47.バレてしまった老齢婚への希望
翌日、夜。
閉店したリロード店内は、一カ所を除いては闇に覆われている。
その唯一例外の箇所、即ち店内照明に照らされた壁際の三人掛け丸テーブルで源蔵、操、隆輔の三人がそれぞれ席に就いていた。
「そうか……操の御両親が来週、こっちに来るのか」
あらかた説明を聞き終えた隆輔は幾分困惑した様子で、ぎこちない笑みを浮かべた。
操は沈んだ表情でテーブル上に視線を落としたまま、小さく頷き返す。
そして源蔵は、その操に改めて問いかけた。
「神崎さんはこの先もリロードを続けていきたいんですよね?」
「はい、それは、その通りです」
操は表情こそ暗いものの、源蔵のその問いに対しては明確な意図を持って首肯した。
であれば、何も悩む必要はない。隆輔を恋人役に仕立てて、操の両親への対応に当たるべきだ。
「でも、本当にそれで良いんですか? 俺は、その、一度操に……」
「この際、四の五のいうてられる場合やないでしょう。藤浪さんも、神崎さんのリロード経営をこれからも応援していきたいんですよね?」
源蔵が隆輔の端正な顔を覗き込むと、隆輔はそれはその通りですと、こちらも肯定の意を示した。
ふたりの意思がここまで明確ならばやるべきことは、もうひとつであろう。
にも関わらず、操は尚も渋っている様子を隠そうともしなかった。一体何が気に入らないというのか。
「その……俺からいうのも何ですが……カレシ役は楠灘さんでは駄目なんですか?」
「藤浪さんも僕の顔を見慣れてしもて、ちょっと感覚がズレてきてるんかも知れませんね」
源蔵は丸太の様に太い腕を組んで、深い溜息を漏らした。
「僕のチンピラヤクザみたいなスキンヘッドと、普通にイケメンで普通に爽やかサラリーマンの藤浪さん……神崎さんの御両親が安心なさるんは、どっちですか?」
「いや、まぁ、その点については俺も楠灘さんと同意見ではありますけど……」
隆輔は何故か、操の何かいいたげな顔をちらりと見遣ってから、源蔵に視線を戻した。
「楠灘さんは、操の気持ちを考えてはあげられないのですか?」
「考えてますってば。神崎さんはこの先もリロードを守っていきたい。でもその為には御両親に安心して貰わんといかん。ちゃんと分かった上で、藤浪さんにこうして御足労頂いた訳ですよ」
するとどういう訳か、隆輔は盛大な溜息を漏らしながら大きくかぶりを振った。
それから彼は操に対し、
「済まない……ちょっと楠灘さんとふたりで話をさせてくれないか」
と気の毒そうな表情でその様に申し入れた。
操は一瞬心配そうな顔つきで源蔵と隆輔の面を交互に見比べたが、やがて彼女は隆輔の意を汲んだのか、小さく頷いてカウンターの方へと遠ざかっていった。
隆輔は操がカウンター前のストゥールに腰を落ち着けたことを確認すると、改めて源蔵に向き直り、幾分腹立たしげな様子でずいっと上体を押し出してきた。
「楠灘さん……女心を分からないにも、程があるでしょう。どうして貴方はそこまで鈍感なんですか」
「急にどないしたんですか」
源蔵は眉間に皺を寄せて、隆輔の整った男前な容貌をじぃっと見つめ返した。
そんな厳輔に、隆輔はどうしたものかといった様子で考え込んでしまった。
「じゃあもう、俺の口からはっきりいいます。正直、認めたくないし悔しい限りなんですが……楠灘さん、操はね、貴方のことが好きなんです。貴方に惚れているんです。あんなに分かり易い態度で見え見えの好意をちらつかせているのに、どうしてそれが分からないんですか」
源蔵は頭の中に、幾つもの疑問符を並べた。
隆輔は急に面倒な話を押し付けられたから、思考が錯乱しているのではないだろうか。
「いきなり何をいい出すかと思たら……んな訳ないでしょうに。僕はまともな感性のひとが好いてくれる様な顔面してませんがな」
「いや、だから、顔だけで全部決めつけないで下さい。貴方はひとりの男性として、御自身がどれだけ魅力的で他人を惹きつける力に溢れてるか、全く意識出来ていない」
隆輔がこれでもかといわんばかりの勢いで詰めてきたが、しかし源蔵は、そんな馬鹿な話があるものかと苦笑を滲ませた。
人間、所詮は顔だ。
