92.ブサメン、胃袋を掴む
そして運命の月曜日、昼休みの弁当披露会。
休憩室のテーブルに陣取った源蔵、祐司、美彩、璃奈の四人は、それぞれが持参した弁当箱をテーブル上に据えた。
最初に美彩と璃奈が、お手製の弁当を広げてお披露目。
いずれも卵焼きやウィンナーなど定番のおかずが並んでおり、味付けも無難なところで落ち着いている。
が、今日の主役は飽くまでも源蔵と祐司である。
ふたりの男子弁当がどれ程の出来栄えなのかを美彩と璃奈がジャッジするという意向で開催された訳だから、彼女らのおかずはそこまで厳密に比較されることもなかった。
「よーっし。んじゃまずはオレからだね」
祐司が広げた弁当箱には、肉系が多く詰め込まれていた。
揚げ物も入っているが、これは恐らく、前日にスーパーの総菜コーナーで仕入れてきたものだろう。幾分衣に脂が廻って、少しべたついた感触が残っている。
それでも、独身男性が作った弁当としては及第点は出せるかも知れない。一応野菜系もそれなりの量が添えられているから、これらをおかずにして白飯を平らげることは可能である。
「な? な? 美味そうだよね。オレさ、ホントならこのレベルの弁当なんて余裕で作れるんだけどさ、忙しくて中々持ってくる機会が無かったんだよね」
既に勝利を確信した様子で鼻高々の祐司。
恐らく彼の中では、源蔵が持ってきた弁当など高が知れているという印象で凝り固まっているのだろう。
ところが美彩と璃奈の反応は、いささか微妙だった。
祐司が作ってきた弁当は如何にも腹一杯食う為のオトコ飯であり、多彩な味を楽しみたい女性の好みとは少し期待値が異なっていた様である。
「あれ? オレの弁当、イマイチ?」
「え? うーん……そんなことはないですよぉ」
若干不機嫌そうな色を浮かべた祐司に、璃奈が慌ててフォローを入れた。否、こうしてフォローを入れなければならない時点で、そのジャッジ結果は推して知るべきなのだろうが。
「大体さ、男がしっかり弁当作るってことに意味があるんだよね。内容はそんなに気にしないっつーか」
とうとう出来栄えの良し悪しを放棄し始めた祐司。
弁解するぐらいなら最初から料理勝負など挑まなければ良かったのに――源蔵は喉まで出かかった台詞を何とか堪えて、腹の底に押し込んだ。
「えっと……まぁ、そうですね。がっつり食べたいひとには、魅力的なんじゃないでしょうか」
美彩も祐司の弁当を決して非難することはなく、それなりの評価を下している。
しかし彼女の視線は、早い段階から源蔵の前にある弁当箱に注がれていた。祐司が作ってきた料理には、最初から期待などしていなかったのかも知れない。
そんな美彩の反応に自尊心を傷つけられたのか、祐司は若干の苛立ちを滲ませながら源蔵に視線を向けた。
「んじゃ、トリは櫛原さんで」
どうせ大したものは出てこないだろうという根拠の無い自信の様なものをちらつかせながら、祐司が源蔵に催促してきた。
源蔵は失礼しますとひと言添えてから、三段に分けた弁当箱を広げてゆく。
そしてそれぞれの蓋を開けた瞬間、美彩や璃奈のみならず、祐司もすっかり言葉を失ってしまっていた。
「僕が用意してきたのは鯛のマリネ、ホタテとサーモンのカルパッチョ、グジの西京焼き、ホウレンソウの浸し物ですね。飯モンは昆布を利かせた白だしで五目御飯を炊いてきました」
明らかに、他の三人のものとは出来栄えも彩りもレベルが違っていた。
マリネとカルパッチョは朝の段階では半解凍状態で弁当箱に押し込み、午前中にじっくり時間をかけて、弁当箱内で味がしっかり滲み込む工程を用意しておいた。
グジ、すなわち甘鯛の西京焼きは柔らかな歯触りと甘く深みのある味わいが口の中で広がるものの、決して癖も臭みも無い。
美彩と璃奈はごくりと喉を鳴らしながら、幾分遠慮がちに箸先を出してきた。
「わ……これ、すっごく上品な味つけ……めっちゃ優しい味ですよね……アタシ、これ好きかも」
「ホントだぁ……何だか、京都の料亭とかで出てきそうなカンジ……まだお昼だけど、お酒欲しくなっちゃった……」
美女ふたりが、揃って目を丸くしていた。
「いやぁ、流石に勤務中ですから、お酒は出せませんけどね」
苦笑しながら剃り上げた頭をぺたぺたと叩く源蔵。
すると祐司が横合いから箸を突き出してきて、源蔵が披露したおかずや五目御飯を少しずつ賞味してゆき、矢張り同じく目を大きく見開いていた。
「うわ……何コレ……めっちゃ美味い……ってか、これ、どう見てもプロじゃん……」
戦意喪失を通り越して、逆に称賛する側に廻ってしまった祐司。
相手が悪過ぎたことを今更ながら実感しているのかも知れない。
「えー、めっちゃ美味しい……何コレ何コレ~……っていうか櫛原さん、他の子も呼んできてイイですか?」
「いやまぁ、別にエエですけど」
源蔵は自身の分の弁当箱を別に広げて、腹の中に放り込み始めた。
休憩室を飛び出していった璃奈が程無くして、同フロアの三人の女性社員を連れて戻ってきた。彼女らは一様に源蔵お手製弁当に驚きを示しつつ、少しずつ摘まんでは絶賛の声を上げ始めた。
「櫛原さん、これホントに、最高に美味しいです……お店、出せるんじゃないですか?」
美彩が妙に目を爛々と輝かせている。
しかし源蔵は、冗談は勘弁して下さいと苦笑を返した。一応、櫛原厳斗名義での調理師免許も、FBIには用意して貰っている。だから独立開業しようと思えば、出来ないこともない。
(でもそれやってまうと、いつどこで美月の耳に入るか分かったもんやない……)
楠灘源蔵は死んだことになっている。
それ故、源蔵生存の手がかりになりかねない情報を、美月の耳に入れさせる訳にはいかない。料理人として世に出るなど、以ての外であった。
「わー、ホントに美味しい……んで、榎田さん、これってジャッジ、要ります?」
璃奈が水を向けると、祐司はすっかり引きつった表情で、結構ですとかぶりを振った。
源蔵は多少、申し訳ない気分だった。別に祐司の美彩へのアプローチを邪魔するつもりは無く、ただ単に、食いしん坊な璃奈の舌を満足させたかっただけなのだ。
祐司にはまた別のところで、美彩にリベンジする機会を設けて欲しい。
「あ~……でも、ホントに美味しい……アタシ、櫛原さんに胃袋、掴まれちゃったかも……」
何の気なしな調子で、そんな台詞を放った美彩。
これには流石に源蔵も内心で焦ってしまったが、璃奈や他の女子社員らも同様の感想を漏らしていた為、取り敢えずこの場は余り変な空気にはならずに済んだ。
(頼んますよ上条さん……榎田さんを煽るのはホンマにやめて下さいて……)
これ以上祐司とは美彩の為に張り合う気は無い源蔵。
それだけに、美彩の余計なひと言がまたもや祐司を刺激するのではないかと、源蔵は気が気ではなかった。




