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180.ハゲは逆ナンされる

 少し仮眠を取って目が覚めた時には、羽歌奈はもう源蔵の自宅マンション個室内から姿を消していた。

 恐らく知彬がいっていた祖母に、会いに行ったのだろう。

 実際ダイニングテーブルに視線を流すと、彼女が書き残していった手書きのメモに、


「今日と明日は多分一緒に過ごせません。御免なさい!」


 と、絵文字付きで平謝りしている一文が躍っていた。


(そらまぁ、そうやろなぁ)


 マンション隣室の羽歌奈自室に呼んだのか、或いは別のどこかで落ち合って面会しているのかは分からないのだが、羽歌奈と彼女の祖母との邂逅に、源蔵が関われる余地は今のところ何ひとつ無い。

 であれば、この週末はひとりでのんびりと過ごす以外に無いだろう。

 傍らに羽歌奈が居ないのは寂しいものだが、しかし長年ひとりで過ごしてきた経験もある。今更、週末での時間の潰し方が分からないなどと素人じみた泣き言を漏らすつもりも無かった。


(まだ午前中やし……飯食う場所でも探しながら、ぶらぶらしよか)


 源蔵はマンションを出て、駅方向へと足を延ばした。

 途中で知り合いの誰かと顔を合わせることもあり得るかと思ったが、案外、源蔵の見知った人相を街中で目撃することも無かった。

 ひとまずは遅い朝食をファストフードチェーン店で軽く済ませ、食後のアイスコーヒーをがぶがぶと呷りながらこの日の予定を何となく頭の中で組み立ててみる。

 映画でも観に行こうかと思ったが、スマートフォンで検索してみても、これはというものが見当たらない。

 ならば秋葉原でも徘徊して、オタク魂に火を点けてみるのもひとつの手か。

 そんなことを考えながら何気に視線を横に流すと、窓際の一人席に陣取っている源蔵の隣の席から、女子高生らしき娘が何故かじぃっと源蔵の強面を眺めている姿が目に入ってきた。

 ハニーブロンドに染めた明るい髪色のロングレイヤーカットが美しい、今どきのギャル美少女だ。

 制服こそ身に着けていないものの、オフショルダーのニットと黒いミニスカートから覗く白い健康的な肌は如何にも若者然としている。

 これ程の美少女なら、遊び相手にも事欠かないだろう。

 そんな娘が何故、源蔵の如き中年なんぞにこれ程注目しているのだろうか。

 余りに熱心に見つめてくるものだから、源蔵は少し気味悪くなってきた。


「……僕の顔に、何かついてます?」


 ひと言、牽制を入れた。

 このギャル美少女は決して、源蔵の不細工な容貌に見惚れている訳ではない。カラーコンタクトを入れているであろう明るい色合いの瞳には、好奇の念が見え隠れしていた。

 或いは源蔵をカモにしてやろうという腹黒い考えでも抱えているのかも知れない。


「んーっと……おじさん、今って、ヒマ?」


 暫く置いて返ってきた言葉が、如何にもなひと言だった。

 これは下手に関わらない方が良いかも知れぬと危機感を抱いた源蔵だったが、この手の若者は少々のことでは撒けないことも知っている。

 要は、源蔵に関わろうとする意志を砕いてしまう必要がある。

 多少自意識過剰な気がしないでも無かったが、己の身を守る為にはこれぐらいの用心深さが在って然るべきだろう。


「いや、この後、用事があるんで忙しいです」

「……だったらさ、その用事の後は?」


 意外なことに、このギャル美少女は簡単には引き下がらなかった。

 寧ろ更にずいっと横から身を寄せてきて、源蔵の身に着けているものをまじまじと見入る様子を伺わせた。


「すっごく高そうな腕時計してるね。それに、服も何気にブランドものじゃん。結構お給料イイんだ?」

「子供が気にするにはまだまだ早い世界やで」


 努めてぶっきら棒に応対した筈なのだが、しかしどういう訳かギャル美少女は更に好奇の目を源蔵の強面に寄せてきた。


「わぁ……おじさん、関西のひと? ナマ関西弁だぁ~」


 思わず渋い表情で鼻の頭に皺を寄せてしまった源蔵。

 社内では周辺がすっかり慣れてしまっているから然程気にも留めていなかったのだが、矢張り東京では源蔵の様な生粋の関西人が話す関西弁は、一部の人種にはまだまだ物珍しいのかも知れない。

 しかし、ここでたじろいでは相手のペースにハマってしまう。

 源蔵は動揺を顔には出さず、淡々と低い調子で応じ続けた。


「別に関西弁ぐらい、今どき珍しくもないでしょ。大阪から来てるひとなんて、なんぼでも居てますし」

「えー、でもそこまでこってこてのナマ関西弁って、うちの周りで話してるひと居ないかなぁ」


 によによと笑いながら尚もその可愛らしい面を近付けてくるギャル美少女。

 これ以上は拙いと本能が警鐘を鳴らしてきた。源蔵は飲みかけのアイスコーヒーを一気に飲み干すと、足早に店舗を出た。

 そして予想通り、ギャル美少女は当たり前の様に源蔵の横にぴったりと張り付いて、まるで友人か知人かの如く肩を並べていた。

 最初は無視を決め込んでいた源蔵だったが、30分近く歩き回っても一向に離れる様子が無く、流石にこれはシカト作戦だけではどうにもならぬと判断せざるを得なかった。


「あのねぇお嬢さん。どこまで付いてくんの?」

「ん~と……おうちまで?」


 人差し指を自身の頬に当てて小首を捻るギャル美少女。

 最初はパパ活女子か何かかと思ったが、もしかすると家出系少女なのか。それはそれで大いに問題がある。


「んなこと出来る訳ないでしょ。名前も知らん、歳も知らん、どこのどなたかも知らん女の子を、何で僕が自分の家に招待せなあかんのよ」

筒山亜澄つつやまあすみ、16歳でぇ~す。どっから見てもJKでぇ~す……はい、これでイイ?」


 そういう問題ではないのだが――源蔵は思わず額を覆った。

 この年頃の女子は、言葉が通用しないのだろうか。

 或いは、分かった上で挑発しているのだろうか。

 源蔵は両方とも正解の様な気がしてきた。


「だいじょーぶダイジョーブ。奥さんと子供ちゃんにはバレないようにしてあげっから」


 どうやら妻子持ちに見られているらしい。

 それもどうなのかという気もしないでもなかったが、今は兎に角、この亜澄なるギャル美少女をどう追い払うかに全神経を集中させねばならない。

 下手なことをして大声で喚かれてしまうと、不利になるのは源蔵の方だからだ。

 ここは、慎重な対応が要求される場面であろう。


「ってな訳でさ。おじさん、ヒマしてるなら遊ばな~い?」


 これはどう見ても逆ナンであろうが、決して笑いごとではなかった。

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