368年日1月。
フレンツェル公爵家の娘として生まれた彼女は、しかし稀に見る病弱だった。また、ツァオベラー王朝の象徴とも言える特異魔法も持たなかった。
これが、彼女のコンプレックスに繋がったのではないかと思われる】
私はその本を読み進めていった。
お姉様とフェリックス様が恋に落ちたところなどは完全な捏造と推測交じりだが、私が知りたいのは後半だ。
私が、部屋に篭ってから──今まで、ツァオベラー国には何が起きたのだろう。
なぜ、お姉様は悪女と呼ばれるようになったのだろう。
いつから、お姉様はアーノルドと関係があったのだろう。
この本は、五十年前に記されたものらしい。
恐らく、細かい部分の殆どは真偽不明で、実際とは異なる部分も多いだろう。
私が知りたいのは本筋だ。
なぜ、ツァオベラー王朝が崩壊したのか──。
その時、お姉様とフェリックス様。
そして、お父様とお母様は何をしていたのだろう。
【アグネス・フレンツェルは、妹の婚約者に恋をした。しかし、それは叶わない恋。彼女はフェリックスを諦めきれず、魅了の特異魔法を持つアーノルド・アバークロンビー公爵子息に、自身とフェリックスに魔法をかけるよう言った。魅了の特異魔法を、当時の人々は運命の人だと言い、彼女の目論見通りとなる】
……ここまでは、私も知っていることだ。
問題は、この後。
その後に続く文章を目にして、私は──
【フェリシア・フレンツェルが嘆きのあまり、自殺する】
思わず、叫ぶように言っていた。
「…………はぁっ!?!?」
(私が……自殺!?何がどうなってそんなことになってるのよ!?)
咄嗟に、本を掴む力が強くなる。
ハッとして周囲を見渡すが、幸い私(と私に付く近衛騎士たち)以外にひとはいない。
小さく安堵のため息を吐いた時、恐る恐る、といった様子で背後に立っていた騎士が私に尋ねた。
「どうされましたか?」
「いえ……この本では、私が自死したものだと書かれていましたので、つい」
公爵令嬢としてあるまじき声を上げた自覚はあるので、取り繕うように笑みを浮かべる。
だけど、私はもはや吹っ切れていた。
ここでの私は、フレンツェル公爵家の娘ではない。最初はそれに不安や恐れを感じた。
私が、フレンツェル公爵家の娘ではない、ということは──ここでは、私の身元を保証してくれる人が、家が、ないということなのだから。
突然、ただのフェリシアになったことに困惑した。
だけど今は、意外と──。
(悪くない、のよね。ただのフェリシアというのも)
つまり、今の私は平民のようなもの。
そこまで肩肘張らずとも良いのだと、気が付いたのである。
フレンツェル公爵家の娘だから、決められた道を進む。それ以外は許されず、体裁を保ち、淑女の仮面を貼り付ける。
失敗は許されず、何よりも高いフレンツェルの矜恃を守らなければならない。
私の失敗は、家の恥に繋がる。
私は、家門を背負って日々の日常を過ごしていた。
それがなくなって今は……少し、いや、かなり、気が楽……なのだ。
こんなことを考えてはいけないのだろうけど、ここは、ツァオベラーよりずっと、息がしやすい。
そんなことを考えながら、私は自身の名が記された文章を指先で辿った。
その時、背後に立つ騎士が困惑した声を出す。
「ええ?自死……と書かれているのですか?私は、行方不明になったのだと思っていました」
「そうなのですか?」
振り向くと、若い男性が私を見て、頷いて答えた。
栗色の髪に、頬にはそばかすが薄らと散っている。愛嬌のある、親しみを覚える顔立ちだ。
どちらかというと、可愛らしさを覚える。
歳は、私と同世代だろう。
「……私は、そもそもアグネス・フレンツェルに妹がいたことを知りませんでした」
答えたのは、彼の隣に立つ別の男性だ。
彼も、私に付いている近衛騎士である。
彼は淡々と言葉を続けた。
「ツァオベラーの破滅は、彼女が魅了魔法を行使したことで世が乱れたために、起こりました。それを正すために、アーロン・スペンダーが革命を起こした……私はそう習いました」
彼は黒に近い紺色の髪を後ろに撫でつけ、額が露わになっている。黒縁の眼鏡をかけた青年だった。
彼らの後ろには、もうひとり、男性がいる。
計三人。
それが、私に付いている近衛騎士の人数だ。
青髪の男性に、栗色の髪の彼が言った。
「それは、お前が歴史に興味が無いからだろ」
「アグネス・フレンツェルに関しては、真偽不明のことが多い。最後は発狂死したとか、亡命を図った、とか、心中しようとした、とか。わかっていることは彼女の起こした出来事が原因で、ツァオベラー王朝の崩壊を招いたということだけだ」
「それはそうだけど……。フェリシア様は、アグネス・フレンツェルの妹……なんですよね?アグネス・フレンツェルと、ツァオベラー王朝最後の王太子フェリックスが恋仲だった、というのは真実なのですか?」
栗色の髪の彼が、不思議そうに私に尋ねてきた。