75.バレてしまった鉄壁の貞操観
操の方はもう大体のところまで店仕舞いの段取りを終えており、後は玄関扉を施錠するだけだという段に至っている。
既にCLOSEDの吊り看板も下げられており、これ以上他の客が店内に足を踏み入れてくることはない。
そろそろ頃合いだと見て、源蔵は自らコーヒーカップとソーサーを持って立ちあがり、鞄を小脇に抱えた。
「あら、もうそんな時間?」
美代はスマートフォンを取り出して現在時刻を眺めている。
その間に源蔵はカウンター裏で洗い物を手早く済ませた。
「今日はもう閉店ですので、申し訳ありませんけど、御退出をお願い出来ますか?」
「そうなんですねー……んじゃ操、また今度ね」
送り出しの為に玄関近くに立っていた操に、美代は意味深な笑みを送った。操は一応愛想笑いで応じているものの、その表情はどこか硬い。
矢張りこのふたりの間には、何かある。これは操から直接聞いた方が早いか――ところが、その源蔵の思惑は美代からの思わぬ申し入れによって敢え無く遮断された。
「あの、オーナーさん……もし良かったらこの後、少し飲みに行きません? 正直いって私、まだまだ全然、遊び足りないんですよねぇ……」
この時の美代の瞳には、何かしら攻撃的な色が見え隠れしていた。
同時に操が、僅かに息を呑む仕草を見せている。
流石に美代とふたりでサシ飲みというのは拙い。源蔵は操に面を向けた。
「神崎さんもどうですか?」
「え? いや、えっと、わたしは……」
操が答えようとした時だった。
いきなり美代が、操の言葉を半ば遮る様な格好で食い気味に声を挟んできた。
「あ、操は明日もお店の営業あるんでしょ? だったら今日はもう、早く休みなよ。お仕事の邪魔しちゃ、悪いもんね」
「……そ、そうね……」
勝ち誇った笑みを浮かべる美代に対し、操は完全に圧倒されている様子で静かに俯いた。その力無い表情に源蔵は思うところはあったものの、操が美代の言葉を否定しない以上、無理強いすることは出来ない。
「そうですか……ほんなら、また明日」
「あ、はい。おやすみなさい」
操の言葉を背に受けながら、源蔵は美代と肩を並べてリロードを出た。
そして店を出た直後に、いきなり美代が源蔵の剛腕に自身の腕をこれ見よがしな勢いで絡ませてきた。或いは店内から窓ガラス越しにこちらを見ている筈の操に、何かをアピールするつもりだったのか。
美代が何を考えてこの様な行動に出るのかは分からないが、少し常軌を逸している。
「この辺、どこかにお洒落なバーとかあります? 案内して下さると嬉しいなぁ」
「まぁあるにはありますけど……その、もうちょっと離れて貰えません?」
操への影響も多少は考慮したものの、矢張り初対面でいきなりこの距離感は如何なものか。源蔵は失礼にならない程度にやんわりと拒絶する意志を示した。
ところが美代は一向に引く気配を見せなかった。
「え~? そんな硬いこと、いわないで下さいよぉ~。今どき、腕組んだぐらいでどうこうなるご時世じゃありませんよ?」
そんなものなのか――源蔵は内心で小首を捻った。
そもそも彼は恋愛経験自体が全く無い為、男女の間の距離の詰め方というものが分かっていない。こうして腕を組むぐらいならば、別段どうということもないのだろうか。
「私、今は美味しいカクテルが飲みたい気分ですけど、オーナーさんは如何ですか?」
「僕は何でも結構ですよ……ほんなら、駅前にお勧めのバーありますんで、そこ行きましょか」
すると美代は幾分わざとらしい程に喜んだ仕草を見せた。
ともすれば、あざとい感じもする。これが彼女の、男を攻める時のセオリーなのだろうか。
しかし、男性の心理としては悪い気分ではないことも事実であろう。美代は操に比べれば多少劣る部分もあるが、顔立ちは決して悪くない。
寧ろ男好きする立ち居振る舞いを見れば、美代の方が男性受けしそうな気がしないでもない。
純粋にひとりの男の目線から見ても、身持ちの硬そうな操より、積極的にアプローチしてくる美代の方に魅力を感じるというケースが少なくないだろう。
(幼馴染みっちゅう割りには、随分対照的やな)
尚も警戒を重ねつつも、源蔵は美代という女性の開放的な部分に多少の興味を持つ様になっていた。
◆ ◇ ◆
もう少しで日付が変わりそうな頃合いになって、源蔵はべろんべろんに酔っ払った美代を半ば小脇に抱える様な形で支えつつ、ふたりで一緒に飲んでいたバーを出た。
(このひと……ホンマに酔っ払ってんのかな?)
仕草だけを見れば、確かに酔い潰れている様にも見える。が、彼女の自身を支える足取りには時折、妙な力強さが感じられた。
或いは、酔い潰れた風を装っているのかも知れない。
これはもしかすると、性的な誘いを受けているのだろうか。
恋愛の駆け引きはよく分からない源蔵だが、何となくそんな気がした。
(据え膳食わせてやるから、このままホテル連れてけって訳か)
確かに、この近くにはラブホテル街が近い。普通の男ならここで何の迷いも無く、美代と一夜を過ごしたことだろう。
だが、源蔵は他の男とは違った。彼はすぐさま、或るビジネスホテルに連絡を入れた。このホテルは源蔵が一部出資しており、緊急時に備えて常に一部屋だけ空けさせている。
そこに美代を放り込む算段だ。
そして源蔵が件のビジネスホテルへと彼女を抱えてゆくと、美代は一瞬だけ面を上げて怪訝そうな顔つきを見せていた。
その反応を源蔵は見逃さなかった。
(やっぱり、酔った振りやったか……何の計算しとったんやろな)
源蔵はホテルのスタッフに後を任せて、自身はさっさとロビーを出た。
後ろから何か美代の声が追いかけてきた様な気もしたが、敢えて聞こえない風を装って足早に路上へと飛び出した。
(どないな思惑があったんか知らんけど……ちょっとこの先、面倒臭そうなことになりそうやな)
操が美代に対して見せ続けていた、あの一歩引いた態度も気になる。
源蔵は余り気が進まなかったが、再びリロードへと引き返した。
明日の開店前までに、操から美代に関する情報を聞き出しておく必要があった。




