77.バレてしまった決断力
何か嫌な予感がする。
週末を迎えたその日、統括管理課での業務を終えた源蔵は幾つか残った諸々の業務を部下達に任せ、自身は急ぎリロードへと足を向けた。
店舗前に到着すると、ドアにCLOSEDの吊り看板がぶら下がっているのが見えた。しかし、まだ閉店時間には早い筈だ。そして操からは源蔵に対して何の連絡も入っていない。
つまり、操自身の判断でこの日の営業を切り上げたと見て良いだろう。
源蔵はほとんど何の迷いも無く、ドアチャイムを鳴らして店内へと足を踏み入れていった。
「あ……楠灘さん……」
操が硬い表情で、ほぼ中央に位置する客席テーブルで腰を浮かせた。
その対面席には美代と、そしてもうひとりの男性の姿。美代と若干顔立ちが似ているところから見て、恐らく彼が杉村幸俊なる人物だろう。
「今日は早仕舞いされたんですね」
それでも源蔵は何食わぬ顔でしれっと問いかけながら、美代と、その男性に軽く会釈を送った。
すると美代がにやにやと妙に嬉しそうな笑みを浮かべて立ち上がり、傍らの男性にちらりと視線を流してから源蔵に声をかけてきた。
「こんにちは~。またお邪魔してます……こちらは私の兄です」
「杉村幸俊と申します。貴方がこちらのオーナー、楠灘さんですね」
美代の兄、幸俊はにこやかな表情の中に鋭い刃の様な敵意を忍ばせながら、右手を差し出してきた。
源蔵は不安な色を浮かべている操を目で制してから、穏やかな笑みを湛えつつ握手に応じた。
「本日は、どの様な御用件で?」
半ば有無をいわさぬ勢いで、源蔵はいきなり本題へと斬り込んだ。この手の連中は、上辺の挨拶など不要であろう。手っ取り早く核心を衝いてこちらのペースに引き込むのが吉だ。
しかし幸俊も中々の曲者らしく、源蔵の問いにはすぐには応じずに、リロードの店内意匠や操の淹れるコーヒーを褒めちぎり、そのオーナーである源蔵の見識の高さをこれでもかと持ち上げてきた。
流石に、操の地元で多くの子会社や個人商店などを従える総合商社の跡取り息子だ。そう簡単に、こちらの誘いには乗らないという訳だろう。
「ところで操さんとは久々に顔を合わせて驚いたのですが、どうやら彼女には付き合っている男性がいらっしゃるようでして……もしかして楠灘さんが、そのお相手の方でしょうか?」
「まぁその辺は、御想像にお任せします」
手近の椅子を引いて腰を下ろしながら、源蔵は苦笑を滲ませた。
遠回しに源蔵を牽制しながら、同時に幸俊の目的が明確に操であることを告げてきた訳だ。しかし相手の狙いがまだ分からない以上、源蔵としてはまだ言葉を濁すことしか出来ない。
すると、こちらの態度が煮え切らない中途半端な対応だと睨んだのか、幸俊は幾分勿体ぶった口調で更に言葉を繋げてきた。
「実は、その操さんのことで少し御相談が御座いまして」
「と、いいますと?」
源蔵は尚もすっとぼけた調子で剃り上げた頭を撫でた。この時、操の表情は酷く青ざめていた。彼女は、これから幸俊がいわんとしていることを理解している様である。
同時に美代も、ここからが兄の攻めどころだと期待感を寄せている様な笑みを浮かべていた。
「彼女を、ボクの地元へ連れ帰りたいのです。操とは幼馴染みであるだけでなく、許嫁でもありました。しかし彼女はその約束を反故にしたばかりか、何も知らない貴方に、自分はフリーだと偽って恋人の座を射止めた様子……流石にこれは、捨て置けません。楠灘さんに対して、大変な御迷惑をおかけしていることになります」
幸俊の論法は、中々に巧みだった。
事実上では源蔵から操を強奪しようという訳だが、形の上では幸俊が源蔵を助ける為に手を差し伸べるという構図だ。
飽くまでも自分は源蔵の味方であり、悪いのは操ひとりだという図式で絵を描いているのだろう。
「勿論、こちらのリロードに御迷惑をおかけする訳には参りません。そこでボクの妹が、操さんの代わりといっては何ですが、リロードの経営に携わることをお許し頂きたいのですが」
「はて……それは中々、決断力が試されるお話ですねぇ」
源蔵は、即座に拒絶しなかった。まずは相手の話に乗るふりをして、油断させて時間を稼ぐ必要がある。
すると幸俊は、絶対に損はさせませんからと更に言葉を熱くして身を乗り出してきた。
「美代は地元密着型のカフェチェーンを経営していた実績も御座います。きっとこちらのリロードでも、その経験が大いに活きることでしょう」
「成程、それは確かに魅力的なお話ですね……もし宜しければ、お名刺や資料など頂戴出来れば幸いです」
この源蔵の申し入れに、幸俊と美代は勝利を確信したかの様な笑みを湛えて、素直に応じてきた。
「近いうちに、改めて書面でのご連絡とさせて頂きます。今日のところは、この辺で失礼致します」
幸俊は大いに成果アリだとばかりに、ほくほく顔の笑みを浮かべて美代と共にリロードを去っていった。
一方、残された操は真っ青な顔で、呆然と源蔵の強面を見つめていた。
「楠灘さん……あの……わたし……」
しかし源蔵は操の今にも泣き出しそうな美貌には目もくれず、手早くスマートフォンを取り出して最も信頼しているファンドマネージャーの東出靖男の番号にコールした。
「あ、東出さん、御無沙汰しております。今からいう株を、即時で買い集めて下さい……はい、ええと、銘柄は杉村総合商事株式会社です。僕が筆頭個人株主となれる比率でお願いします」
その瞬間、操はあっと小さな驚きの声を漏らした。どうやら、源蔵の意図を察したらしい。
東出との通話を終えた源蔵は、操に向けて不敵な笑みを向けた。
「僕があの御兄弟の会社を牛耳ります。もう、好き勝手な真似はさせません」
その決断力に、操は両掌を口元に当てて目を見開いていた。
幸俊も美代もいってしまえば、親の七光りで操にちょっかいを出そうとしていた訳だが、その根源たる力を源蔵は自身の財力で捻じ伏せようという訳だ。
(僕から何かを奪おうなんてアホなことを考えんかったら、こんなことにはならんかったやろうに)
要は、喧嘩を売った相手が悪かったということだ。
これでもう二度と、杉村兄弟は操には手を出さなくなるだろう。
その一方で、操は何かに気付いた様子でまたもや驚きの声を漏らした。
「あ……でも、そうなると楠灘さんは、わたしの親の親会社の筆頭株主ってことになるんですね……何だか、物凄い話になってきちゃった……」
「ははは……ま、子会社の皆さんには悪い様にはしませんから」
源蔵は大きな体躯を揺すって軽快に笑った。
ところが操は不意に、感極まった様な表情で源蔵の筋肉の鎧の様な胸板に飛びついてきた。
「御免なさい……わたし、自分で決着つけるつもりでしたのに……」
「気にせんで下さい。僕から神崎さんを奪える奴なんて、そうそう居ませんよって」
更に操はぎゅうっと力を込めて、源蔵の大きな体を抱き締めてきた。




