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84.ブサメン、凄腕技術者の片鱗を見抜かれる

 翌日、源蔵がいつもの様にテストプログラムが書き込まれた評価対象モジュールにフレキ線とデバッグ用小基板などを繋いで作業の準備を進めていると、いつの間にか隣の席に美彩が陣取っていた。


(……何してはんのやろ)


 設計担当である美彩が、評価用のベンチ環境にわざわざ足を延ばしてくるだけでも珍しいのに、更に腰を落ち着けて自身のノートPCを開いているなど、少しばかり異様な光景だった。

 評価用ベンチには源蔵だけでなく、他にも何人かの評価担当作業者がそれぞれの席で業務を進めている。

 そんな彼らが一斉に、突然現れた高嶺の花の如き美貌に驚きの視線を投げかけている。

 周囲からの奇異の目など知ってか知らずか、美彩は源蔵のすぐ真横で、デバッグログをソースコード内に仕込む作業に着手し始めた。


(え、何でこんなとこで、んなことやってんの?)


 源蔵も、全く訳が分からない。

 ソースコードを修正する作業は、事務フロアの自デスクでも出来る筈だ。というよりも、ほぼいつも、彼女は自デスクでのみ作業を進めている。

 それなのに何故、今日はこんなところにまで足を運んできて、源蔵の隣に陣取っているのか。


(アレかな……昨日の結果が裏目に出たか)


 源蔵は前日の、少しばかり本気を出していつもの数倍以上の速さで評価業務を進めたことが却って拙い状況を作り出したのかと考えた。

 もしかすると美彩は、源蔵が何やらヤバげな技法に手を出したと疑っているのかも知れない。


(単純にマクロ組んで自動評価を走らせただけなんやけどな……)


 しかし、そんなマクロを組むことが出来る技量を、源蔵はダイナミックソフトウェア入社後にはただの一度も披露していない。この会社内では源蔵は飽くまでも凡庸な評価担当者という立ち位置だ。

 そんな人物が残業必至の業務量を定時前に終わらせたというのだから、矢張り疑われても仕方が無いというところか。

 とはいえ、そんな程度のことで隣に陣取って監視するというのは、少し常軌を逸していないか。

 源蔵は妙なプレッシャーを隣から感じながらも、表面上は平静を装って作業を開始した。

 すると美彩は一応手を動かしてはいるものの、時折ちらちらと源蔵に視線を流してくる。矢張り、昨日の超速評価作業の正体を探りにきたものと思われる。


(今日は絶対、やらんとこ……)


 源蔵は背中に変な汗が滲むのを感じながら、黙々と評価作業を進めていった。

 すると、それから程無くしてひとりのイケメン男性社員が評価用ベンチエリアに姿を見せた。その男性は美彩よりも年上の様に思えたが、しかし源蔵よりは明らかに年下であろう。

 そのイケメン社員は不機嫌そうな面持ちで、真っ直ぐ美彩が座っている席に歩を寄せてきた。


「なぁおい、美彩……イイ加減、機嫌直せよな……一体いつまで拗ねてるつもりだ?」

「あの……今は業務時間中です。プライベートな話を持ち出すのは、やめて欲しいんですけど」


 美彩は、自身の肩に触れようとしたイケメン社員の手を払いのけた。

 そのイケメン社員、宮城良亮(みやぎりょうすけ)はあからさまにむっとした表情を浮かべ、美彩を強い視線でじぃっと睨みつけた。

 が、ここは会社内である。男女間の痴情のもつれを持ち出して良いところではない。

 良亮も場所の拙さを悟ったのか、露骨な程の大きな舌打ちを漏らして来た時と同様、足早にその場を去っていった。

 後で知ったことだが、良亮と美彩は数カ月前まではバディ制度の先輩後輩としてチームを組んでいたということらしい。そしてもっといえば、ふたりは恋仲にあったのだという。

 社内恋愛は特に禁じられていないダイナミックソフトウェアだが、業務に支障を来たす場合はその限りではないということらしい。


(流石に会社ん中で痴話喧嘩は出来んよな……)


 源蔵は内心で苦笑を漏らしつつ、怒りを隠そうともせずに黙り込んでいる美彩に軽く視線を流した。

 その美彩は、


「……サイテー」


 と、低い声でぽつりと呟いていた。

 矢張り何かあったのだろうとは思うが、しかし源蔵は他人の男女関係のもつれに首を突っ込む趣味は無い。


(今のは見なかったことにするんで、仕事はちゃんとやって下さいよ……)


 兎に角、とばっちりだけは勘弁だ。

 源蔵は先輩美女社員の色恋沙汰には決して巻き込まれてはならぬと己にいい聞かせながら、ひたすら業務に集中した。

 ところが、そうして黙々と作業を続けている源蔵に、何故か美彩は驚いた様子で視線を注いでいた。

 余りにも必要以上にじっと見つめてくる為、流石に居たたまれなくなった源蔵。


「あのぅ……何か、御用ですか?」

「あ、えっと……ちょっと、っていうか、物凄く意外だったんで……」


 渋い表情の源蔵に対し、美彩は驚きの色を浮かべている。その視線は、源蔵の手元に集中していた。


「櫛原さん、タッチタイピングが凄く速いんですね」


 タッチタイピング、或いはブラインドタッチ。

 視線をキーボードには注がず、指先に覚えさせたキー位置だけで自在に入力してゆく技法だ。

 源蔵のタイピング速度は一分間におよそ250文字以上。これは、凡庸な中年社員では到底出せない数字といえる。


(あ……しもた。そこまで気ぃ廻ってなかった)


 思いもよらぬところで、技術的なハイスペックぶりを見抜かれてしまった。

 源蔵は内心で己の迂闊さを呪った。

 その一方で美彩は、今度は源蔵のノートPC画面に視線を移した。打ち損じは一カ所も無く、全て正確に文字が入力されていた。


「やっぱり……櫛原さんって、実は能ある鷹は爪を隠すタイプなんですか?」


 物凄く興味津々といった様子で、その美貌をずいっと寄せてきた美彩。

 どう答えたものかと、源蔵は剃り上げた頭を掻いた。


(評価結果のファイルとかなら、何ぼでも誤魔化せるけど……)


 流石にタイピングの速度を、目の前で間近に披露してしまっては、最早弁解の余地は無い。

 ここは素直に白状するしかないのだろうか。


「いや、まぁ、これぐらいは誰でも練習したら出来る様になりますし……」

「それでも、その速さと正確さは凄いですよ。うちの会社でも、櫛原さんレベルのタイプ速度は他に居ないんじゃないかしら」


 尚もぐいぐいと迫ってくる美彩に、源蔵は心底困り果てた。

 もう少し警戒して、もっと凡庸で使えない男を演じるべきだったのだが、その辺が徹底出来ていなかったのは完全に己のミスだ。

 この苦境を挽回するのは、中々難しいかも知れない。

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