どんな性格、どんな好みの女性であろうとも、必ずルックス、即ち顔から入る。それは源蔵自身が過去の経験で嫌という程に理解している。それが今更、何の根拠があって覆るというのだろう。
「おっしゃる通り、顔だけが全てではないでしょう。でもそれは精々、仕事上でしか通じん話です。恋愛ともなればまず顔です。僕は過去にそれで何度も痛い目に遭ってきましたから、そこはよう分かってます」
「……それは、前にも軽くお聞きしましたが……改めて聞かせてくれませんか。どうして楠灘さんがそこまで顔の良し悪しに拘るのか。俺はその理由が知りたい」
またこの話をしなければならないのか――源蔵は思わず天井を仰いだ。
しかし現状のままでは次のステップに移行出来ないのであれば、面倒でもしっかり理解させる必要がある。
源蔵はひと呼吸入れてから、自身が過去に経験した手酷い失恋話を順を追って説明した。
その時に自身がどれ程に罵倒され、侮蔑され、しつこい程に痛めつけられたのか。その地獄の様な経験を三度も味わったという事実を、克明に、そして端的に語ってみせた。
最初は訝しげな表情で聞いていた隆輔も、最後の方には驚きと困惑の色を浮かべて絶句してしまっていた。
「何と……そんな酷いことを……そりゃあ確かに、女性不信に陥っても、誰も責めることは出来ませんね」
「いえ、別に女性不信とまではいきませんけど、僕個人に関しては恋愛なんて絶対無理やっちゅうのは、御理解頂けますよね? せやから、神崎さんが僕のことを好きだとかいうのは、どう考えてもあり得んのですよ」
だから操の気持ち云々と語る隆輔の言葉は完全にお門違いだ、と厳輔はきっぱりといい切った。
隆輔は尚も反論しようとしたが、しかしすぐに諦めて、言葉を呑み込む仕草を見せた。漸く彼も、源蔵のいわんとしていることを理解したのだろう。
要するに、何度失恋しても立ち上がってチャンスを掴むことが出来るのはイケメンか、精々フツメンまでだ。ブサメンにはその権利すら与えられない。
その事実を理解して貰えればそれで良いのである。
「その……楠灘さんが恋愛に懐疑的だというのは分かりましたが、それでも一応、操の気持ちを聞いてあげてはくれませんか? 今のままじゃ、俺も次に進めない様な気がしているんです」
「いや、そういう話はまた後日にお願いします。今ここで決めんといかんのは、藤浪さんが神崎さんのカレシ役を引き受けてくれるかどうかです。でないと、ホンマにリロードが終わってしまいますよ」
隆輔は尚も苦しげな表情で奥歯を噛み締めていたが、やがて彼はカウンターの方へと足を向けていった。
その面には諦めにも似た色が浮かんでいる。
(何で皆、顔なんか関係無いなんて、そんな偽善者ぶるんやろうな……オンナがオトコを見る時なんて、基本顔の良し悪しか見とらんやろうに)
美智瑠も早菜も、そして晶も詩穂も、源蔵を慕っているのは異性としてではなく、仕事をする仲間として、或いは上司として認めてくれているからであって、源蔵をオトコとして見ている訳ではない。
それは絶対に間違い無いと自信を持っていい切れる。
何故なら、自分は三度に亘って不細工を理由としてオンナに拒絶され続けてきたからだ。
例え天地がひっくり返っても、女性が自分を魅力的な異性として見ることなど絶対にあり得ない。
(雪澤さんには、あと三回挑戦するっていうてみたけど……それやるのは、お互いに容姿なんて欠片も気にすることが無い爺婆になってからの話やな。今の年齢では絶対無理や)
そう、異性が自分を受け入れてくれるならばきっと老齢に達した頃だ。
それが今、源蔵が唯一持ち得る希望だった。
結婚するなら、超熟年老齢期になってからだ。それ以外はまず不可能だろう。
(それまで僕が生きてたらの話やけど)
内心でつい苦笑を漏らした源蔵。そこへ、渋い表情の隆輔と、更に沈んだ顔つきになっている操が引き返してきた。
「話が纏まりました。俺が操のカレシ役として、来週彼女の御両親と顔を合わせます」
「おー、そらぁ良かった。これでリロードも、神崎さんの夢も壊れんで済みますわ」
源蔵は心の底からほっと胸を撫で下ろした。
しかし操の美貌は、ただ辛そうに歪んでいるままだった。




