74.バレてしまった早飲み癖
金曜の夜――リロードに立ち寄った源蔵は、店内の空気が少し奇妙な色に包まれていることに気付いた。
常連客の姿は無かったのだが、見たことが無い女性客がひとり、カウンターのストゥールに陣取ってやたらと甲高い声を撒き散らしていた。
「へぇ~! そぉなんだぁ~! 操が料理ねぇ~!」
随分と親しげな調子でカウンター裏の操に笑みを投げかけているその女性は、ラベンダーブラウンのレイヤーボブを元気に揺らしながら嬌声を振り撒いている。
対する操は、一応笑みを浮かべてはいるものの、微妙に表情が硬い様にも思えた。
何となくではあるが、ふたりの間には奇妙な温度差がある様にも感じられた。
(知り合いのひとかな?)
見知らぬ女性客の口調を聞く限りでは、操とは随分親しい様にも感じられるのだが、どういう訳か操の美貌には困惑の色が幾らか見て取れる。
一体誰だろうと思いながら源蔵がいつもの二人掛けテーブルに腰を下ろすと、操がまるで件の女性客から逃げ出す様な調子で、源蔵のもとへお冷とおしぼりを運んできた。
その微妙な態度に内心で小首を傾げながら、源蔵はカウンターには届かない程度に声のトーンを絞って訊いてみた。
「お知り合いですか?」
「えぇ、はい。知り合いというか……その、幼馴染みでして」
同じ様に低い声音で答えた操の面は依然として暗く、そして硬い。
否、険しいといった方が正しいかも知れない。
幼馴染みといえばもっと親しい間柄で、こんなにも警戒心をあらわにする必要はないのではないかとも思ったが、何か事情でもあるのだろうか。
違和感を覚えずにはいられなかった源蔵だが、まずはともあれブレンドコーヒーをオーダー。
すると操は何ともいえぬ沈んだ表情で、カウンター裏へと戻っていった。
(余計なことは、せん方がエエかな)
その幼馴染みとやらは源蔵の知らない相手だから、この場はひとりの客としてだんまりを決め込むのが最善だろうと判断し、読みかけのライトノベルを鞄から取り出して手元に視線を落とした。
ところが、思わぬ事態が生じた。
「あれ~? もしかして操ぉ、あそこに座ってるひとが例のオーナーさん?」
まさか自分が話題に上げられるとは思っても見なかった源蔵は、無遠慮にこちらをじろじろと眺めてくるその女性に、一瞬だけ視線を返した。
その女性はにやりと歪な形で唇の端を吊り上げると、ストゥールを立って源蔵のテーブルへと小走りに歩を寄せてきた。
「どぉもぉ~! はじめまして、こんばんはぁ! この店のオーナーさんですか? 私、杉村美代っていいます。操とは小学校の頃からの幼馴染みでして、貴方のお話は操の御両親から聞いてました」
「あ、そうなんですか……御来店ありがとうございます。私は楠灘と申します」
一応源蔵も軽く会釈を送ってはみたものの、カウンター奥の操がその美貌に珍しく渋い色を浮かべていた為、余り親しくならない程度に軽く躱すことにした。
ところが美代の方は全く源蔵の前から離れる素振りを見せず、寧ろ同じテーブルの差し向かいの椅子に、当たり前の様に腰を下ろしてしまった。
「オーナーさんってことは、操の上司に当たる訳ですよね? 操、どうですか? ちゃんと働いてます?」
恐ろしく不躾な調子で馴れ馴れしく笑みを寄せてくる美代。
正直、どう応じるべきか相当に迷った。下手な対応を取れば操に迷惑がかかるかも知れないし、かといって今の操の表情を見れば、余り親しくして欲しくなさそうにも思える。
取り敢えずここは当たり障りのないレベルで、適当に言葉を濁した方が良いだろうか。
「えぇ、そらもう、非常に頑張って下さってますよ」
「あれ? もしかしてオーナーさん、関西のひとですか?」
操の話を訊いてきた筈なのに、いきなり源蔵の身上に話題をすり替えてきた美代。
彼女は一体、何が話したいのだろうか。
「はい、仰る通りです」
「やっぱりそうなんだぁ。私、ナマ関西弁って初めて聞いたかも」
別段大したことでもないのに、随分と嬉しそうにはしゃいだ様子を見せる奇妙な幼馴染み。彼女が何をいわんとしているのか、源蔵にはよく分からなかった。
その美代はちらりと源蔵の左手薬指辺りに視線を落としてから、一瞬だけ妙な笑みを浮かべた。
「御結婚は……なさってないんですね。もしかしたらですけど、カノジョさんとか居ます?」
初対面で然程に言葉を交わした訳でもないというのに、随分と突っ込んだところまで訊いてくるものだ。
幼馴染みだというが、操とは恐ろしい程に対照的に思える。
実際操は、カウンターの奥でコーヒーを淹れながら心配そうな表情をこちらに向けてきていた。
「それは……お答えする必要がありますか? 僕はまだ杉村さんのことをよく存じ上げておりませんので、どこまで話すべきか判断が付きかねております」
源蔵は操の表情から、この幼馴染みは警戒すべき相手だと咄嗟に結論を下した。
であれば、いきなり馴れ馴れしく迫ってくる彼女に対しては少しばかり距離を置くことで腹を固めた。
ところが美代は、源蔵の警戒心などまるで無視した様子でにやにやと嫌らしそうな笑みをぶつけてくる。
「その口ぶりだと、カノジョさんは居る、と……もしかして、付き合ってる相手って、操ですか?」
この時の源蔵は兎に角ポーカーフェイスを貫き通した。
こういう妙な手合いには、腹の内を読まれるのは危険に過ぎると考えたからだ。
しかし源蔵が如何に完璧な防御を固めても、操の方が隙を衝かれてしまった。
美代はコーヒーを淹れている操の何ともいえぬ表情に目ざとく気付いた様子で振り向き、更に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ふぅ~ん……そぉなんだぁ。成程ねぇ」
しばし操に対して意味ありげな視線を流していた美代だったが、すぐに源蔵へと振り向き、その面をずいっと近付けてきた。
「操って、カノジョとしてもちゃんとやれてますか? 私、昔のあの子のこと、よぉ~く知ってるんで、ちょっと心配になってきちゃいました」
「御想像にお任せします」
操がトレイに乗せて運んできたコーヒーカップを受け取りながら、源蔵は努めて無表情に応じた。
今日はさっさと店仕舞いさせて、この幼馴染みとやらを店から放り出した方が良い――早々に決断を下した源蔵は、少しばかり熱めのコーヒーを手早く飲み干すことにした。
「そんなに慌てて飲んだら、お口の中、火傷しちゃいますよ? それとも、そうやって慌てて飲むのが癖なんですか?」
「たまに、そういう気分になるんですよ」
我ながら苦しい弁解だとは思ったが、兎に角今は少しでも早く、美代をリロードから叩き出すことに専念しなければならない。
源蔵は目線だけで操に指示を出し、路上の立て看板の片付けに着手させた。




