85.ブサメン、絡まれる
それからというもの、源蔵は何かにつけて美彩から妙な視線を浴び続ける毎日を送る様になった。
(いや、ちょっと上条さん……仕事に集中して下さいよ……)
何度そんな台詞を口にしようかと思ったか、分からない。
それ程に美彩の目は、源蔵を捉えて離さなかったのである。
否、或いはただの自意識過剰なのかも知れない。
しかし実際、源蔵が何かの拍子で美彩の方に顔を向けた時には、必ずといって良い程に美彩が慌てて目を背けるという仕草が連発していた。
一度や二度ならただの偶然で済ませることも出来るだろうが、こう毎日毎日、ほとんど毎回の様に同じことが続いていると、流石にもう『たまたま』で終わらせることは出来なくなってくる。
(そんなに暇なんかいな……)
業務時間中はわざわざ評価用ベンチにまで足を運び、源蔵の隣の席でノートPCを広げる美彩。
昼休みは昼休みで、源蔵が自席で昼食を取っていると、彼女も同じ様に隣の自席に留まって昼食にありつくという始末だ。
これまでは同僚の女子社員やカレシの良亮といった面々と一緒に社外へ食べに出ていたというのに、今ではずぅっと源蔵の横から離れようとしない。
一体何が楽しくて、禿げブサメンの隣に張り付こうなどと考えたのか。
その疑問はどうやら、良亮も同様に抱いていた様だ。
彼は定時頃に美彩の席へと足を運んできて、源蔵にちらりと視線を流してから聞こえよがしに不満の声を投げかけてきた。
「なぁおい美彩……お前ホント、マジでイイ加減にしろって……お前最近、バディの後輩さんに付き纏ってんだって? 迷惑だから、やめとけって」
良亮の口ぶりは源蔵を慮っての様にも聞こえるが、要は、
「何でオレを無視して、こんなブサメンにこだわってんだよ」
ということを遠回しにいっている訳だ。
流石に同じ会社の同僚や後輩の身体的特徴を揶揄するのはコンプライアンス的に拙いからはっきりと明言はしないだろうが、いいたいことはつまり、そういうことなのだろう。
ところが美彩は随分と冷淡な表情で良亮をじろりと睨んだ。
カノジョがカレシに怒ったり嫉妬しているというよりは、もう赤の他人なのだから話しかけるなという色合いが強い様にも思えた。
「チッ……何だよ、全く……」
良亮は尚もぶつぶつ文句をいいながら、源蔵と美彩の前から離れていった。
それから少しして終業のチャイムが鳴り、源蔵は帰宅の準備を進めた。その源蔵に、美彩が妙に畏まった様子で向き直り、幾分の困惑を乗せた色を浮かべておずおずと声をかけてきた。
「あの、櫛原さん……その……今日って、この後、お忙しいですか?」
「ん? 今日ですか? いえ、別に」
一体何事かと眉間に皺を寄せつつ、源蔵は鞄を手にして立ち上がりかけた。
すると美彩も、変に意を決した様子で同じ様に立ち上がった。
「あの、良かったら晩御飯とか、どうですか?」
「え、僕とですか?」
源蔵は心底驚いた顔つきで、視線を他の方角に流した。その先に、美彩の恋人であるイケメン社員の姿があった。
カレシを差し置いて、自分なんかが美彩程の美女と食事を共にするなど、ちょっとあり得ない話だった。
「いや……そらぁ流石に拙いんやないかと……」
「えっと……その、変な意味じゃないですよ。ほら、アタシ達、折角バディ組んでる先輩後輩なんですし、もっとこう、打ち解けた方が仕事の面でも色々スムーズになるんじゃないかって思って」
そういわれると、確かに一度くらいは食事に付き合った方が自然かも知れない。
しかし変な噂を立てられるのも色々と面倒なので、一定の距離間だけは保っておきたい源蔵。
であれば、下手に雰囲気の良いバーやお洒落なレストランなどには行かず、その辺のファミレスや安い居酒屋で済ませるのが吉であろう。
「確かに仰る通りですね……ほんなら、軽く飲みに行くぐらいで」
「あ、そ、そう……ですね。うん、そうしましょう」
そんな訳で、源蔵と美彩は会社に程近い繁華街の居酒屋に足を運ぶこととなった。
◆ ◇ ◆
居酒屋であれば下手な間違いは起こり得ないだろうと高を括っていた源蔵だったが、しかしその読みは甘かったといわざるを得ない。
美彩はどうやら酒が入ると変な方向にスイッチが入るらしく、最初は当たり障りの無い仕事の話で済んでいたのが、次第にプライベート面へと踏み込み始めていた。
その最初のステップが、カレシである良亮との不和についてだった。
「あいつね、もうホント、サイテーなんですよ……アタシにあれしろ、これしろって本当に五月蠅いくせに、自分は勝手気ままに色々やってて、こないだなんて総務の新人の子に手を出してたんですよ」
つまりは、浮気されたという訳か。
ここ最近の美彩の荒れ方や良亮への態度から何となくそんな空気は察していたが、しかしそれ程のディープな話を後輩社員に軽々と話して良いものだろうか。
「アタシね、ずっと良亮の為に色々、頑張ってたんですよ。アイツ、ナマでするのが大好きだからって、アタシにピル飲ませたりしてて……そこまでアタシ、アイツの為に努力してるのに、オマエはこーゆーとこが足りないとか、こうすべきだとか、本当に五月蠅くて……」
尚もぶちぶちと続く美彩の大暴露大会。
(所謂、モラハラってやつやな)
美彩の愚痴を聞きながら、源蔵はふと、そんなことを考えた。と同時に、或る女性の顔が脳裏に浮かんだ。
(そいやぁ、神崎さんも大概なダメンズメーカーやったなぁ)
操は過去に三人のオトコと付き合ってきたが、その献身的な姿が却ってオトコの側に甘えを誘発させ、どいつもこいつもダメンズに陥ったという話だった。
今でこそ、ふたり目の元カレはバリスタ講師となって持ち直し、操を支える良き恋人という立ち位置を固めつつある様にも思えるのだが、今のところは芳しい報告は入ってきていない。
そして目の前の美彩も、どこかダメンズメーカーの臭いがぷんぷんしている。
彼女の愚痴を聞いていると、良亮も最初はそこまで悪い男ではなかったらしいのだが、美彩があれこれと献身的に尽くそうと頑張っているうちに、とうとう勘違いする様になったものと思われる。
(こんな綺麗なひとに、これ以上何を求めようっていうんやろな……世の中のモテるひとらの考え方は、僕にはよぅ分からんわ)
美彩の愚痴を聞き流しながら、源蔵は内心でやれやれとかぶりを振った。
ところが、気付いてみると美彩がテーブルに突っ伏して寝息を立てている。
(え……マジですか)
源蔵は軽く揺すってみたが、起きる気配が全く無い。
余程に鬱憤が溜まっていたのか、彼女はこの夜、相当飲みに飲んで、とうとう酔い潰れたらしい。
(参ったなぁこりゃ……)
思わず天井を見上げた源蔵。しかしこのまま放っておく訳にもいかない。
内心で平謝りしながら、源蔵は美彩のトートバッグ内に手を突っ込んでパスケースを取り出し、運転免許証から彼女の自宅位置を割り出した。