178.ハゲはイケメンの発想が理解出来ない
夜、源蔵が自宅マンションのリビングで缶ビールを飲みながらライトノベルを読んでいると、玄関扉が解錠される音が響いてきた。
羽歌奈だった。
彼女は源蔵の自宅マンションの合鍵を持っており、いつでも源蔵の部屋へ足を踏み入れることが出来る仲となっていた。
逆もまた然りで、源蔵は羽歌奈の部屋の合鍵を預かっている。
彼女の身に何かあればいつでも飛んで行くことが出来るのだが、プライベートの時間になって相手の部屋を訪れるのはいつも決まって羽歌奈の方だった。
「室長、これ、買ってきちゃいました」
羽歌奈が手にした紙袋から取り出したのは、少し値段が高めのブランデーだった。
何日か前、インターネットの動画サイトで美味そうに飲んでいる芸人の姿を見て是非味わってみたいといっていた羽歌奈だが、源蔵は話半分に聞くのみで、大して本気にはしていなかった。
ところが羽歌奈は本当に件のブランデーを入手してきたらしい。彼女は酒類のことになると、驚く程の行動力を発揮することがある。
今宵も、ただひたすら飲みたい一心であちこちのデパートを駆けずり回ってきた様だ。
「さぁ~飲みましょ~」
封を開ける前から既に出来上がっている様なハイテンションの羽歌奈。
源蔵は苦笑を滲ませながら、チーズやクラッカーなどのアテを用意し始めた。
「あ、ところで室長……こないだの御沙汰のことですけど」
グラスにふたり分をオンザロックで注ぎ終えたところで、羽歌奈が神妙な面持ちで源蔵に視線を向けた。
「あの……西沢さんの変な噂を広めてたひとなんですけど……結局、処分は無かったんですか?」
「いえ、処分はありましたけど、そんなに重い内容ではなかったですね」
羽歌奈からグラスを受け取りながら、源蔵は何ともいえぬ顔つきで低く答えた。
社内で女子社員への良からぬ噂を広めて処分を受けた者は、源蔵が室長に就任してからこれでふたり目ということになる。
そのひとり目が、羽歌奈の元カレである義幸だった。
義幸は相当に重い処分を受けて、結局自主退職という形で会社を去っていった。
「そのぅ……義幸の時と、今回の西沢さんの件なんですけど、処分の重さが違うっていいますか……どこに差があったんですか?」
「犯人の目的ですよ」
源蔵はそんなことかと小さく肩を竦めた。
対する羽歌奈は、今ひとつピンと来ていない様子で尚も小首を傾げている。
正直なところ、源蔵は義幸の件を蒸し返すのは羽歌奈にとってもツラいのではないかと迷うところではあったが、彼女の方から問いかけてきた以上は、或る程度納得して貰う必要があると考えて腹を括った。
「谷中さんは佐伯さんを傷つけ、貶めることを目的としていましたが、西沢さんの件の場合は、犯人は西沢さんを攻撃することが目的やなくて、自分のカノジョにすることでした」
羽歌奈を叩きのめそうと画策した義幸とは根本的に異なる、と源蔵は更に付け加えた。
ここで漸く羽歌奈も理解出来た様子で、成程と頷き返している。
「つまり……やり方が拙かっただけで、別に西沢さんを深く傷つけるつもりは無かった、と」
すると羽歌奈は、どういう訳か妙にほっとした様子で胸を撫で下ろしている。
一体彼女は、何に引っかかっていたのか――源蔵がその旨を問いかけると、羽歌奈は苦笑を浮かべて頭を掻いた。
「えっと……そりゃあやっぱり、わたしの時は犯人が重い処分を受けて、西沢さんの方はそうではなくて……って思ったら、何だかわたしだけ凄く優遇されてる様な気がして、ちょっと気まずかったんです」
「成程……けど今回は全くの事実無根やなくて、西沢さん御自身も、自分でそういうヤバい台詞を口走ったかも知れんって己の非を認めてたから、まぁその辺も加味されたんでしょうね」
羽歌奈のケースと彩華のケースとでは、状況は似通っているものの、根本の部分が全く異なる。
それにしても、そんなことで気に病んでいたというのは少し驚きでもあった。羽歌奈という女性は、少々ひとが好過ぎるのではないだろうか。
源蔵は少し、心配になってきた。
「あんまり気にせんでもエエですよ。それに久我山さんとの問題はまだ解決した訳ちゃいますからね」
貴之は同じフロアーの女子社員らから人気急上昇中で、更には彩華との邂逅を果たした訳でもない。
未だあのふたりの間には、微妙な溝が刻まれたままである。
果たして、元サヤに戻る可能性があるのか。
「西沢さん的には、久我山くんに申し訳無い気持ちがあると同時に、もう一度やり直したいって気持ちがある様に思えますね」
グラスに口を付けながら、羽歌奈は漠然とした表情で小さく呟いた。
源蔵も、今時点での貴之の気持ちがどこにあるのかは分かっていない。案外、もうすっぱり彩華のことは諦めたのかも知れない。
逆に羽歌奈は、まだあのふたりの間には可能性が残っていると考えている様だ。
事実、あのふたりがけじめをつけて別れたという話はまだどこからも伝わってこない。当然、本人達からもその様な話は聞いていない。
と、ここで羽歌奈は応接テーブルを廻り込んできて、ソファーにだらしない格好で座っている源蔵の隣にそっと腰を下ろしてきた。
「室長は、安心して下さいね。わたし絶対、他のオトコになんか目移りしたりしませんから」
羽歌奈は、顔が良いだけのオトコはもう懲り懲りだ、などと苦笑を浮かべてかぶりを振っている。
だが逆をいえば、顔だけではなく他も全て完璧な異性が現れれば、どうなるか分からないということでもあろう。
その時に果たして羽歌奈は、同じことをいっていられるだろうか。
「あ、室長……今、ちょっと天邪鬼なこと、考えてたでしょ。顔だけじゃなくて、自分と同じスペックのイケメンが現れたらどうしようとか、思ってませんでした?」
「ははは……鋭いですね」
源蔵は否定しなかった。事実、そんな男が現れたら、自分は絶対負けるだろうと思っている。
羽歌奈は、そんなことは絶対にあり得ないと苦笑を浮かべた。
「室長、御自身のスペックがどれだけ凄いか、全然自覚なさってませんね……断言します。イケメンは大体、自分の顔の良さに妥協して、室長みたいな超ハイスペックな実力を身に着けるところまでは辿りつけません。大体女が群がってきて調子乗ってる間に、自分磨きしようなんてことは忘れちゃいます」
まるでそんな人物を大勢見てきたかの様な調子で、きっぱりといい切った羽歌奈。
そんなもんなのかと、源蔵は小首を捻った。
自分がイケメンではないから、彼らの発想はよく分からなかった。