71.バレてしまったポテンシャル
窓から射し込む陽光を受けて、源蔵はうっすらと瞼を開けた。
いつもとは違う天井が視界の中にある。
一瞬記憶が混乱しかかったが、ここがリロードの二階住居部であることをすぐに思い出した。
それにしても、全身に纏わりつくこの違和感は何だろうと思ってよくよく考えてみると、何も身につけずに布団の中に潜り込んでいることに気付いた。
が、それと同時に妙な感触が隣に張り付いていることを認識した。
「……?」
何気に面を巡らせると、操の美しい寝顔が傍らにあった。
(え……ちょっと待って。これどういうこと?)
源蔵は慌てて上体を起こした。その拍子に、掛布団と掛毛布が一緒になってめくれてしまった。
その瞬間、更に驚きの光景が目の前に現出した。
操が同じ布団の中で、全裸で横たわっていたのである。
その余りに美しく艶めかしい姿に、源蔵は半ば反射的に掛布団を元の位置に戻し、操の白い裸体を隠した。
この一連の所作を受けて、どうやら操も目が覚めたらしい。薄く瞼を開け、にっこりと微笑んできた。
「おはようございます、楠灘さん」
妙に艶っぽい声音に、源蔵は一瞬思考が吹っ飛びそうになった。
そしてもう一度考える。一体これはどういう状況なのか、と。
しかし、起こり得た可能性はひとつだけだ。成人男女が裸体でひと組の寝具の中で一緒に居たということは、もう他に考えられない。
源蔵はしばし呆然と宙空に視線を漂わせていたが、やがて気力を振り絞って未だ枕に顔を半分埋めている操へと目線を下ろした。
「あのぅ……つかぬことをお伺いしますが、昨晩僕は一緒にお酒飲んだ後、何してました?」
「え……もしかして……覚えてないんですか……?」
恐る恐る訊いた源蔵の声に、操も漸く状況を理解したらしく、ゆっくりと上体を起こした。流石に剥き出しの乳房をそのまま凝視する訳にもいかず、源蔵は何気ない仕草で視線を正面の壁に戻す。
一方、操はその端正な面が見る見る内に申し訳無さを示す色へと変じていき、両掌を柔らかな頬に当てて狼狽え始めた。
「やだ……御免なさい! わたし、てっきり楠灘さんもそういう気持ちになってくれたのだとばっかり……」
ますます意味が分からない。何故ここで操が謝罪の意思を示すのか。
普通こういう場合、源蔵が頭を下げる場面ではないのか。
「えぇと……もしかせんでも、僕と神崎さん、シちゃいました?」
「あ、はい……そう、ですね……ヤっちゃいました……」
恥ずかしそうに視線を落とす操の隣で、源蔵は思わず天井を見上げた。
何も覚えていない。一緒に酒を酌み交わしていたところまでは記憶に残っているのだが、そこから先、朝になって目を覚ますまでのことが何ひとつ思い出せなかった。
だがここで源蔵が気にすべきは、ただひとつである。
彼はすぐに真剣な面持ちで操に面を返し、上目遣いで見つめ返してくる美貌をじっと凝視した。
「これだけは確認させて下さい。僕が無理矢理、迫ったんですか? 神崎さんの意思を無視して、僕が自分の欲望だけに走って強引に事に及んでしまいましたか?」
「え……いえ、全然、そんなことは無かったです。だって……お誘いしたの、わたしの方ですし……」
思わぬひと言が返ってきて、源蔵は我知らず眉間に皺を寄せた。
自分からいい寄ったのではなく、操の方から抱いて欲しいと願って来たというのだろうか。本当にそんなことがあり得るのか。
ちょっと俄かには信じ難い応えだった。
「神崎さん……あの、気ぃ遣わんと正直に答えて欲しいんです。僕はリロードのオーナーで、神崎さんは被雇用者です。僕がその上下関係を利用して肉体関係を迫ったとなったら、これはよぅ考えないかん事態なんです。なので嘘偽り無く答えて下さい。ホンマに僕が無理矢理、神崎さんに迫ったんではないんですか?」
「いいえ、それは違います。それだけは絶対、自信を以てお答え出来ます」
この時の操は妙に熱っぽい表情で、真剣な眼差しを返してきた。
彼女がここまでいうのならば、それは事実なのだろう。
これ以上操の言葉を疑うのは、却って失礼でもある。
源蔵は幾分ほっとした表情で僅かに胸を撫で下ろした。少なくとも、肌を合わせようとなった時点に於いては操の意思を蔑ろにした訳ではなさそうであった。
彼女を傷つけずに済んだのは不幸中の幸いだった――源蔵は己の記憶が飛んでしまったという失態を犯しつつも、操の人格を否定する様な真似をしなかったことについてだけは安堵の吐息を漏らした。
すると操は、源蔵の太い腕にしがみついてくる様な格好で、柔らかな裸体を押し付けてきた。
その面には嬉しさと安心感を漂わせる笑みが浮かんでいる。
「楠灘さんって、本当にお優しいんですね……」
「いやいや、そんなん当たり前の話ですよ……僕は神崎さんを傷つける様な真似だけは絶対、しとうないんで……」
源蔵は自分でも分かる程に情けない顔を操に返した。
幸せそうに微笑む操の顔とは、まるで対照的な表情だった。
「いやぁ、けどダサい話やわ……童貞卒業の瞬間の記憶が何も残ってへんなんて……」
「それはまぁ、残念かも知れないですけど、わたしは、その、ちゃんと覚えてますから……」
はにかんだ様子で頬を掻く操。
そんな彼女の反応に、源蔵は考え込んでしまった。
これはちゃんと女性を経験したと理解して良いのだろうか。それともノーカン扱いにすべきだろうか。
酔っていたとはいえ、そして記憶が無いとはいえ、事実は事実だからカウントに入れても良い様な気もするのだが、どうにも釈然としない。
「でも楠灘さんって、本当に今まで、他のひとと寝たことって無かったんですよね?」
「え? そりゃまぁその通りですよ。ホンマに経験ゼロでしたから」
そんな源蔵の応えに、操は本当にそうなのかと若干疑う様な視線を返してきた。
「それにしては、何っていうか、その……凄く、お上手だったっていうか……正直、今までの元カレなんかよりも凄く良かったっていうか……わたし、あんなに興奮したの、初めてでしたし……」
この時、再び源蔵の頭の中が真っ白になりかけた。
(え……何いうてはんの、このひと)
まさか自分に、そんなポテンシャルが秘められていたというのだろうか。
どうにも信じられない話であった。




