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175.ハゲは手応えを得る

 源蔵は手ずから貴之に空手やムエタイの基礎を叩き込んでやろうと考えていたのだが、貴之は、


「いえ、流石にそこまで室長のお手を煩わせるのは……」


 といってひたすらに固辞した。

 結局彼は、通勤経路上のどこかで適切なジムなり道場なりを探すことにした訳だが、その選定には源蔵も一枚噛むこととなった。

 全くの素人が、トレーナーや師匠となる人物の良し悪しを見定めるのは中々に難しい。

 そこで、自身が直接教えてやることは出来なくとも、せめてこれぐらいは手伝わせて欲しいと源蔵の方から半ば頼み込む形で選定に関わることとなった訳だ。


(僕から勧めた手前、何もやらんと放ったらかしってのは寝覚め悪いしな……)


 もしも貴之が道場やジム選びで失敗してしまったら、それこそ本当に申し訳無い。

 如何に当人にやる気があっても、教える側や施設に問題があれば、全てが空回りに終わってしまう。それだけは絶対に避けたかった。

 かくして源蔵と貴之は、業務の合間の休憩時間や定時後などを利用して道場或いはジムの選定に少しばかり時間をかけることとなった訳だが、幸いにも、源蔵のお眼鏡に叶うキックボクシングジムが会社に程近いところで見つかった。

 トレーナーは技術的にも人格的にも問題が無く、月謝も中々良心的である。ここならば源蔵としても、安心して貴之に勧めることが出来た。

 そんな訳で、貴之は早速件のキックボクシングジムに通い始めたのだが――。


◆ ◇ ◆


 路地裏のバーで、源蔵が貴之からの相談に乗ってからおよそ半月程度が過ぎた頃。

 喜美江が昼休みの終わる頃合いに、室長個室内の源蔵の執務デスクへと小走りに歩を寄せてきた。


「室長、室長! 凄いことになってますよ」

「……何ですかいな、藪から棒に」


 それまで熟読していたライトノベルに栞を挟んで、喜美江に向き直った源蔵。

 すると喜美江は、まだ当人が戻ってきていない貴之の作業デスクにちらりと視線を流してから、意味深な笑みを浮かべてそっと耳打ちしてきた。


「実はですね、羽歌奈さんからフロア内に出回ってる噂、聞いてきたんです」


 曰く、貴之がここ最近急に逞しくなって、男振りも随分と上がってきているとの話題がそこかしこで聞かれる様になったのだという。


(また随分、早かったな)


 源蔵は内心で驚いたが、しかし合点がゆく話でもある。

 元々貴之は大学卒業後から自宅で毎日ストレッチと筋力トレーニングを続けてきた。そこに加えて週二回、キックボクシングジムでストイックに己を追い込んでいる。

 今までは大人しくて穏やかな眼鏡の青年という雰囲気が強かったが、喜美江がいう様に、ここのところの貴之は背筋がまっすぐ伸び、胸板もワイシャツの上から分かる程に筋肉で張っている。

 噂にならない方がおかしいのかも知れない。

 加えて源蔵が、時折休憩時間中に室長個室内で貴之相手に空手の型やムエタイの打撃フォームについてレクチャーしてやることが何度かあった。

 実は室長個室は半分以上がガラス張りとなっており、課内フロアーからは内部がほとんど丸見えとなっているのであるが、その中でスキンヘッドの大男と眼鏡をかけた理系男子が身振り手振りを交えて格闘技談義している姿は、ほとんど全課員の目に留まっているということらしい。


「こないだなんて、ホラ、久我山パイセンがゆっくりと脚を高~く上げて、すんごい角度の蹴りのポーズ取って室長に色々教えて貰ってたじゃないですか。あの姿がもう、めーっちゃカッコ良かったって、あたしの同期の子らが皆、目ぇキラキラさせてたんですよねー」


 いいながら喜美江も、何故か全身をくねくねと捩らせている。

 どうやら同フロアーの女子社員らの間では、ガリ勉タイプの貴之が実は精悍なマッチョファイターだったということで、ギャップ萌えの嵐が吹き荒れつつあるらしい。

 源蔵はもともとスキンヘッドの強面の上に、190cm近い筋肉質の巨漢だからそこまで騒がれることは無かっただろうが、貴之という大人しそうな小犬系男子が見せた意外な側面に、多くの女子が変に盛り上がっているのだという。


「でね、でね! 実は他のフロアーの子からも、久我山パイセン誘って合コンとかどう? っていう話が出てるみたいなんですよ~!」

「ははは、そうですか……まぁ、行くかどうかは本人次第でしょうけどね」


 源蔵は苦笑を滲ませながら、ガラス越しに貴之の姿を見た。丁度その貴之が、今まさに室長個室に戻ってくる最中だった。

 ところが貴之の面には、何ともいえぬ微妙な表情が浮かんでいる。


「どないかしはったんですか?」

「えっと、それがですね……」


 源蔵が入室してきた貴之に問いかけると、貴之は幾分困った様子で頭を掻いた。


「何か、そこら中から色々呼び止められまして……振り切るのにちょっと手間かかっちゃいました」


 どうやら喜美江の話は本当だったらしく、フロアー内の女子社員らが何かにつけて貴之にアピールしようとしている様だった。

 この状況、喜んで良いのか悪いのか。

 元々貴之は、彩華を振り向かせたい一心で自分改革、肉体改造へと乗り出した訳であるが、それが思わぬ副産物を生み出してしまったということであろう。

 今までモテ期など一度も無かったから、どう対処すれば良いのかよく分からないということらしい。


(あー……自分がモテ始めてるっていう自覚はあるんや)


 源蔵は内心で苦笑を漏らした。

 これがオンナ慣れしている若者なら喜び勇んで、手当たり次第に遊びまくるところであろうが、貴之にはそっち方面の知識も経験も無いから、どうにも手に余って仕方が無いのだろう。

 その気持ちは、源蔵にも何となく分かった。

 白富士時代、彼が52億もの総額を抱える資産家だと分かった時、多くの女子社員が何かにつけて迫ってこようとしたことがある。

 それまで複数の女子社員に迫られたことなどただの一度も経験したことが無かった源蔵は、どうすれば良いのかと困惑するばかりだったが、今の貴之もあの時の源蔵と同じ様な心境なのだろう。


「久我山さんは、どないしたいんですか?」

「いやぁ……どうしたらイイんでしょう」


 貴之は心底困り果てた様子で、頭を掻いた。

 矢張りここは、彩華とのツーショットを大いにアピールすれば状況も随分変わってくるのだろうが、その肝心の彩華とはまだ話が出来ていないらしい。


(もうちょっと、様子見るしか無いか)


 源蔵は室長個室と同課のフロアーを隔てるガラス壁越しに、彩華の美貌を遠く眺めた。

 彩華は、イイ仲が噂されている件のイケメンと何やら話し込んでいたが、ほんの一瞬だけ、不満げな色を浮かべてこちらに視線を流してきた。


(いや……ちょっと早めに手ぇ打った方がエエかな)


 源蔵は、そんな彩華の面白くなさそうな反応に幾分の手応えを感じ始めていた。

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