28.バレてしまった人物眼
あれから、一カ月が経った。
懸念だった幹部社員登用審査が実施され、つい先日、その結果が通知された。
今回の受験者は全部で七名。
通常であれば約八割程度が合格するといわれているのだが、今回は半分にも満たない僅か三名のみの合格だった。
そしてその三名の中に、源蔵の名もあった。
彼の成績は、他のふたりなど足元にも及ばない程の断トツの優秀な数値を叩き出していた、と玲央は嬉しそうに語った。
「おめでとうございます。これで楠灘さんは晴れて幹部社員ですね」
「恐れ入ります。今後もより一層精進して参ります」
室長室で玲央から合格の通達を受けた源蔵は、神妙な面持ちで一礼した。
正直、手応えはあった。筆記、面接、業務実績、論文、いずれに於いても自身の持てる力を全て出し尽くしたという感触もあった。
が、相手は白藤家の息がかかった人事部だ。
どこまで公平、公正に見てくれるか分かったものではないという警戒感もあった。
しかし結局は全て杞憂に終わった。
矢張り会社組織である以上、優秀な人材を無駄に潰すという様な真似はしないということが、今回の幹部社員登用審査ではっきりした格好となった。
「楠灘さんには、次の四半期から新設する統括管理課をお任せします」
玲央は新規組織の概要について記された書面を、応接テーブル上に差し出した。
源蔵はソファーから身を乗り出す様な格好で、その紙面に記されている内容をざっと読み上げていった。
「我が総合開発部にも一応、部としてのビジョンはあります。しかし部全体を上手く取りまとめる存在が部長以外に存在しなかったのが弱点です。その為、どの課も独自の方向性を強く持ってしまい、皆が同じ方向を向いて業務に当たるという意識が希薄になっていました」
そこで新たに設置する統括管理課で、部の意思統一を図る、と玲央は語った。
この統括管理課が他課の同行を逐一管理することで部の業務全体に統一感を持たせ、何か問題があればその都度軌道修正を行うことが期待されるのだという。
いわば、この課は部の頭脳だ。ここでしくじれば部全体がコケてしまう。極めて重要な部署ということがいえるだろう。
その統括管理課の初代課長を源蔵に任せる、と玲央は静かに明言した。
この役職に就くとなると、非常なプレッシャーが襲い掛かってくるだろう。
しかし源蔵は敢えて前を向いた。
絶対にやり切ってみせるという静かな闘志が湧いていた。
「謹んでお受け致します。粉骨砕身の覚悟で当たらせて頂きます」
「そのひと言を待っておりました。是非とも、宜しくお願いします」
ふたりは同時にソファーから立ち上がり、それぞれ居住まいを正して一礼を交わし合った。
「ところで、欲しい人材は居ますか? もし目ぼしいひとが居るなら、もう今から根回ししておいた方が良いでしょう」
「はい、実はもう既にふたり程、ピックアップしています」
ふたり揃って再度ソファーに腰を落ち着けたところで、源蔵は二枚の業務経歴書を応接テーブル上に差し出した。
そのうちの一方は、総合開発部営業課の梨田康介。28歳の中堅営業社員で、余りパッとしない地味な青年であった。
営業としての実績もいまいちで、営業課内の成績順位は常に最下位を争っている様な人物である。
何故康介に白羽の矢を立てたのか――玲央は興味深そうな面持ちで問いかけてきた。
「実は、梨田さんが担当されている客先で何カ所か、ソフトの保守点検に行ったことがありまして、そこで梨田さんの評価を直接、お客様からお聞きする機会がありました」
そこで源蔵は、康介が営業社員として何故成績が振るわないのか、その理由を知ったのだという。
何と、康介は顧客にとって最も価値があると認めたならば、他社製品であろうとも平気で推薦していたというのである。
自社の利益を考えれば自社製品をまず何よりも優先して売り込むのが営業の本来あるべき姿であろうが、康介は常に顧客の立場に自身を置いて考え、どうすれば顧客の為になるのかを第一に考えていたのだという。
結果として自社製品ではなく、他社製品が最も適格という結論になれば、康介は自社の利益などお構いなしにその事実を顧客に告げていたらしい。
その為、彼が担当している顧客からの康介に対する信頼感は、他の営業社員など比べ物にならない程に絶対的で、絶大な顧客評価を貰っているということらしい。
「確かに数字の上では、彼は営業課のお荷物的存在でしょう。しかし顧客と直接やりとりし、その動向を常に把握するという意味では、梨田さんの様な人物こそが営業統括管理に於いて最も重要です」
康介の最大の武器、それは営業力ではなく顧客からの最大級の信頼である。
それを源蔵は、何としても統括管理課の戦力に加えたいと語った。
玲央も源蔵の説明に納得した様子だった。
「成程……これは捨て置けない情報ですね。是非、営業課長に彼の異動を申し入れましょう」
康介は総合開発部に所属しているから、玲央の持つ人事権で何とかなる。だが問題は、源蔵が提示したもうひとりの人物だった。
「もうおひと方は……総務部の坂村詩穂さん?」
「はい。彼女も是非、うちに廻して欲しいと思っています」
詩穂との個人的な繋がりとしては、過去に社内合コンで同席したことと、休憩エリアで雑談を交わし、そして現在はリロードの常連客としてたまに顔を合わせる程度である。
しかし源蔵は、詩穂の総務部での業務実績よりも、彼女がこれまでに積み上げてきた個人的な経験を大いに買っていた。
「特に際立った何かがある、という風には見えませんが……」
「会社内では確かにそうでしょうね。しかし彼女には、プライベートで積み上げてきた或る経験が、統括管理課にとって最大の武器になり得ます」
その経験とは何なのかを問いかけてきた玲央だったが、まだこの時点では、源蔵の口から勝手に詩穂のプライベート部分を暴露する訳にはいかない。
そこで一度、玲央同席の上で詩穂と面談させて欲しいと申し入れた。
「良いでしょう。早速、総務部の部長とネゴを取って場を設けましょう」
玲央の即決に、源蔵は深々と剃り上げた頭を下げた。
康介と詩穂を獲得出来れば、統括管理課しては最高の滑り出しを見ることが出来る。
この人事は何が何でも成功させる――源蔵は密かに、拳を強く握り締めていた。




