49.バレてしまった恐怖心
翌日、源蔵はなかなかキツい二日酔いに悩まされながらも辛うじて出社した。
昨晩彼は、操の両親からの、
「うちの娘はどうですか」
という凄まじく熱意のこもった攻勢に随分と手を焼かされた。
そこで源蔵はもっとお互いに、よく知り合った上で意見を交わしましょうと申し入れ、近くの居酒屋で酒を酌み交わすという手段に出た。
源蔵は然程に酒が強いという訳でも無かったが、それでも操の父や操本人に比べれば酒量は多く嗜める方で、このふたりを何とか酔い潰すことに成功した。
今回、操が両親と顔を合わせた理由はただひとつ――彼女が今後も親元を離れたまま、リロード経営を続ける名目を立たせることが出来るか、である。
そういう意味では操はしっかりと目的を果たした。
芝居ではあったが、隆輔という恋人が居るという時点で彼女の両親は一旦は安心し、引き続き操に今の生活を認めてくれたのである。
その後に、源蔵を操の結婚相手として考えて欲しいなどといい出してきたのは完全に蛇足だったが、それでも辛うじて当初の目的は達成出来たのだから、昨晩の成果としてはまずまずであろう。
そして源蔵を操の夫にと変な方向に息巻いた操の父親に対しては、酔い潰させた上で翌朝、即ち今日の朝早くに帰郷させることが出来たのは源蔵としても僥倖だった。
しかし、次もまた同じ手が通用するかどうかは分からない。
(神崎さんの御両親とは、なるべく顔合わせん様にせんと拙いよな……)
もっといえば、操自身も何故か源蔵との結婚話に否定的ではなかったのが少し気にかかる。
今の操は完全にフリーな訳だから、立場上は源蔵と恋仲に落ちたとしても道義的な問題は生じない。
が、源蔵自身に操と付き合いたいか、付き合っていけるかという問題があった。
(神崎さんは綺麗なひとやし、そらぁカノジョに出来たら嬉しいんやろうけど……)
源蔵としても、本当にひとりの異性として付き合えるというなら、願っても無い話だった。
勿論それは、自身が不細工でなければという点が加味されて初めて成立する話ではあるのだが。
昨晩、酒の席で操はかなり酔っ払った状態ではあったが、源蔵に対して、
「私じゃダメなんですか?」
と何度も訴えてきていた。
源蔵の本音からいえば、悪い筈が無かった。寧ろ、操を自身の恋人に迎えられるのであれば、こんなに良い話は無いだろうとも思った。
ところが同時に、或る恐怖が彼の中に過っていた。
(やっぱり後になって、不細工と付き合うのは嫌やから別れましょう、なんていわれた日にゃあ、僕はもう多分二度と立ち直れんやろうな)
結局のところ、源蔵が女性と付き合おうという気分になれないのは、この恐怖心が常に自身の奥底に横たわっているからであった。
己に外見以外の何らかの落ち度があるのなら、それは自身の努力で直そうという意思を持つことが出来る。
しかし外見が理由で別れを持ち出されたら、これはもう対処のしようが無い。
だから、恐ろしいのだ。自分の力ではどうしようも無い理由で突き放される訳だから。
ここ最近、操に限らず、何人かの女性が源蔵にアプローチを仕掛けてきているのは何となく雰囲気で分かっていた。
彼女らはきっと本気で、源蔵を異性として魅力的に感じてくれているのかも知れない。
そこが逆に怖かった。
源蔵に対して魅力を感じなくなった瞬間、その時に、矢張り不細工が原因で別れを告げられたらと思うと、もうそれだけで何もかもが恐ろしくなってしまう。
だから源蔵は、操も、美智瑠も、或いは晶も、ひとりの異性として見ることを己に禁じていた。
好きになってしまったが最後、彼女らに突き放された時に自分が平静で居られるのか、全く自信が無かったからだ。
(重いなー……僕めっちゃ重過ぎるよなー)
しかし、今更変えられない。
