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38.バレてしまった資格コレクター

 平日、夜。

 源蔵はいつもの様にライトノベルを持ち込み、リロード店内のお気に入りのテーブルで熱いコーヒーを飲みながら読書の時間を楽しんでいた。

 ところがその日は、思わぬ闖入者の出現によってページを繰る手を止めなければならなかった。


「えっと、楠灘さんは……居た!」


 美智瑠だった。彼女も会社帰りの為か、グレーのジャケットに黒いタイトスカートという姿だった。

 ドアチャイムを鳴らしながら店内にぐるりと視線を走らせた美智瑠は、源蔵の位置を特定するや、幾らか急いだ様子で一直線に歩を寄せてきた。


「楠灘さん、ちょっと今、お時間良いです?」

「何か急ぎの用ですか?」


 幾分緊張した面持ちで、テーブルの反対側に腰を下ろした美智瑠。その美貌には、珍しく焦燥の色が浮かんでいた。


「その……晶のことで少し、御相談があるんです」

「園崎さんの?」


 一体何事かと驚いた源蔵は、ライトノベルを鞄に仕舞い込み、改めて美智瑠と向かい合った。

 対する美智瑠は、徹平にアイスティーをオーダーしてから真剣な表情で源蔵の強面を覗き込んでくる。いつになく緊迫した面持ちの美智瑠に、源蔵は我知らず表情を引き締めていた。


「実はちょっと拙いことになっちゃいまして」


 曰く、晶が大学時代に手を染めていたパパ活の噂が、部内に広まり始めているのだという。

 実のところ晶は、実際にパパ活をやっていた時期があった。

 このことを知っているのは美智瑠の他、極々親しい同期の何人かだけであり、誰ひとりとしてその事実を社内で話したことは一度も無かった。

 それなのに、晶が大学時代に手を染めていたパパ活の噂が出回っている。

 その震源はどうやら、晶自身に在った様だ。


「ついこないだの話なんですけど、課内の女性社員だけの飲み会があったんですね。で、その帰りに皆で二次会に行こうかって話をしてたところに……」


 全くの偶然だったのだが、晶がかつてパパ活をしていた相手の中年男性が、いきなり声をかけてきたのだという。

 晶は狼狽し、その場では何のことだとシラを切り続けていたのだが、相手の男性は全く空気を読まず、非常に馴れ馴れしい態度でパパ活を匂わせる言葉を次から次へと並べて、晶を追い詰めていったということらしい。

 そして、現在。

 晶はここ二日程、体調不良を理由に休みを取っている。但し実際に体調を崩している訳ではなく、精神的に参ってしまって、出社することも出来なくなっているというのである。

 その一方で、課内の女性社員らの口を通してトータルメディア開発部全体に、晶のパパ活疑惑の噂が広まっているという話だった。

 トータルメディア開発部は競争の激しいエリート部署だ。

 表面上は仲が良い様に見えても、こういう隙を見せてしまうと一気に足の引っ張り合いが生じるらしい。


「成程……んで、僕に何か良いアイデアは無いかと相談しに来たってなところでしょうか?」

「はい、まさにその通りです。このままだと晶、会社辞めちゃうかも……」


 この時、美智瑠は端正な面を悔しそうな色に歪めて、ふっくらとした柔らかな唇を強く噛み締めた。

 どうやら事態は、かなり切迫しているらしい。

 源蔵はしばし太い腕を組んで考え込んでいたが、ややあって、晶をリロードに呼び出せるかと訊いた。


「はい、ここなら多分大丈夫です。操さんにアタシ、冴愛ちゃん、それに楠灘さん……この場には、あの子の味方しか居ませんから」


 という訳で、美智瑠はすぐさま晶と連絡を取り合い、リロードへ足を運ぶ様にと促した。


◆ ◇ ◆


 白いパーカーにデニムのショートパンツ姿でリロードに来店した晶は、相当に憔悴し切った表情で源蔵の前に顔を見せた。

 四人掛けテーブルに席を移して晶と美智瑠のふたりと差し向いの位置に腰を落ち着けた源蔵は、晶の青ざめた美貌を真正面から凝視した。


「会社を辞めるかも知れない……と雪澤さんが心配してはりましたが、実際どうなんでしょう? 辞めてしまいたいと思っておられますか?」


 この問いかけに対し、晶は弱々しくかぶりを振った。が、有効な打開策を見出すことが出来ず、相当に気分が参っているというのも事実の様だ。

 源蔵は努めて冷静に、抑揚の無い声で静かに語り掛けた。


「ひとの噂も七十五日とはいいますが、今回のはその程度で消えるかどうかは怪しいですね」


 実際、トータルメディア開発部内のライバル達は、この醜聞を切り札として晶を蹴落とそうとしている。彼ら彼女らがそう簡単にパパ活疑惑を忘れてくれるとは思えない。

 ならば、取るべき方法はひとつしか無い――源蔵はひと言、仕事のデキる女になれ、と短くいい放った。


「仕事、ですか?」

「はい……印象ってのはね、上書きすることが出来るんですよ」


 今の晶は特に何かが秀でているという訳でもなく、ただ単に、美人の若手女性社員だと認識されているに過ぎない。それを覆せ、と源蔵はいった。


「現在の園崎さんは、いい方は悪いですが、パパ活してても不思議ではないよね、というぐらいの印象しか持たれていません。これを覆すんです。え、あの仕事バリバリに出来る園崎さんに、まさかそんな過去が、と思わせるぐらいになれば、園崎さんの勝ちです。会社ってところはしょうもない噂よりも、実際に仕事が出来るひとの実力の方を重視しますからね」

「でも、一体どうやって……あたし、そんなキャリアとか全然無いし、仕事の幅だってまだそんなに広くないんです……」


 弱々しくかぶりを振った晶。

 しかし源蔵には、秘策があった。


「園崎さん、資格取りましょう。うちの会社ね、資格手当が充実してるんです。特に情報処理系が」


 いいながら源蔵は、会社が発行している資格手当一覧表をテーブル上に広げた。


「この辺の資格を持ってるかどうかで、会社からの扱いは格段に違ってきます。勿論合格するまでは多少時間もかかりますし、それまでの間は針の筵みたいな状況が続くと思いますが、取ってしまえばこっちのモンです」


 更に源蔵はファッションインフォメーション課として有効活用出来るであろう、カラーコーディネーター系の資格にも挑戦した方が良いと付け加えた。


「でも、あたし……出来る、かな」

「あぁ、その辺は安心して下さい。少なくとも情報処理系は僕がみっちり教えて差し上げます。こう見えて、取れる資格は全部取ってますから」


 その瞬間、晶のみならず、傍らの美智瑠の美貌も明るい色に染まった。

 更にそこへ、操がエプロン姿のまま近づいてきた。


「カラーコーディネーター検定なら私に任せて。実は、白富士に居た頃に取ったことがあるの」

「え……せやのに、カフェの店主なんですか?」


 今度は源蔵が、驚きの表情を見せた。

 操は、若干恥ずかしそうに頭を掻いた。

 ともあれ、晶の復活に向けたプランはこの場でそのベース部分が完成した。

 後は実際に、挑戦するのみ。

 先程まで力の無い表情に沈んでいた晶の美貌が、希望を見出した明るい色に染まり始めていた。


「園崎さん、こないだフードコートで、趣味とかあんま無いから結構暇してることが多いっていうてはったでしょ。その時間を有効活用しましょか」

「はい……宜しくお願いします!」


 ワンレンボブを揺らして深々と頭を下げた晶。声が若干、涙に濡れている。

 そしてそのか細い肩は、僅かに震えている様に見えた。

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