93.ブサメン、制裁する
源蔵がいつもの様に一日の作業を終え、そろそろ定時を迎えようとしていた時。
美彩と璃奈が、青ざめた表情で慌てて会議室へと向かう姿が視界に飛び込んできた。
否、ふたりだけではない。
他に何人かの設計担当者が一様に厳しい表情で、同じ室内へと姿を消してゆく。
評価担当の源蔵にはまるで関係の無い話ではあったが、バディ制度でチームを組む美彩が、あんなにも険しい表情を浮かべているのが多少気になった。
(ヤバそうなバグでも出たんやろか)
そんなことを考えながら帰り支度を進めていた源蔵だったが、IDカードで打刻しようとしたところに、不意に声がかかった。
璃奈とチームを組む祐司が、涙目になりそうな勢いで顔を歪めながら、件の会議室から飛び出して源蔵に歩を寄せてきたのである。
「櫛原さん、お帰りになる前に、ちょっとイイですか」
曰く、緊急の開発者会議が開催されており、そこに評価担当も召集されることになったらしい。
場所は、先程美彩と璃奈が相当に緊張した様子で足を運んでいった会議室。
祐司の話によれば、緊急を要する不具合が発見されたらしく、そのデバッグの為に評価担当者を総動員して、真因の追及に当たることになったらしい。
(そんなヤバいバグ出してしもたんかいな)
祐司に案内されるまま、源蔵は大勢の開発担当者が集まっている会議室へと足を踏み入れた。
そして入室するや、いきなり誰かの怒号が聞こえてきた。
良亮だった。彼が美彩と璃奈に、何やら叱責の言葉を浴びせかけていた。
「宮城さんの話によると、上条さんと雪浦さんのモジュールが原因でソフトリセットのループに陥る重大な不具合を引き起こしたらしいんです」
祐司が声を潜めて、そっと耳打ちしてきた。
そのソフトリセットによってシステム全体が起動出来なくなり、原因モジュールの設計を担当した美彩と璃奈を良亮が大勢の開発担当者の前で、まるで吊るし上げる様に叱責しているというのが目の前の光景だった。
彼は激しい口調でふたりを責め続ける。
どうしてこんな不具合を出してしまったのか、一体どんな設計をしていたのか、と。
だが、そのやり方に源蔵は軽い苛立ちを覚えた。
(あのひと……ちょっとモラハラっちゅうか、パワハラの傾向があるな)
少し前までは、美彩と恋人同士だった筈の良亮。しかし元カノに対してもまるで容赦無く、怒声を浴びせ続けている。
まるで自分がフラれたことに対する腹いせの様でもあり、その姿は実に歪で、見苦しかった。
(仕事とプライベートの区別も出来ん上に、こんなパワハラ気質かいな……そらぁ上条さんも、嫌気が差すわな……)
そんなことを考えながら、源蔵は祐司が手渡してきた数ページにも亘るログにざっと目を走らせた。
それにしても、祐司のこの狼狽ぶりは如何なものであろう。
先日の飲み会や弁当披露会に於いて、彼は何とか頑張って美彩を口説き落とそうとしていた筈だ。
しかし元カレの良亮が敵として立ちはだかると、それまでの勢いはすっかり影を潜め、ただただ困惑するばかりである。
惚れたオンナを助けようという気概も無い。
こんなことでは、美彩をモノにするなど夢のまた夢だろう。
源蔵は内心で呆れながら、尚もログを細かく分析し続けた。そして、或ることに気付いた。
(おやおや……宮城さん、他人を叱る前に、まずやらなアカンことがあるやろに……)
やれやれと小さくかぶりを振った源蔵。
そして迷わず手を挙げて、美彩と璃奈を叱責する良亮の言葉を遮った。
「お取込み中のところすみませんが、この不具合の原因は、宮城さんのところにありますよ」
「え……何だって?」
それまで美彩と璃奈をひたすら怒鳴り倒していた良亮だったが、ここで敵意剥き出しの鋭い視線を源蔵に向け直してきた。
