表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
81/181

81.ブサメン、幸せを願う

 戸籍上は、楠灘源蔵は死亡したことになった。

 そして新たな人生を送り始めた源蔵は、櫛原厳斗(くしはらげんと)と名乗った。敢えて楠灘源蔵と似た様な響きの姓名にしたのには、勿論ながらちゃんとした理由がある。

 全く違う名前にしてしまうと、呼ばれることに慣れていない為、咄嗟に反応出来ない恐れがあるのだ。そうなると、要らぬ疑念を周囲に植え付けてしまう可能性があった。

 その為、源蔵は語感が良く似た櫛原厳斗と名乗ることにした訳である。

 帰国後、櫛原厳斗として新たな居住地、新たな戸籍を得た源蔵はダイナミックソフトウェア株式会社に中途採用社員として入社する運びとなった。

 テロ組織壊滅に大きく寄与した源蔵は、アメリカ当局から毎年、5000万程度の生活保障金を支給されることになった。この措置は源蔵が生涯を終えるまで続く。

 つまり源蔵としてはわざわざ働く必要も無かった訳だが、何もせずにぶらぶらするのは性に合わなかった為、取り敢えず薄給でも構わないからどこかで働こうと考えた訳である。

 それが、ダイナミックソフトウェアでの中途採用社員という道だった。


(白富士に比べたら全然規模が小さいけど、まぁ中堅ソフトウェア会社としてはそこそこ忙しそうなとこやしな……)


 そんな訳で源蔵は、余り役に立たないが人数合わせの為に雇われた凡庸な中年男性という体でこの会社に入社する運びとなった。

 住居はこのダイナミックソフトウェアから電車で二駅という近さで、その気になれば歩いてでも通うことが出来るだろう。

 小さなワンルームマンションだが、源蔵としては自分ひとりが普通に生活出来ればそれで充分であった。

 FBIの担当官は、折角年収5000万相当の生活保障金があるのだから、もっと高額な住居を選べば良いのにと随分不思議がっていたものの、余り大きな邸宅に住んでしまっては変に目立ってしまう。

 無能で凡庸な中年男が、何の理由も無しに豪邸に住むのは不自然だろう。


(別に住むとこなんて、広かったらエエって訳でもないしな)


 以前の様なタワーマンション暮らしは、もう二度と望めない。しかし今の生活には決して不満は無かった。

 寧ろ、こういう狭い一室での生活こそが自分らしいとすら思っていた。


(僕みたいな地味なブサメンは、こんな暮らしで十分やて……)


 内心で苦笑しつつ、会社帰りに郵便受けを覗き込んだ源蔵。見ると差出人不明の封書が一通、届いていた。

 源蔵は、すぐにピンと来た。FBIからの報告書である。

 自室内に飛び込むと、すぐに開封した。そこには美月や操、リロード、そして白富士に残してきたかつての部下達の現状が事細かに記載されていた。


(……良かった。皆、平穏無事に生活出来てるんやな)


 コンビニ弁当を広げながら、源蔵はほっと胸を撫で下ろして報告書の文面に素早く目を走らせてゆく。

 この報告書を貰い始めた当初は源蔵も中々気が気ではなかったが、最近はやっと落ち着いた気分で読み込んでゆくことが出来る様になっていた。

 そして報告書のトップに上がるのは、いつも美月の生活状況だ。

 報告書を貰い始めた最初の頃は、彼女も相当悲嘆に暮れていたものの、玲央や美智瑠らの励ましで何とか立ち直り、今は一人前のシェフとして自立すべく大いに頑張っているのだという。


(御免な美月……お父さんはもうお前の為に直接手は貸してやれんけど、でもこうしていつも、見守ってるからな……)


 本当に、申し訳無く思う。だが、件のテロ組織からの報復の目を大事な家族に向けさせる訳にはいかない。

 それに美月ならばきっと大丈夫だと信じることも出来た。

 彼女は本当の母親から、地獄の様な生活を強いられてきた。それを考えれば、今は十分に幸せになる為の足掛かりを得ている筈だ。玲央や美智瑠が何かにつけて手助けしてくれているなら、きっと大丈夫だろう。

 そんなことを思いながら、源蔵は次の項目へと視線を走らせた。


(……ん? 神崎さん、まだ結婚しはらへんの?)


 操の項目に至ったところで、源蔵は思わず小首を傾げた。

 リロードの経営は今のところ、上手く進んでいる。運転資金は源蔵の資産を受け継いだ美月がしっかり継続して支援してくれている筈だから問題は無い。

 後は操が、例のバリスタ講師となった元カレとよりを戻して恋仲になれば、万事解決の筈だ。

 ところがどういう訳か、操はその元カレと付き合っている素振りを見せていないということらしい。


(おかしいな……僕が北米支社に赴任してる時から、もう元サヤに戻ってたんとちゃうの?)


 偽装カノジョとしての立場も既に解除済みだったから、操は自由に恋愛が可能だった筈だ。それなのに何故、条件の良い元カレと再び付き合おうとはしないのか。

 その彼女の心理が、よく分からない。


(オーナーの僕が死んでしもたから、しばらく喪に服して、自分の幸せ追求を自重しようってな腹かな)


 随分と律儀な話だ。

 足かせになるオトコはもう存在しないのだから、もっと自分の心に正直に生きてくれれば良いのに。


(お願いやから、早く結婚して、幸せになって下さい……何の為に偽装カノジョも解除したんですか。変な遠慮はして貰わんでもエエんですよ)


 源蔵は大きな溜息を漏らしながら、やれやれとかぶりを振った。

 同時に、そのバリスタ講師の元カレの押しの弱さにも少し腹が立ってきた。折角元カノの心を再び引き寄せるチャンスがありながら、一体何をしているというのだろう。

 操はもう、楠灘源蔵という禿げの不細工から解放されたのだから、今こそが彼女の心を射止める好機である筈だ。それなのに、この体たらくである。


(僕が目の前に()ったら、何を愚図愚図しとんねんって叱り飛ばすとこやけどな……)


 が、流石にそれは出来ない。

 或いは、その元カレは結構なイケメンだと聞いているから、もしかすると他にカノジョ候補が居るのかも知れない。そうなると、操は少しばかり苦労しそうな気がしないでも無かった。


(まぁでも、あれだけ器量の良い美人さんやから、他の女性に負けることなんてそうそう無いやろ……)


 ともあれ、源蔵としては少しでも早く操には幸せになって欲しい。

 そしてリロードを今まで以上に、盛り立てていって欲しい。

 操の結婚式に馳せ参じることは出来ないが、遠くから彼女の幸福を見守ることは出来る。だからこそ、中々進展しない操とバリスタ講師の元カレの関係がもどかしくて仕方が無かった。


(美月はもう大丈夫やろうけど、神崎さんはまだちょっと心配やなぁ)


 源蔵はつい、天井を仰ぎ見た。

 こればかりは本当にただ、経過を見ながら祈り続けるしかない。

 そして操には少しでも早く、禿げブサメンオーナーの呪縛から解放されて欲しいと本気で願った。

 彼女を大事に思っているからこその、源蔵の心の底からの願いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