63.バレてしまった迷惑客
週が明けて二月に入り、その最初の月曜日。
源蔵が節分イベントとして恵方巻や鰯料理を出しているリロードに立ち寄ると、操がいきなり歩を寄せてきて小声で問いかけてきた。
「楠灘さん……他所で出禁を喰らったそうですけど、何があったんですか?」
「あー、あの件、もう耳に入ったんですか……」
源蔵は苦笑しながら剃り上げた頭を掻いた。
先週末の土曜日、美月を連れて真奈子と秀介の両名と対峙した、都心部某所のカフェチェーン店での出来事を指しているのだろう。
あの時、真奈子がやたらと激高しまくり、周囲の客が眉を顰める程の騒ぎっぷりだった。
源蔵は別段声を荒げる様な真似はしなかったものの、矢張り一緒のテーブルで同席していた以上は、同じグループの客として目された様だ。
そして真奈子の傍若無人な騒ぎ方に対して他の客から店にクレームが入ったらしく、源蔵がレジで精算を済ませる際、しばらく同店には顔を出すなと釘を刺されてしまった。
その情報が、商工会議所を通じて操の耳にも入ったものと思われる。
いずれ遠からず操にも知られてしまうだろうとは思っていたが、まさかこんなに早く伝わってしまうとは、少し予想外だった。
「いや、実はですね……」
正直なところ、話すべきかどうか迷った源蔵だったが、操にだけは伝えておこうと腹を括った。
美月に対しては後で謝っておくしかない。
源蔵は細かい部分は多少ぼかしながら、真奈子と美月を引き合わせ、そこで少しばかりトラブルになって他の客にも迷惑をかけた旨を手短に話した。
「そんなことがあったんですね。だから美月ちゃん、あんな顔してたのか……」
「美月、今日来てたんですか?」
源蔵が問い返すと、どうやら美月がふたり分の恵方巻と鰯料理をテイクアウトで買いに来たらしい。
恐らく今夜、源蔵とふたりで食べようという意図なのだろう。
そして操に代金を支払う際、美月はいつもの様に笑顔を見せていたのだが、何かの拍子でふと、沈んだ表情を浮かべていたのだという。
それも仕方が無いかと源蔵は腕を組んだが、しかしここで聞いた話は一切胸の内に収めておこうとも考えた。下手に美月の前で口にすれば、余計な気遣いを彼女に強いることになるだろう。
「楠灘さんも、色々気苦労が多いかと思いますけど……余り無理はしないで下さいね」
「もうしばらく何ぞある様な気もしますけど、そうですね……あんまり気ぃ張らん様にしときます。すみませんホンマ、色々気ぃ遣うて貰て」
頭を下げる源蔵に、操はただ心配そうな表情で僅かに微笑むばかりだった。
源蔵自身も分かってはいる。
もしも自分が倒れてしまえば、美月を守る者が誰も居なくなる。勿論操や他の面々が支援はしてくれるだろうが、最後に砦となるのは矢張り源蔵なのだ。
無茶のしどころというものもあるのだろうが、それは今ではない。
ともあれ、ひとまず今日のところはリロードの様子を見るだけ見て、後は操や冴愛達に任せて帰宅しようとした源蔵。
ところがその背中に、操の声が追いかけてきた。
「ところでお話変わりますけど、バレンタインはどうなさいます?」
「あー、それね。僕も一応厨房に入るつもりではいたんですけど、その日は会議が重なってて、来られへんかもですわ」
そこで源蔵は、美月を手伝いに来させるつもりだと言葉を重ねた。
実際美月は、少し前からリロードのカウンター裏や厨房で臨時アルバイトという形でちょくちょく顔を覗かせている。
調理師学校入学前だから余り頻繁には足を運ぶことは出来ないが、入学後の時間が空いている時には、本格的にリロード厨房で働くことも視野に入れているらしい。
「まぁそれなりに出来る様になってきてるんで、気兼ねなくこき使ってやって下さい」
「はい。頼りにしています」
その時、ドアチャイムが鳴って賑やかな声が連なった。
美智瑠と晶が、連れ立って入店してきた。
「あー、楠灘さん居たー」
「センセ、こんばんは」
どうやらこのふたりも、恵方巻と鰯料理のテイクアウトを取りに来た模様。
操がカウンター裏に下がってふたりの為の準備に着手する間、美智瑠が嬉しそうな笑みを浮かべて源蔵にすり寄ってきた。
「楠灘さん、決まりました。アタシと晶、来月の後半に昇進します」
「でもって総合開発部には、四月の頭から戻れそうです」
ふたりの説明によれば、主任への昇進が三月後半入ってすぐの時期で、そこからしばらく引継ぎ期間を置いてから、年度が変わる四月一日から源蔵が課長を務める統括管理課へと異動することになるらしい。
既に美智瑠も晶も、ファッションインフォメーション課の課長には異動願を出すことを事前に知らせているのだという。
であれば、近いうちに源蔵に対しても玲央から人事異動の通達があるだろう。
「おふた方のポストは、もう考えてあります。すぐ忙しくなりますからね」
「あははは……いきなりですねぇ。でも楽しみです」
源蔵の予告に、美智瑠は嫌な顔ひとつ見せずに笑みを返した。
晶も、任せて下さいとばかりに胸を張る。
「でも早菜ちゃんだけ、取り残されちゃうんだよね?」
美智瑠と晶それぞれに恵方巻と鰯料理のテイクアウトを入れたレジ袋を手渡しながら、操がほんの少しだけ気の毒そうな色を浮かべた。
実際、早菜は今のところトータルメディア開発部に於いては目を引く様な結果を出していないのだが、彼女はまだ二年目ということもあり、流石に昇進の話は早過ぎる。
もう少し、鍛えて貰った方が良いだろう。
「じゃあ楠灘さん、行きますか。美月ちゃんも待ってるだろうし」
「え、今からうち来るんですか?」
思わず訊き返した源蔵。
晶が、既に美月には連絡を入れていると当たり前の様に答えた。
「知らんかったん、僕だけですか……」
源蔵は微妙な表情を浮かべた。




