私はあなたを愛せない
私の二つ年上、アグネス・フレンツェルはフレンツェル公爵家の長女だ。
(アグネスお姉様は──)
まるで、【桜のようなひと】。
前世の記憶を取り戻した今だからこそ、私は彼女をそう表現する。
アグネスお姉様は、儚げで、美しく、【佳人薄命】を絵に描いたようなひと。
実際、お姉様は生まれつきの持病があり、病弱だ。
幼少期から、二十歳まで生きられるかどうか……と言われていた。
そして、彼女は現在、二十歳を迎えている。
いつ終わりを迎えるかもわからない命を抱え、お姉様は毎日を必死に生きているのだ。
そんなお姉様を、私はとても心配していたし、慕っていた。
──だけど。
あの日、私は見てしまった。
その時のことに思いを馳せていると、アグネスお姉様が私たちの元に駆け寄ってきた。
雪のように白い髪に、真っ白な肌。
薄青の瞳は、夜明けを知らせる紅翠色の空によく似ている。
どこもかしこも白いお姉様。
汚れを知らない天使のよう、とは誰が言った言葉だっただろうか。
【まあまあ可愛い】程度の私と並ぶと、その差は歴然。
私の薄桃色の髪は珍しいが、ただそれだけだ。同色の瞳も『あら、素敵ね』止まりだ。
少なくとも、私は遠目から見てハッと息を呑むような美少女ではなかった。
おじ様方に囲まれていれば「おやフェリシアちゃん可愛いねぇ!」と言って貰えるだろうが、お姉様が私の隣に来れば、途端、彼らはその美貌に息を呑むことになるだろう。
私も、【可愛い】【可憐】と言った表現が似合う少女ではあると思う。
だけどそれは良くて【上の中】。
お世辞抜きで言うなら【中の上】止まりの娘なのである。
お姉様は、上の上。
まるで──そう、白雪姫のよう。
前世を思い出した私は、彼女の容貌をそう評する。
「フェリ、シアっ」
お姉様は、息を切らして私の名を呼んだ。
少し走っただけで、顔が火照って、息が上がってしまう。
今だって、無理をしているのだろう。
顔が真っ赤だ。
そもそも彼女は、ベッドから出られる日の方が圧倒的に少ない。その彼女が、無理をしてまで、ここまできた──。
そこで、私はハッとした。
ここは、王城の中庭。
王族専用区域の庭だ。
王族の許可を得たものしか、立ち入ることは許されない。
フェリックス様の驚きを見るに、お姉様は……。
(まさか、許可もなく来たの!?)
あまりの行動に驚くやら唖然となるやらで、結果的に沈黙することになった私をよそに、彼女はフェリックス様に抱きついた。
そして、くるりと私の方を振り向いた。
長いまつ毛に縁取られた(本当にまつ毛が長い。恐らくマッチ棒が乗る)瞳をじんわりと滲ませた。
ぽろり、と零れたのは。
「ごめんなさい、ごめんなさい、フェリシア……どうか許して!!」
彼女は、涙を零しながらそんなことを言った。大声で。
(…………は!?)
突然のことにびっくりして何も言えずにいると、お姉様はしゃくりあげながら弁明した。
「わ、私、まさかフェリックス様とっ、運命、だなんて……ッゲホ、ゴホッ!」
「アグネス!無茶をしてはだめだ。大丈夫、フェリシアも分かってくれるはずだよ」
「でも……フェリックス。私は……私は、妹の婚約者を……!っふ、ぅ……っうう」
お姉様は嗚咽をこぼし、その場に崩れ落ちた。
その細く華奢な体を、彼が抱きとめる。
(………私は、何を見せられているのかしら?)
なぜか、私だけが酷く冷静になってしまう。
茶番劇にしか見えないんだけど、空から盥でも降ってくるの??
思わず空を仰いでしまう。
当然、何も無い。
空は綺麗な青である。
爽やかで気持ちのいい青空。
これで「あなたは悪くないよ」「いや私が悪いの」をひたすら繰り返すバカップ……恋人たちの姿がなければ、本当に気持ちがいいくらいなのだけどね!
盥が降ってくるはずがないのに思わず確認してしまったのだから、実は私も冷静にはなれていないのかもしれない。
(どうすんのよこの惨状。
どう収拾つければいいのよ……)
いやいやお姉様の方を見れば、フェリックス様は、お姉様の背をゆっくりと摩っていた。その顔は酷く険しい。
ふと、彼がちらりと私に視線を向けた。
「──」
目が合って、息を呑む。
なぜなら、彼の目は──私を責めていたからだ。
【アグネスがこんなに辛そうなのに、まさか私たちを責めようなんて思わないよな?】
という、無言の圧力を感じる。
お姉様の登場で、私は反論する隙すら与えられなくなった。
「…………」
あの、待って。
もはや突っ込むところが多すぎて、私は思わず『タイム!!』と言いそうになった。タイムって何よ。
前世でよく言ったやつだわ。
ついでに手のひらも併せて前に突き出したい。
混乱した思考の中、ふと、わたしはそこで気がついた。
(……あら?……私、ここまでまともに話せてないんじゃない!?)
唯一話せた文章は、『やめてください!顔を上げてくださいませ!』のみ。
それ以外は、『いえ』と『あの』と『私』の三語だけである。
文章ですらない。
私は無言になった。
(……だいたい、よ?)
フェリックス様は、話があるから、私をここに呼び出したのよね?
もうこの状況で話し合いとか無理でしょ~~……。
だって未だにお姉様、泣いてるし(なんで泣いてんの?)
私は思わずため息を吐いた。
それはかなり小さな吐息だったのだが、お姉様の肩が、びくりと大きく跳ねる。
「ご、ごめんなさっ、フェリシア……!!」
そして、また彼女は泣き始めた。
打たれ弱いのも程々にしてくださる……!?
お姉様は、蝶よ花よと育てられたので、否定されることになれていない。
というか私はまだ否定すらしていないのだけどね。
まともにここまで喋ることすらできてませんからね!!
お姉様の涙交じりの謝罪を聞いてか、フェリックス様が私を責めるように私を睨みつけてきた。
話し合おうという意思を感じないのだけど、話し合いはどこにいってしまったの??
「フェリシア。私は、あなたを愛せない」
奇遇ですね、私もです。