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73.バレてしまった悪い顔

 三月を目前に控えた平日の定時後、源蔵がその日の仕事を終えて帰宅準備に取り掛かっていると、丸の内オフィスから何かの用事で本社ビルに足を延ばしていた晶が、物凄い勢いで近づいてきた。


「センセ……ちょっとイイですか?」


 彼女の端正な面の上で、困惑と不安が微妙に揺れ動いている。

 何とは無しに緊張感が襲い掛かってきたが、源蔵はどうぞと頷き返した。


「ふたつ、教えて下さい……まずひとつ目……センセ、カノジョが出来たって、ホントですか?」


 その話か――源蔵はいずれ操との件が誰かの口から社内に知れ渡ることは予測していたし、寧ろそうなる様に期待もしていたが、最初に晶の口から飛び出してきたのは想定外だった。

 だが嘘はつけないし、ここで否定すれば折角の偽装カノジョという策が全て台無しになる。

 源蔵は静かに頷き返したが、その強面は極力平静を装った。

 対する晶は、そうですかと若干沈んだ様子で視線を落とした。


「あ~ぁ……こんなことなら美月ちゃんに遠慮なんかしないで、あたしもさっさと勝負かけといたら良かったなぁ……」


 ぽつりと呟いた晶。

 彼女が何をいっているのか理解が及ばなかった源蔵だが、しかし晶はすぐに気を取り直した様子でその美貌に寂しそうな笑みを浮かべた。


「っていうか、あたしのことなんてどうでもイイですよね。兎に角センセ、おめでとうございます。折角のチャンスなんだから、絶対手放しちゃ駄目ですよ」

「あー、どうも痛み入ります。まぁまだ付き合い始めたばっかりなんで、この先どうなるか分かりませんけどね……」


 ちなみに、どこまでこの話が知れ渡っているのかと逆に問い返した源蔵。

 晶は、美智瑠と早菜は勿論のこと、社内の知った顔は大体皆この話で持ち切りだと悪戯っぽく笑った。

 意外に広まるペースが速かったなと内心で胸を撫で下ろした源蔵だったが、しかし今後はこの状態を維持することに意識を向けなければならない。


「えっと、それで、ふたつ目っちゅうのは?」

「あ、そうそうそう……梨田さんと詩穂ちゃんです。あのふたりも、いつの間にか付き合ってたんですね」


 康介と詩穂の同僚カップル誕生については、もう少し早い段階で噂になり始めていたのは源蔵も把握していたが、遂に丸の内オフィスにも伝わったということか。

 ところがここで源蔵は、予想外のひと言を聞かされた。


「実はあたし、見ちゃったんですよね……あのふたりがホテルから出てくるとこ……」


 僅かに声を潜めて周囲を警戒しながら、源蔵だけに内緒話を聞かせる風を装った晶。

 これには流石に源蔵も驚きを禁じ得なかった。

 確かあのふたりは、偽装カップルとして付き合い始めたのではなかったか。

 だが、あり得ない話ではない。

 寧ろ自然な流れであったともいえるだろうか。


(そうか……あのおふたりさん、嘘から出た何とかってやつか)


 思い起こせばここ最近、仕事の上では互いに無関係を装っていた康介と詩穂だが、業務終了後には大体いつもふたりで一緒に退勤していたし、リロードでも随分仲良くしていた様に思う。

 最初のうちはカップルを装うだけだったのだろうが、そのうちお互いのことを知る様になって、もうそのまま付き合おうという話にでもなったのかも知れない。

 それはそれで、喜ばしい限りだった。


(まぁ……あのふたりなら公私混同することもないやろし、エエ流れになってきたんとちゃうかな)


 そんなことを考えながら源蔵は、太い腕を組んでうんうんと軽く頷いた。

 逆に晶は、羨ましいなぁと大きな溜息を漏らした。


「今の部署、確かにイケメンは多いんですけど、気になるオトコなんてひとりも居ないですし……美智瑠は美智瑠で両想いだったひとと再会出来たり……はぁ~あ、あたしにもイイ加減、春来ないかなぁ」

「こればっかりは流石に縁ですからねぇ」


 気の毒には思いつつも、しかし大丈夫だ、などとは軽々しくいえなかった。

 と、その時だった。


「おや、おふたり共、まだ残っていらっしゃったんですか?」


 玲央が室長室から出てきて、統括管理課のフロアーに顔を出した。

 彼も帰り支度を整えて覗き込んできたところを見ると、これから本社ビルを出ようとしているらしい。

 ここで晶が、周りで次々とカップルが成立してゆくものだから、悔しいという意味の台詞を苦笑しながら口にすると、玲央はならばとばかりに、


「じゃあ今日は、その愚痴を肴に一杯やりますか。楠灘さんも御一緒頂けますよね?」


 最後のひと言は半ば強制に近かったが、玲央の妙に茶目っ気のある笑みには逆らえなかった。


「はい勿論。御相伴に与らせて頂きます」


 この時源蔵はふと、或ることを思い出した。

 そういえば玲央も独身で、しかも今は付き合っている相手は居なかった筈なのだが、彼の恋愛遍歴は一体どうなっているのだろうか。

 そのことについても、この後じっくり聞いてやろう――源蔵は腹の内でそんな悪だくみを考えてみた。


「あれ……何だか楠灘さん、悪そうな顔してますね。何か変なこと企んでませんか?」

「ははは……バレましたか。後でじっくりお話しましょう」


 源蔵は敢えて隠すことも無く、剃り上げた頭を掻いた。


「あ、そうそう……雪澤さんから異動願が出るって話が来ました。これで来月からは長門さんとおふたりで、楠灘さんの統括管理課で御活躍頂けますね」


 そうか、遂に美智瑠も決心したか――源蔵はつい嬉しくなって、頬が緩んだ。

 この後三人は、連れ立って会社近くの高級寿司店へと足を運んだ。玲央の奢りだという話だった。


◆ ◇ ◆


 ところが数日後、ちょっとした驚きのニュースが源蔵の耳に飛び込んできた。

 あの後、玲央と晶が酔った勢いでホテルへと雪崩れ込み、そのままの流れで付き合ってみようかという話になったらしい。

 これは玲央自身から聞かされた話だから、間違いの無い事実なのだろう。

 尤も、他には絶対漏らしてくれるなと強い調子で釘を刺されたから、きっと当分の間は秘密で押し通す腹に違いない。


(春ですなぁ……)


 そんなことを思いながら、源蔵は少しずつ暖かみが増してきた陽光を窓の外に眺めた。

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