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174.ハゲは指導する

 貴之が抱えている問題は、源蔵にとっては非常に手強いものだった。

 源蔵の恋愛経験が極端に乏しいというのも理由のひとつだが、何より厄介なのは、これが社内恋愛だというところであろう。

 源蔵は、都小路電機に於いては責任ある役職者だ。

 そんな自分が、自部署の部下可愛さに他部署の若手の不利益になる様なことをすれば、下手をすれば部署同士の軋轢にも繋がる。

 更に室長クラスの役職者ともなれば、例え他部署の室員、課員であろうとも、同じ会社で働く仲間として平等に接してやらなければならない。


(僕が主任ぐらいの役職やったら、何ぼでも口出せたんやろうけど……)


 こうなると、出来るのはひとつだけ。

 貴之に対して何をどうしろ、というのではなく、源蔵自身の考え方やスタンスを伝えて何かのヒントにして貰うしかない。

 それで駄目ならば、元々貴之と彩華はその程度の繋がり、絆しか無かったものだとして諦めて貰うしか無いだろう。

 源蔵がそういった旨の説明を加えると、貴之は納得した様な表情で頷いた。彼も、源蔵の立場というものをよく分かってくれている様子だった。


「最初に断っときますけど、僕もまだ童貞で恋愛経験なんて素人も素人、ドが付くぐらいの超初心者ですから、そこだけは勘弁して下さい」


 源蔵がそう前置きすると、貴之は苦笑を滲ませながら小さく頷き返したが、その一方で反対側の隣席に座っている羽歌奈が、物凄い目つきでじろりと睨んできた。

 彼女が何をいわんとしているのかは何となく察しはついたが、今宵は貴之からの相談である。ここは敢えて、羽歌奈の視線は無視することにした。


「例えば今の僕に、付き合い始めたばかりのカノジョが居たとして、そのカノジョが他のオトコに目移りしてしもうたとしましょう。僕ならそんな時、どうするか」


 これは飽くまでも仮定の話だと付け加えた源蔵だったが、羽歌奈から飛んでくる突き刺さる様な視線は、更に強度を増すばかりだった。


「僕なら、そのカノジョを無理に追いかけることはしません。ただ兎に角徹底して、ひとりでも幸せになれる努力をします」

「え……ひとりで、ですか?」


 貴之は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情で驚きの声を漏らした。

 これに対して源蔵は低く、その通りですと首肯した。


「趣味でもお金でも社会的地位でも何でも良いです。兎に角幸せになって、あ、このひとと一緒に居たら幸福度が高いかも、と思わせるぐらいの幸せになろうってな訳です」


 そうなると、どの様な展開が待っているのか。

 貴之には今ひとつピンと来ていない様子だが、それは羽歌奈も同様らしい。彼女も、早く続きを聞かせろといわんばかりに隣から上体をぐいっと乗り出してきていた。


「まず、他のオトコに目移りしたカノジョが戻ってきてくれるかも知れません。逆に戻ってこなくても、後悔するでしょうね。で僕自身はそんな尻軽な元カノなんかとは違って、もっと素敵な女性と出会える確率がぐんと跳ね上がる訳です。例えば、佐伯さんみたいな綺麗なひととか」


 所謂ざまぁ展開に近いものだと源蔵は笑った。

 ところがその瞬間、羽歌奈はぎょっとした表情で目を見開き、それからすぐに頬を上気させて明後日の方向に視線を逸らせた。

 そんな羽歌奈の変化には気付いた様子も無く、貴之は源蔵の強面に真剣な目を向けていた。


「まずは自分ひとりで幸せになる、ですか……」

「けど、これは中々普通のひとには難しいかも知れません。僕の場合は今までこの不細工なツラの所為で散々失恋しまくって酷い目に遭うてきたから、結果としておひとり様幸福論を身に着けざるを得なかったっていうだけのことです。この方法が絶対や、なんていうつもりはありません」


 だが現実として、源蔵はおひとり様幸福論で成功したと自負している。

 だからこそ超多額の資産を持ち、仕事でも高位の役職を得た。料理も店を出すことが出来る程度の技術を身に着け、それ以外の家事も完璧にこなすことが出来ているという自信がある。

 空手とムエタイで肉体を鍛え上げ、顔が悪くとも美しく均整にシェイプアップされた頑健な体躯を手に入れることも出来た。

 そしてそれらの結果として、美月という最愛の娘を得ることも出来た。


(まずは自分自身が充実し、己に満足すべし……これに尽きるかな)


 伴侶を諦め、過去にひとりで生き抜くことを決めた源蔵のその覚悟が辿り着いた自分専用の真理だ。

 勿論、その全てを貴之に押し付けるつもりは無い。

 今は飽くまでも自分語り、己の経験談から何かヒントを掴んでくれれば良いという程度の段階である。


「女性誌なんかでも、似た様な記事を見たことありましてね。素敵な出会いの為には、まず自分磨きから、みたいな」

「あ……それはわたしも、しょっちゅう見ますね」


 不意に横合いから、羽歌奈がうんうんと頷きながら口を挟んできた。

 要は、男も女も関係無く、相手に依存するのはやめて自立せよ、という話であろう。

 或る意味、非常にストイックな生き方であり、現代の若者には中々受け入れられない発想かも知れない。そこまで精神的に己を追い詰め、鍛えようとするのは古い考え方だとして、敬遠されてもおかしくない。

 それでも貴之は何か思うところがあるのか、先程までのすっかり自信を失って気弱になっていた顔つきからは想像も出来ない程の、強い意志を湛えた瞳で源蔵と羽歌奈に頷き返した。


「ありがとうございます……何だかボク、ちょっと分かってきたかも……」

「あぁ、今はまだ話を聞いたばっかりで気ぃ高ぶってるだけかも知れませんからね。後になってまた、どーっと気分が滅入ってくるやろうから、そこは覚悟しといた方がエエですよ」


 グラスを手に取りながら、源蔵は苦笑を返した。

 人間、そう簡単に己の発想を切り替えたり、感情を自在に制御することなど出来る筈が無い。そんなことが可能なのは余程に経験を積んだ者だけだ。

 しかし、やりようは在る。


「まぁまずは、兎に角精神的に忙しくなることが一番かもですね……つまり、他に何か没頭することが出来て、しかもそれを続けることで自分が幸福になる様な、何か」

「えっと……例えば体を鍛えること、とかでしょうか?」


 いいながら貴之は、ワイシャツの長袖を捲った。意外と太く、そこそこの筋肉がついている。所謂細マッチョ体型らしく、源蔵程に筋肉の分厚い鎧を纏っている訳ではないが、その体格は決して悪くない。

 聞けば大学卒業後から、自宅でストレッチや筋トレを続けていたのだという。


「まぁ、それもひとつの手ぇですね……参考程度にお聞きしますが、格闘技に興味はありますか?」

「はい……実は格闘ゲームにちょっとハマってまして、実際に身に着けてみたいなぁ、なんて思ったり」


 ならば、話は早い。

 源蔵は空手の高位有段者であり、規程の手順を踏んだ上で指導資格を取得している。

 ムエタイについてもわざわざタイに出向き、現地での講習と試験を受けた上で、タイ政府公認のムエタイ指導者協会から指導に必要な認定段位を取得済みであった。

 つまり、貴之が望めばいつでも教えてやることが出来るという訳だ。


「やってみます?」

「はい、是非!」


 貴之が眼鏡の奥で、気合の籠もった眼光を煌めかせた。

 自分磨きの第一弾が格闘技というのは少し毛色が変わっているが、悪い話ではなかった。

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