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25.バレてしまった買取金額

 会社での昼休み。

 源蔵は操から害虫駆除業者が作業に着手した旨の連絡を受けて、ひとり頷いていた。


(リロード買い取ってから、一番最初にやっとくべきやったな……これは僕の失態やわ)


 飲食店を経営するに於いて、衛生管理は何よりも優先させるべき事案だ。これを疎かにすると食中毒やその他の健康被害を出してしまう恐れがあり、経営者としては最もやってはいけないことであろう。

 来店客に安心して商品を提供するのは当然の義務であり、最初の段階でそこに目がいかなかったのは源蔵自身の明らかな不備だ。

 これは大いに反省する必要がある。


(もう一回、アクションアイテムを全部搾り出してみよか……何かまだ、抜けがある様な気がする)


 しかしこれは、週末にやるべき仕事だ。本業の合間に考えるのは筋が違う。

 源蔵はスマートフォンのカレンダーアプリにわざわざメモを残してから、近場のコンビニへ出かけようと腰を浮かしかけた。

 その時、思わぬ人物が第二システム課のフロアに顔を覗かせた。

 隆輔だった。


「お疲れ様です、楠灘さん……もし良かったら、お昼御一緒しませんか?」


 どうやら彼はグルメインフォメーション課の別件の業務で、この日は本社に顔を出していたらしい。

 そんな隆輔に、一体何用だろうと内心で小首を捻りながらも源蔵は是非行きましょうと頷き返した。

 そうしてふたりが足を運んだのは、普段余り源蔵が利用しない同ビル内の地下フードコートだった。


「先日はお恥ずかしいところをお見せしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

「いえいえ、誰にでも得手不得手ってのはありますから」


 ふたり揃って麺類のセットをトレイに乗せてテーブルに腰を落ち着けたところで、隆輔が申し訳無さそうに頭を下げてきた。

 源蔵は気にするなと笑ったが、恐らく隆輔自身は相当気に病んでいたのだろう。


「ところで、前からお聞きしたかったことがあるのですが……楠灘さんがリロードを買い取るに至った経緯について、もし差し支えなければ教えて頂けませんか?」


 隆輔が真剣な面持ちで問いかけてきた。

 源蔵は箸先で蕎麦をすくい上げながら、良いですよと頷き返す。

 別段隠す程のことでも無かったし、隆輔と操が過去に恋人になろうかどうかだったという間柄を考えれば、全てを話しても良さそうな気がした。

 そして或る程度のところまで語り終えたところで、隆輔は悔しそうに奥歯を噛み鳴らした。


「あいつ……あれ程、操を絶対に不幸にするなと口酸っぱくいっておいたのに、結局それかよ……」


 操の元カレである健一に、隆輔は納得いかないとばかりに僅かな怒りを滲ませた。

 隆輔の立場からすれば、怒って当然であろう。源蔵は幾分気の毒そうな面持ちで、憤怒の念を浮かべる隆輔の端正な顔立ちを静かに見つめた。

 と同時に源蔵は、操が健一に運転資金を持ち逃げされた事実を隆輔に話していなかったのだと、今ここで知る格好となった。第三者の自分がそんなことを勝手に教えても良かったのかと、少々後ろめたい気分だった。

 が、話してしまったものは今更どうしようもない。

 源蔵は内心で操に謝りながら、更にその後の経緯について話した。

 特に隆輔が食いついてきたのは、源蔵が速攻でリロードと、店舗が入っている建物を買い取ったくだりであった。


「よくそんな短期間で話が纏まりましたね」

「えぇ、まぁ。相場よりもだいぶん高値で申し入れましたんで、先方も快く承諾して下さいました」


 ここで隆輔は、ごくりと息を呑む仕草を見せた。


「もし良かったらで結構ですが……お幾らで買い取ったのですか?」


 この問いかけに対し、源蔵は無言で人差し指と中指の二本を立てた。


「二千万、ですか」

「いえ、その十倍」


 その瞬間、隆輔は盛大に咳き込んだ。予想外の数字だったのだろう。


「に……二億、ですか……?」

「ちょっと藤浪さん、声大きいです」


 源蔵は幾らか慌てて周囲に視線を走らせた。幸い、変な目で見られる様なことは無かった。

 が、目の前の隆輔は未だに信じられないといった表情で、源蔵の眉の無い強面をじっと凝視していた。

 よくぞ、そんな大金をすぐに用意出来たものだといわんばかりの顔つきだった。


「親から受け継いだ資産がありましてね。僕が自分で稼いだ金やないんで、全然大きなことはいえないんですけど」

「いえ……それでも、大したものです。そんな決断を、さっとやってのけてしまうなんて……」


 それから隆輔は脱力した様子で、椅子の背もたれに上体を預けた。

 どうやら彼の中で、何かが一気に砕け散った様な表情だった。


「ははは……俺なんかが、端から相手になる訳もなかったって訳か……」


 よく分からないひとり言を呟いた隆輔。

 その間も厳輔は、ずるずると麺をすすり続けている。


「藤浪さん、麺、伸びてしまいますよ」

「あぁ、えっと、そうですね……」


 源蔵に指摘され、苦笑を浮かべた隆輔。その面には何故か、変に納得した様な色が浮かんでいる。

 そして彼は、小さくかぶりを振ってから同じ様に麺をすすり始めた。


「やっぱり、過去にいい寄ったことがある男よりも、絶対的な信頼を置ける今の相手の方が安心出来るってことでしょうかね……」


 尚もぶつぶついっている隆輔。

 と、ここで源蔵のスマートフォンが鳴った。リロードでの作業に着手し始めた害虫駆除業者の現場責任者からだった。

 源蔵は隆輔にひと言断りを入れてから応答に出て、ごく短い事務的なやり取りを済ませた。


「作業の方は順調そうですか?」

「まぁ、そんな大きな店舗やないんで、すぐ終わるでしょ。藤浪さんのお仕事には穴は空けさせませんので、その点はご安心下さい」


 源蔵の穏やかな笑みに対し、隆輔は参りましたといわんばかりの表情で頭を下げてきた。


「改めて、今後とも宜しくお願い致します」

「あぁ、はい。こちらこそ」


 隆輔が何を思ってそんなことをいったのかはよく分からないが、源蔵もこの場は、失礼にならない程度の会釈で応じた。

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