が、源蔵は少しも臆することなく、手にしたログの問題箇所を指差した。
「よく御覧になって下さい。ログの2502行目です。ここでタイムアウトによるハートビートが起きてます。このハートビート起こしてんの、宮城さんご担当のモジュールですよね」
「な、何を馬鹿な……」
そこまでいいかけて、良亮の顔が一瞬にして驚愕の色に変じた。
すると、それまで黙って事の成り行きを静観していた課長クラスの人物が、静かに立ち上がった。
「確かに櫛原さんの仰る通りですね……宮城、君はちゃんと、ログ全体を見た上で上条と雪浦のモジュールに問題があると判断したのか?」
その課長クラスの声には明らかに、鋭く斬りこむ刃の様な色が含まれている。
同時に、それまで一方的に美彩と璃奈を叱責しまくっていた良亮は、完全に顔色を失っていた。
彼は己の無能さを露呈したばかりか、元カノとその同僚を無実の罪で激しく罵倒するという余りに痛すぎる姿を、大勢の目の前で盛大に披露してしまった。
恐らく今の良亮は、穴があったら入りたい程の心境であったろう。
それでも源蔵は容赦無く続けた。
「宮城さん、新参者の僕がいうのも何ですけど、ソフト不具合の解析ではですね、他責を疑う前にまず自責を疑えってのは定石中の定石ですよ。そんな基本も蔑ろにして、他モジュールを責めるのは如何なもんかと」
源蔵のその台詞に、他のモジュール開発担当者も一斉に同意するかの様な視線を良亮に叩きつけた。
これは一種の制裁だ。ソフト開発者として、あるまじき態度を取った良亮に対するお灸の様なものだ。
いつもならバグを出してしまった開発者には同情的な心情になりがちな源蔵だが、この時ばかりは良亮を庇う気にもなれなかった。
そして、課長クラスの男性の締めのひと言が、とどめとなった。
「宮城、後で私のところに来なさい……さて、不具合箇所は特定された。この会議はこれ以上続ける意味は無いから解散とする」
これで、この緊急会議はお開きとなった。
源蔵は良亮に絡まれるのは真っ平御免だとばかりに、いの一番に会議室を飛び出した。
そして自席に辿り着くと、そのまま足早に退社しようとしたのだが、その彼の前に涙目になった美彩と璃奈が揃って頬を上気させて佇んでいた。
「櫛原さん……その……ありがとう、ございました」
「ホントに……ホントに、ありがとうございます」
ふたりの美女は感極まった表情を見せているが、しかしその視線の中にはそれ以上に、驚きの色の方が強かった。
さもありなん。
一介の評価担当者に過ぎず、然程の経歴も無い筈の冴えない中途採用社員が、大勢の開発担当者がすぐには見抜けなかった不具合箇所を一発でいい当てたのだ。
驚くなという方が無理であろう。
「でも櫛原さん……ホントにびっくりしました。こんなこといったら失礼かもですけど……櫛原さんってただの評価担当者じゃ、なかったんですか?」
微妙に羨望の感情が見え隠れしている美彩の瞳に、源蔵は拙いと内心で唸った。
「いえいえ、ホンマにただの評価担当です……ほんなら、これで失礼します」
何とかしてこの場を逃れようとした源蔵。
ところがそんな彼の腕を、美彩と璃奈が左右から掴んで追い縋る格好を見せた。
「あの……もし良かったら、櫛原さんがどうやってあのログの中から原因箇所を探り当てたのか、聞かせて貰えませんか?」
「わたしも、興味あるんです……それに櫛原さんはきっと、只者じゃない気がしてるんです。お料理もプロ並みですし、スーパーマンな予感がします!」
源蔵は虚無顔になった。
良亮の余りの横暴さに腹を立てた勢いで彼をやっつけてしまったが、ふたりの美女がここまで感激するなどとは全く想定していなかった。
今回ばかりは、どうやら裏目に出てしまったらしい。




