母の呪縛、子の因果
(…………ん??)
今、フェリックス様は、何て?
(王妃として……お姉様を?)
私の聞き間違いでなければ、彼は今、王妃としてお姉様を助けてあげて──と、そう言ったように聞こえたけれど。
流石に。
流石に……聞き間違いよね!?
私は引きつった笑みを浮かべながらも、フェリックス様に尋ねた。
「……失礼ですが、今、なんと?」
「私も、そこまで薄情じゃない」
いけない、会話が成り立たない。
フェリックス様は、物思いに沈んだ様子で、組んだ手の上に額を乗せた。
苦悩しているのがありありと伝わってくる。
「フェリシア。私は、あなたを愛することはできなかったけど、あなたを嫌いになったわけではないんだ」
なんか、言ってる……。
もはや私は、このひととの意思疎通を諦めた。
すごく嫌な予感がする。
なんだ、この自分に酔っているひとは。
運命に引き裂かれる僕……!!みたいなオーラを出しているひとは。
彼の真剣さとは裏腹に、私はどんどん心が冷えていく。
今、フェリックス様が俯いていて助かった。
でなければ、きっと彼は気づいただろう。
今の私が、酷く冷たい目をしていることに。
さながら、先日の、お父様とお話した時のよう。
『お前は、本当に母親そっくりだな……!!』
(……お母様にそっくり、ね)
ふと、なぜか今、お父様の言葉を思い出した。
……私も、お母様のようになってしまうのだろうか。
夫に【いないもの】のように扱われる日々。
お父様は、お母様に対して敵意も悪意もないけれど、関心もない。
まるで、空気のように存在そのものを無視される毎日。
夫の恋人の娘を一方的に敵視し、だけど表立っては何も出来ない。
毅然と振る舞っている振りをして、なけなしの自尊心を必死に守る毎日。
きっと、酷く心がすり減るはずだ。
酷く、疲れるはずだ。
お母様は、怯えている。
いつか、夫に見切りをつけられてしまうことを。
それでも、お母様はお父様を許せない。
だから、お母様はお父様に無言の抗議を長年続けている。
そんな二律背反の感情に、お母様はずっと苦しんでいる。
全てを手放すことも出来ず、かといって受け入れることもできない。
そんなお母様のように、私もなる──。
その想像に、私はゾッとした。
その未来は、あまりにも容易に描けたからだ。
(……嫌だ)
ハッキリ、思った。
ひとの恋愛に巻き込まれて、私が不遇な身の上になるのも。
負の感情をぶつけあって、結果、苦しむのも……どちらも、嫌。
それなら、この婚約は必ず解消しなければならない。
この婚約の未来。私とフェリックス様の結婚に、私の幸せはない。
あまりにも安易に描けた未来予想図に愕然としていると、【可哀想な僕】タイムが終了したのか、フェリックス様が顔を上げた。
「フェリシア?」
奇妙なものを見るような声で名を呼ばれ、私はハッとした。
私も顔を上げる。
視線が交わる。
今の私はよほど、顔が青ざめているのだろう。
フェリックス様が眉を寄せ、言った。
「……体調が悪い?すまない。やはり、あなたは受け入れ難い話だったかな。でも、わかって欲しい。私の運命は、アグネスなんだ」
運命、運命、とそればかり繰り返す私の婚約者。
思わず、カップの中の紅茶を引っ被せたくなった。
その衝動を、懸命にこらえる。
(耐えろ……耐えるのよ、大丈夫。こんなの、前世で対応したクレーマーに比べたら全然マシだわ。人格否定とか殺人予告とかはしてこないし)
前世対応したクレーマー四天王を思い出す。
店内で転んだからと医療費と慰謝料を請求しようとしてきた汚客様(どう見てもご自身の不注意&擦り傷)。
レジ先で水分補給していたら「サボってる!」とクレームを入れてきた汚客様(夏場で数時間水飲むなって言うの??熱中症で死ぬわよ)
完食しきってから「ハンバーグ生だったんだけど!!」と呼び出して、延々怒鳴った汚客様(お前完食してるじゃん)……!!
そしてハッ!!と私はその時、思い出した。
前世の記憶で、新たな事実を。
(私、【声が不快】って理由で「仕事やめろ」って言われたことあったわ……!!)
天啓のように、私は思い出した。
あれは大学生の頃、オペレーターのバイトをしていた時のことだ。
私の声が酷く耳障りで苛立つから仕事をやめろと言われたのだった。
仕事向いてないんじゃない?とも言われ、転職を勧められた。
(社会人経験が圧倒的に不足していた私はどう返答すればいいかわからなくて、結果、『貴重なご意見をありがとうございます』って返しちゃったのよね……。お互いに???ってなったのだったわ……)
前世対応した酷いクレームの内容を思い出していくと、だんだん、気持ちが落ち着いていった。
大丈夫、少なくともフェリックス様は私の人格批判をしないし、誹謗中傷もしてこないし、殺人予告も恐喝もしてこない……。
悪質クレーマーよりはよっぽどマシ、うん。
そう思い込むことで、この衝動をどうにか抑えることに成功した。
フェリックス様が、私を見て苦笑した。
「こんな時でも、あなたはいつもと変わらないんだな」
「──」
目を見開いた。
(だって、感情的になっても、良いことなんて無いじゃない)
『お前は、本当に母親そっくりだな……!!』
また、お父様の声が聞こえてくる。
「あなたも知っている通り、アグネスは病弱だ。彼女に王妃は務まらない」
「…………」
じゃあ、どうすればいいの。
感情に任せて、泣き喚けば良いの?
それで、何を得られると言うの。
むしろ、失うものの方が多いじゃない。
私にだって、ちっぽけで些細ではあるけれど、私なりのプライドがあるのよ。
好きでもない男相手に、泣いて縋るなんて、したくない。
そうやって同情を得て勝ち取った立場に、何の価値があるというの。
何になるというの。
……私は、どうしたらいいの?
ぎゅっと、膝の上に置いた手を強く握る。
思わず俯いた私の耳に、私の婚約者の言葉が無情に響いた。
「だから、フェリシア。あなたが、彼女を支えてあげて欲しいんだ」