52.バレてしまった同属意識
その日の夕食は美月がまだ病み上がりだということも鑑みて、比較的胃腸に優しいものを選んで用意した。
野菜中心でなるべく塩分を抑え、消化の良い食材を揃えた源蔵。
美月は相変わらず表情は硬かったものの、その食いっぷりは決して悪くなかった。どうやら、彼女の口には合ったらしい。
(顔色も悪くなさそうやな……この調子でもうちょい、様子見るか)
源蔵は食後のコーヒーをすすりながら、美月の端正な面をちらりと盗み見た。
初めて彼女と会った時は全身が薄汚れていた上に悪臭も酷かった為、正視するのも中々難しい状況だったのだが、今は違う。
入浴を終えてすっかり身だしなみを整えた彼女は、19歳とは思えぬ程の大人の色気を漂わせる相当な美貌の持ち主だった。
流行りのコーデとメイクで綺麗にドレスアップすれば、読者モデルとしても十分に通用するのではないかとすら思えた。
ところが、その美月がふと箸を止めて、何かを思い出した様子で源蔵の強面を見つめてきた。
「あのさ……うち、まだやることがあって……その、お母さんが残した借金を返さないと……」
「あぁ、それなら僕の方で立て替えておきました。あんな程度の低い連中にうろつかれたら、近所迷惑になりますんで」
源蔵は美月が入院している間に、彼女のアパートのポストに大量に突っ込まれていた督促状から、美月の母が複数の消費者金融に500万を超える借金を抱えていることを知った。
それらを全て、源蔵は一気に返済した。勿論、利子と元本含めてだ。
そうしておかないと、取り立て屋が源蔵の自宅マンション周辺を徘徊する恐れがあった。そんな連中に嗅ぎ廻られるのは源蔵としても決して気持ちの良い話ではなかった。
「それじゃ、今の債権者は楠灘さんって訳だね……」
「出世払いで宜しいですよ。別に500ぐらい、僕的にはどうでも良いんで」
その瞬間、美月は怒りと嬉しさと困惑が複雑に絡み合った表情で目線を落とした。
どれだけ必死に働いても返せなかった借金を源蔵が一括で突き返し、しかもその金額をどうということはないと彼が口走ったことで、美月は自身の苦労を侮蔑されたとでも思っているのかも知れない。
それならそれでも構わない。
源蔵は美月の友人でもなければ恋人でもない。ただ、己の自己満足で助けてやっただけの相手だ。感謝など、端から求めていなかった。
その後、夕食を終えて洗い物を片付けた源蔵はリビングのソファーに寝そべってスマートフォンを弄っていたのだが、螺旋階段を降りてきた白い裸体に思わず手を止めてしまった。
美月が黒いレースのブラジャーとミニショーツだけを纏った姿でリビングに下りてきたのである。
しかも彼女はそのまま、源蔵が横になっているソファーへと近付き、源蔵に覆い被さろうとした。
そんな美月を源蔵は手で制した。
「……何やってはるんですか」
「えっと……だから、その、御礼」
源蔵は勢い良く上体を起こし、美月を半ば跳ね飛ばす様な格好でソファーの端に座らせた。
美月は怪訝そうに眉根を寄せている。
「ひとつ訊きますが、そういう行為を今まで、不特定多数の男に対して繰り返してましたか?」
「……うん」
その応えに、源蔵は大きな溜息を漏らした。
まだ19歳という若さでありながら、母親の借金に苦しんだ挙句、体を安易に開いてしまうことにすっかり慣れてしまった現状を、果たしてどう捉えるべきか。
しかし下手に綺麗事を並べたところで、彼女は納得しないかも知れない。
源蔵は、ここは敢えて心を鬼にして突き放すことにした。
「性病の検査はやってますか?」
「え……そんなの、やったことない……」
これは都合が良いと源蔵は内心で頷いた。
対する美月は、尚も綺麗な形の柳眉を歪めたまま、源蔵の渋い表情を見つめてくる。
「僕ね、こう見えても一応会社では責任のある立場なんで、そういうヤバいひととは安易にヤろうって気にはならんのです。蕗浦さんにとっては普通のことかも知れませんが、僕にとっては迷惑なので、今後一切、そういうのはやめて下さい。良いですね?」
「嘘……だって、オトコって皆、どうせカラダ目当てなんじゃないの?」
その瞬間、源蔵の脊髄に電流が走った様な衝撃が走った。
そして同時に、悟った。
(そうか。この子は……僕と、同じなんか)
全ての女性はどうせ、オトコの顔しか見ていない。
その源蔵の思考と同じだ。
全ての男性はどうせ、オンナのカラダしか求めていない。
性別と、求める部位が異なるだけで、発想は全く瓜ふたつだった。
この時源蔵は、美月に或る希望を見出した。
(この子がオトコに対する意識を変えて、彼女なりの幸せを掴んでくれたら……僕が自分にかけた呪いも、消えるかも知れん)
だがその前にまず、源蔵と美月の関係をはっきりさせておく必要がある。
その為にはお互いに冷静にならなければならない。
「蕗浦さん、ちょっと話があります。今すぐ、服着て戻ってきて下さい」
源蔵の言葉の意味が、よく分からないといった様子で首を傾げている美月。
その彼女に源蔵は同じセリフを繰り返した。
「あ……うん、分かった……」
美月はすっかり拍子抜けした様な顔つきで、螺旋階段を小走りに駆け上っていった。
それから数分後には、グレーのスウェットジャージを纏い、ルームヘアバンドで前髪を押し上げた状態で戻ってきた。
源蔵はディナーテーブルで差し向かいに座る位置を取り、真剣な面持ちで美月に顔を寄せた。
「蕗浦さんは将来、何になりたいですか?」
「え……将来? いきなり、何の話?」
困惑する美月に、源蔵は兎に角正直に答えろと迫った。
「えっと……馬鹿かコイツって笑われるかもだけど……うち、将来は、シェフになりたかった」
悪くない――源蔵は軽く拳を握ると、自身が調理師免許を持っている旨を告げた。
すると美月は、目を丸くした。が、全く信じていないという様子でもない。
先程源蔵が供した夕食は、それなりの味だった筈だ。そこで納得したのだろう。
「蕗浦さんさえその気があるなら、調理師の専門学校に通ってみる気はありませんか?」
「それは……そう出来るんなら嬉しいけど……でも、何で? どうしてそこまで、うちのこと……」
困惑が隠せない美月。
そんな彼女に、源蔵は大きく破顔した。
「蕗浦さんが僕と同じやったからです。あ、勿論顔とか全然レベチですけど、その、異性に対する考え方が全く一緒で、そこに親近感を持ってしまいました」
だから、美月の人生を応援してやりたくなった。
源蔵は己の考え、経験、そして異性に対する先入観や拘りなどを、この場で一気にまくし立てた。
対する美月は半ば呆然と、源蔵の言葉に聞き入るばかりだった。