過去三度の手酷い失恋から、すっかり臆病に、すっかり重たい人間になってしまった。
これを覆すのは、余程の事態が無ければ無理であろう。
(昨日の今日やし、当分リロードにも行かんとこかな)
自身の課長席に腰を落ち着けて未決箱から何枚かの文書を取り出しながら、源蔵は我知らず深い溜息を漏らしていた。
◆ ◇ ◆
それから数日程が経過した頃、美智瑠と晶、早菜の三人から飲みに行こうと誘われた。
特に断る理由も無かった為、源蔵は駅近の居酒屋で彼女らと合流した。
そしてある程度酒が廻ってきたところで、不意に美智瑠が、操との両親の話はその後どうなったのかと問いかけてきた。
源蔵は危うくビールを噴き出してしまうところだった。
「え……ちょっと待って下さい。どっからその話聞いてきたんですか」
「どこも何も、操さんから直接聞いたんですよ」
グラスを傾けながら、しれっと答えた美智瑠。
どうやら操が、リロードに顔を見せなくなった源蔵に不安を抱いたらしく、美智瑠や晶に自身の両親が源蔵と顔を合わせ、しかも父親が源蔵を結婚相手に望んでいるという意味のことまで話していた様だ。
これはもしかして、外堀を埋められ始めたのではないかと勘繰った源蔵。
恐らくその予測は正しいだろう。
しかし何故、美智瑠や晶だったのか。その点がよく分からない。
「えー、そりゃやっぱり、アタシも晶も楠灘さんを狙ってるからじゃないですかねー?」
あっけらかんと答えた美智瑠。
源蔵は愕然としたまま、箸の動きを止めてしまった。
「それって、どういうことなんですか?」
「どうもこうも、アタシも晶も、どうすれば楠灘さんオトせるか、結構必死になって考えてるんですよ?」
まさかの応えに、源蔵は一瞬パニックになりかけた。
そんな源蔵に晶が、その美貌を困った様な色に染めて首を傾げてきた。
「でもセンセ、すっごいガード堅いじゃないですか。だからあたし達、ライバル同士ですけど一時休戦して、どうすればセンセが心を開いてくれるかっていうことで協力しましょって話になってるんです」
とんでもない台詞が飛び出してきた。
源蔵の知らない間に、そんな会話が交わされていようとは。
「ぶっちゃけ、楠灘さんをフったっていう三人の女のひとに、アタシらめっちゃムカついてんですよね。そのひと達の所為でアタシ達、こんなに苦労させられてる訳で……」
美智瑠が心底不機嫌そうな様子で唇を尖らせた。
「多分、楠灘さんはビビっちゃってるんですよね? 次またフラれたら、どうしよーって……でもその気持ち、アタシらが非難する訳にもいかないんですよね。それだけ楠灘さんが今まで酷い目に遭わされてきたってことですから。だからアタシらも考え方、変えたんです。一体どうしたら、楠灘さんがアタシらを信じてくれる様になるかな、って」
頬を幾らか上気させて、じぃっと見つめてくる美智瑠。
源蔵は居たたまれない気分ではあったが、しかし美智瑠達が決して冗談ではなく、本気で源蔵からの信用を勝ち得ようとしているのも何となく理解出来ただけに、逃げる訳にもいかなかった。
そこで源蔵は、自身が抱えている恐怖心を素直に語った。
美智瑠、晶、早菜の三人は真剣な面持ちで、源蔵の言葉に耳を傾けていた。
「うーん……やっぱ、そうだったんですね。でも、分かります。私が楠灘さんの立場なら、きっとおんなじ風に考えてたと思いますから」
早菜が納得した様子で頷き返してきたが、その一方で源蔵は内心、酷く情けない気分だった。
(僕はこのひとらに、何を相談しとんのやろ……)
とはいえ、白状してしまった以上はもう今更言葉を覆す訳にもいかない。
そして源蔵自身も、己の恐怖を認めた上で今後、彼女らと向き合っていかなければならない。
これは恐らく、避けては通れない道なのだろう。




