66.バレてしまった毛深さ
バレンタインデーを目前に控えた平日の夜。
源蔵は自宅キッチンで、美月のお手製チョコレート作りの補助に入っていた。
美月は母、真奈子の余りに身勝手な行動の犠牲となってまともな高校生活、普通の青春を過ごすことが出来なかった為、バレンタインの様なイベント事にはまるで縁が無かったらしい。
(こんな可愛らしい顔してんのに、勿体無い話やなぁ)
気の毒には思ったが、敢えて口には出さない。美月にわざわざ嫌な過去を思い出させる必要などは無く、今、この時間を楽しむことに専念させてやりたかった。
一方で源蔵もその容姿が容姿だった為に、学生時代はバレンタインなどこれまた同じく無縁だった。
社会人になってからも、会社で女性社員らが配布する義理チョコをおこぼれ程度に摘まむぐらいの機会しか無かったのが現状である。
その為、本格的に手作りチョコレートに挑戦する美月の姿が余りに新鮮だった。
(ホンマやったら、こういうのをもっと早いうちに経験しときたかったんやろうなぁ)
そんなことを思いつつ、源蔵は調理師としての知識をフルに活かして、美月のお手製チョコレートに様々なアドバイスを加えて、その完成度を高めていった。
そうして挑み続けること二時間、漸くひとつの作品が完成した。
「ふぅ~、やったやったぁ。見てお父さん、これ、すっごく良くない?」
「うん、エエと思うよ。これやったら誰が貰ても喜ぶやろなぁ」
源蔵からの太鼓判に、手放しで喜ぶ美月。
こういう姿を見ると、矢張りまだまだ年相応の女子だな、とも思う。少し遅くはなったが、これから彼女にも人生の楽しみをもっともっと謳歌して貰いたい。
それにしても、調理プレートに乗せられたカラフルなチョコレートの数々を、一体誰に渡すつもりなのだろうか。
源蔵の知る限り、美月の周辺には然程に男性の数は多くなかった様な気がするのだが。
そんな意味のことを源蔵が訊くと、美月はさも当然とばかりに、
「そんなの決まってんじゃん。まず一番はお父さんでしょ。それから徹平君、梨田さん、白藤室長……」
と指を折りながら数えてゆく。
思わず眉間に皺を寄せて小首を傾げた源蔵。
「え、どーゆーこと? んじゃあ僕は、自分で貰う為のチョコレートの作り方を、隣でずーっと教えとった訳かいな」
「うん、そうなるね」
あっけらかんと答える美月に、源蔵は妙な脱力感を覚えて、はぁそうですかと頷くしか無かった。
「あ、でもね、友チョコの分もあるから、もっともっと作んなきゃ」
「最近、よう聞くな、それ」
女子同士の間で渡すチョコも、最近はすっかり当たり前の風潮になっている。寧ろ、同じ女性に渡す物の方がやけに豪勢だったりするケースもある。
美月の様子を見ていると、リロード常連の女性達や操、或いは冴愛に渡そうとするチョコレートの方が遥かに気合が入るのではないかとも思えた。
「ほんなら、僕はもう寝るで。美月もあんまり遅くまでやりなや」
「うん、分かったー」
バレンタインデーまでには、まだ少し時間がある。
美月のチョコレート作りはもうしばらく続きそうであった。
◆ ◇ ◆
ところが迎えたバレンタインデー当日には、結局源蔵はチョコレートを貰うことが出来なかった。
実は前日から、まさかのインフルエンザ発症で寝込んでしまったのである。
幸い美月は予防接種を受けていたから源蔵から感染することは無かったらしいのだが、源蔵は仕事やその他諸々の多忙で結局接種の機会を逸していた為、ものの見事にウィルスにやられてしまった。
発熱が始まったのは一昨日の深夜で、その翌日に病院へ駆け込んでインフルエンザと診断された源蔵。
しかしバレンタインデー当日には重要な会議やその他諸々の打ち合わせがどうしても外せなかった為、高熱に耐えながらも在宅勤務で何とかそれらの予定をこなすことにした。
そして仕事用のPCは源蔵のベッドルームに据え、源蔵自身は宅内を徘徊する様な真似は徹底して控えた。
「ねぇお父さん、本当に大丈夫?」
時折美月が様子を見にくるものの、源蔵はその都度、心配するなと彼女を室外に追いやった。
「お願いだから、無茶だけはしないでね……」
顔を出すたびに不安げな表情を覗かせる美月。彼女の気遣いは有り難くはあったが、源蔵も統括管理課の課長という立場上、どうしても外せない会議というものはある。
出席者らからも心配する声が幾つも上がってきたが、源蔵は兎に角最後までやり切ることだけに専念した。
そうして何とか、絶対に必要な会議や打ち合わせだけを終えて、作業用チェアーに上体を預けた源蔵。
流石に疲れた。
(ちょっとこの土日は、ゆっくりせんと拙いな)
この後、しばらく意識が飛んだ。
高熱と蓄積した疲労が一気に襲い掛かってきた様だ。
仕事の方は或る程度の目途は立っているから、このまま朝まで眠り込んでも問題は無いだろう。
ところが、次に目を覚ましたのはその日の宵だった。
様子を見に来た美月が驚いた様子で声を裏返し、源蔵を何とかベッドに運ぼうとしているのだが、彼女の細い二の腕では源蔵の巨躯を支えるのはほぼ不可能だった。
「お父さん、しっかりして! ねぇ、お父さんってば!」
「……あぁ、御免ごめん。ちょっと寝てた」
何とか自力で立ち上がった源蔵。
対する美月は涙目にはなっていたが、源蔵が意識を取り戻したことで幾分ほっとした表情を見せていた。
「んもう……びっくりさせないでよね。マジで焦ったんだから……」
尚もぶつぶついい続ける美月に、源蔵は苦笑を返した。
ここまで自分のことを心配してくれる存在は、親や親族以外にはなかなか居なかった為、彼女の真剣な表情がどこか新鮮に思えた。
「あ、それでさ、操さんとか詩穂さんとか、一杯お見舞いに来てくれてるよ。チョコレートも置いてってくれてるから、元気になったら食べてあげてね」
「わざわざ、申し訳ないなぁ……」
源蔵は神妙な面持ちで剃り上げた頭を掻いた。
そんな源蔵に対し、美月は漸く笑みを浮かべた。
「それだけお父さんが、たくさんのひとに慕われてるってことだよ。日頃の行いってやつだね」
「全然慣れへんなぁ」
今までが今までだから、どうにもむず痒い。
明日辺り大雪でも降るんじゃないかと思ったが、下手に口走ると自分を卑下するなと美月に叱られそうな気がした為、そこは敢えて黙っていた。
「お父さん、汗凄いね……後でうちが、拭いてあげる」
「えー……自分でやるから、エエって」
源蔵が渋ると、美月は駄目だやらせろと強引に迫ってきた。
「お父さんの裸なんて中々見られないんだから、観念しなさい! こんなチャンス滅多に無いんだし」
「マジか……」
今まで女性の前では自身の裸体などほとんど全く披露したことが無かった源蔵。
体型には自信があるものの、変なことをいわれたりしないか、少し不安だった。
「ちなみにやけど、僕、一部ちょっと毛深いよ」
「わー、それはそれでどんなのか、ちょっと楽しみー」
ドン引きさせて美月の出鼻を挫いてやろうと思ったが、それも失敗してしまった。




