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179.ハゲは尊重する

 次の週末を迎えて、源蔵はふと、室長個室の壁掛けカレンダーに視線を流した。


(ちょっと予想外やったな……)


 羽歌奈からの告白を受けたのが、一カ月半前の夜だった。つまり、源蔵と彼女との関係は予想よりも長く続いていることになる。

 或いは、二週間程度ならばまだ誤差の範囲内だろうか。

 しかし今のところ、羽歌奈が源蔵に愛想を尽かせる気配は微塵にも感じられない。

 自分の推測など良い加減なものだと内心で自嘲していると、終業を知らせる社内チャイムが鳴った。


「それじゃあ、お先に失礼します! お疲れ様でした~」


 定時を迎えた瞬間に、喜美江がトートバッグを肩にかけて跳び出してゆく。確か今日は、フロアーの一部の女子社員らが集まって女子会をやるという話だった。

 羽歌奈もその席に呼ばれているらしく、今夜は遅くまでひとりの時間を過ごすことになるだろう。

 貴之は相変わらず、淡々とした様子で帰宅の準備を整えている。

 あれから彩華とどうなったのかは未だ聞くことは出来ていないのだが、貴之の方から何もいってこないところを見ると、進展は無いのかも知れない。

 かといって、わざわざ源蔵の方から声をかけて聞き出す様な話でもないから、ここは黙って静観しておくしかないだろう。


(今日はひとりでのんびり、晩酌かな)


 そんなことを考えながら自身も帰り支度を済ませ、さっさと帰宅の途に就いた。

 そうして自宅マンションに帰り着いて部屋着に着替えようとしたところで、不意にエントランスからの呼び出し音が鳴り響いた。

 一体誰だろうと思いながら応答に出てみると、意外な客がインターホンのカメラ越しに顔を覗かせていた。

 知彬だった。


「あのさ……羽歌奈だけど、あんたの部屋に居る?」

「いや、今日は女子会らしいです。朝まで飲むとか何とかいうてはりましたけど」


 源蔵が応じると、知彬は露骨な程に盛大な溜息を漏らした。

 何か、困りごとでもあるのだろうか。


「あいつさぁ、最近全然連絡つかねぇから困ってんだよね……もし帰ってきたらさ、明日婆ちゃん来るから、って伝えておいてくんないかな」


 それだけいい残して、知彬はインターホンを切った。

 源蔵にはよく分からない、佐伯家と甲斐田家の大事な局面を迎えているのだろうか。

 気になる点があるとすれば、知彬が最後に見せた表情が妙に上機嫌で、幾分勝ち誇っていた様にも見えたことだったのだが、今のところはこれといった判断材料が無い為、源蔵としてもそれ以上思考を重ねることは出来ない。

 ともあれ、言伝を託された以上は羽歌奈にきっちり伝えてやる必要があるだろう。

 そうして源蔵が明け方近くまで適当に時間を潰しながら過ごしていると、玄関扉の解錠音が鳴り響いた。どうやら羽歌奈が自室ではなく、源蔵の部屋へと上がり込んできたらしい。


「ただいまぁ~、戻りましたぁ~」


 酔っているのか疲れているのか、或いは眠たいだけなのか。

 いずれにせよ、いつもの砕けたプライベート時の姿以上にふにゃふにゃと緩みに緩み切った表情の羽歌奈がリビングに姿を現した。

 出迎えた源蔵は苦笑を滲ませながらもソファーへと彼女の手を引いて落ち着かせ、冷たい水を一杯、飲ませてやった。


「甲斐田さんが来られましたよ」

「知彬が、ですか?」


 少しばかり表情がはっきりしてきたところで源蔵がその様に告げると、羽歌奈は更に意識が鮮明になってきた様子で幾分驚きの表情を覗かせた。


「言伝がありまして……明日っていうか、日付的にはもう今日ですけど、お婆様がお越しになられるとのことでした」

「え、嘘……そんな、何で急に……」


 羽歌奈は急に酔いが醒めたかの様に、妙に狼狽える仕草を見せ始めた。

 彼女の祖母が来訪するのが、そんなにも拙いことなのだろうか。


「何か、都合の悪いことでも?」

「いえ……そういう訳じゃないんですけど……」


 否定はしつつも、何故か歯切れが悪い羽歌奈。

 何か、ある――源蔵はほとんど直感的に推測したものの、しかしそれ以上は追及しなかった。

 これは羽歌奈と、その親族間の問題である。源蔵の如き部外者が簡単に立ち入って良い話ではないだろう。

 ところが羽歌奈は訊かれもしないのに、勝手に口を開き始めた。


「実はうちのお婆ちゃん……ちょっと思い込みが激しいっていうか……」


 羽歌奈は大きな溜息を漏らしながら小さくかぶりを振った。

 曰く、羽歌奈の祖母は知彬と羽歌奈が結婚する将来を信じて疑わない人物らしい。

 羽歌奈にとってのベストな人生は知彬と一緒になることであり、それ以外のオトコと連れ添うことは絶対にあり得ない選択肢なのだという。


(あぁ成程……せやから甲斐田さん、あんな嬉しそうにしてはったんや)


 インターホンのカメラ越しに知彬が最後に見せた、あの勝ち誇った笑顔。あれは恐らく、羽歌奈の祖母が知彬の味方となって源蔵を排除してくれるに違いないという確信からきたものであろう。

 問題は、その祖母が羽歌奈にどれ程の影響力を持つかだ。彼女が祖母のいいなりになる女性ならば、確かに知彬が活路を見出すことも可能であろう。


「佐伯さんにとって、お婆様はとても大事なお方ですか?」

「はい……そのぅ……わたしが芸能事務所に入る時も、家族は猛反対だったんですが、お婆ちゃんだけは味方してくれて……それ以外でも、わたしが困ったり、迷ったりした時はいつも、一番に支えてくれたのはお婆ちゃんでした」


 源蔵は成程と頷くしかない。

 羽歌奈にとって彼女の祖母は、人生の岐路に於いて最も重要な判断材料を与え得る人物ということになるのだろう。

 最終的には羽歌奈自身の判断になるのだろうが、彼女の祖母の言葉は決して無下には出来ないというのが今の力関係らしい。


(僕の本音は……ここでは黙っておいた方がエエかな)


 源蔵としては、羽歌奈を手放すのは断腸の思いだ。しかし羽歌奈自身の希望や想いを汲んでやりたいという考えもある。

 となると、矢張り最後は羽歌奈本人の決断に任せるしかないだろう。自分には、羽歌奈の自由意思を阻害する権利など欠片にも無いのだから。


(ここは佐伯さん御自身の意思を最大限に尊重する場面や。僕が口を挟むのは論外や)


 源蔵は腹を括った。

 結局、羽歌奈とは一カ月半の仲だったのかも知れない。

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