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170.ハゲは幻滅を目論む

 源蔵とて、ひとりの人間だ。立派な成人男性だ。

 性欲だって、普通にある。

 だがそれ以上に源蔵は、恐怖心に苛まれていた。


(僕のヘタレっぷりを知られたら、どうなるやろか)


 考えたくもなかったが、しかし事実として源蔵は羽歌奈と体を重ねる勇気が湧いてこない。

 羽歌奈の方から好きだと告白してくれたものの、そんな彼女の想いも、源蔵の情けない一面を知れば一気に醒めてしまうのではないか。

 これは源蔵の、ちっぽけな自尊心の問題でもある。己のオトコとしての下らないプライドが、羽歌奈とのセックスを拒む最大の要因になっていることは重々承知していた。


(つくづく面倒臭い男やな、僕は)


 自分でも分かっていた。

 それ故に、この下らない感情の所為でいずれは羽歌奈も己の前から去ってゆくだろうとの予感も密かに抱いている。

 だがそれは、自業自得だ。己の弱さを克服出来ないくせに、それでも羽歌奈を引き留めようとするのは単なる傲慢に過ぎない。

 源蔵は手にしていたライトノベルをサイドデスクに置き、疲れた目を癒す様に目頭をぐっと押さえた。

 そうして再び瞼を開けた時には、何故か羽歌奈がソファー前のフローリング床に正座して、源蔵の強面をじっと覗き込む様に凝視していた。


「室長……一体、どうしちゃったんですか? 何だか、とてもツラそう……」

「あぁ、いや、何でもないです」


 源蔵は否定しながらも、ここでもし、己の本音を伝えたらどうなるかとも考えた。

 羽歌奈は呆れ、怒り、去ってゆくだろうか。

 否、それもまたひとつの結果だ。羽歌奈をいつまでも自分の様な禿げの童貞不細工に縛り付けておくのは、余りに不憫だ。

 であればもう、このままいっそ彼女を解放してやる方が良いのではないか。


(いやいや……そんな考え方こそ、僕の傲慢さやな。ただ単に僕がビビってるだけやのに、何を偉そうに上から目線で……)


 源蔵は内心で自嘲した。こんな時まで己のプライド優先かと、馬鹿馬鹿しくなった。

 しかし、彼女を傷つける訳にはいかない。

 何とかして羽歌奈の方から源蔵を見限る形に持って行かなければ、羽歌奈はこの先ずっと心の中に、下らない禿げのブサメンなんぞに拒絶されたというマイナスの想いを抱えたまま生きてゆくことになるだろう。

 であれば、己のヘタレっぷり、己の不甲斐なさを素直に吐露して、羽歌奈に呆れさせるのがベストな方法ではなかろうか。

 結果として羽歌奈に悪者役を押し付ける格好になってしまうが、それでも自分がフラれたという心理的抑圧を羽歌奈に抱かせるよりは、数段マシに思える。

 源蔵は腹を括った。


「すんません、やっぱり嘘です。ちょっと……いや、かなりツラいですね」

「それって、やっぱり、わたしの所為ですか? わたし、何かやっちゃいました?」


 ずいっと身を乗り出してきて、源蔵の膝の上に上体を覆い被らせる姿勢となった羽歌奈。彼女の大きくて柔らかな胸の感触が、源蔵の膝から太もも辺りを刺激した。

 彼女は恐らく下着を着けていない。ノーブラのまま、源蔵の部屋を訪れたということか。

 源蔵は困り顔を浮かべて、剃り上げた頭を掻いた。


「いえ、佐伯さんの所為やなくて、僕がただヘタレなだけです」


 羽歌奈は幾分、涙目になっている。ここから先は、慎重に言葉を選んでゆく必要があるだろう。


「情けない話ですけど、どうしても谷中さんの顔がね、チラついてしまうんですよ」

「え? 義幸、ですか?」


 驚きで両目を見開く羽歌奈。しかしこれは、嘘ではない。

 源蔵が羽歌奈と付き合うに際して、己の中で勝手に抱いている劣等感の最大の要因は、前カレである義幸の存在だった。

 義幸は確かに、羽歌奈を貶めるなどの最低な行為に手を染めたゲス野郎だが、それでも彼は羽歌奈の恋人だった。当然羽歌奈とも肉体関係にあっただろう。

 そんなゲス野郎でも、ベッドの中では羽歌奈を大いに悦ばせた筈だ。

 翻って、自分はどうか。義幸程に羽歌奈を満足させることが出来るか。

 答えは否だ。

 源蔵は童貞なのである。そんなことは端から無理だと分かっていた。


「僕は谷中さんを徹底的にやっつけて、会社を辞めさせるところまで追い込みました。谷中さんがどうしようもない御仁だったということは間違い無いとは思いますが、やっぱりね、その、セックスという部分については、あのひとには全然敵わんというか、僕なんか全然足元にも及ばんでしょうから、それがどうしても苦になるんですよ」

「えっと……それってつまり、室長はずっと、義幸のことで悩んでた、ってことですか?」


 羽歌奈は不意に、乗り出していた上体を後退させて床にぺたんと座り込んだ。

 その美貌には、呆れの色は無い。ただただ安堵の念だけが張り付いている様に見えた。


「よ、良かったぁ……わたしのことが嫌いになった訳じゃ、なかったんですね」


 心底ほっとした様子で胸を撫で下ろしている羽歌奈。

 彼女のこの反応は、源蔵にとっては相当に意外だった。


(あれ? 幻滅せぇへんの?)


 自分はこんな小さいことで、うじうじと悩んでいる様な小物だ。呆れられ、幻滅され、その場で見限られて然るべきだろう。

 或いはそのまま勢いで別れを告げられてもおかしくはない。

 それなのに羽歌奈は、源蔵の予想に反して嬉しそうに笑っている。これは一体、どういうことであろう。


「んもぅ……びっくりさせないで下さいよ……ぶっちゃけ、義幸のことなんてわたし、今ここで名前出されるまで完璧に忘れてましたし」


 羽歌奈はゆっくりと立ち上がり、そして今度は源蔵の膝の上に柔らかな尻を押し付ける格好で腰を下ろすと、そのまま筋肉の鎧の様な源蔵の上体に覆い被さる形でぎゅうっと抱き締めてきた。


「心配しないで下さい。今のわたしには、室長だけです。義幸との過去なんて全部、室長との楽しい毎日ですっかり上書きされちゃってて、いわれても思い出せないぐらいですから」


 そういうものなのか――鼻腔をくすぐるシャンプーか何かの良い香りの中で、源蔵は羽歌奈の柔らかくしっとりした長い髪をじぃっと見つめた。

 かつては義幸も、この艶やかな髪を優しく撫でてやっていただろうに、羽歌奈はそれすらも忘れたというのだろうか。

 これが女性の恋愛に対するスタンスなのか。

 正直、羽歌奈がそこまで割り切っているとは想定外だった。或いはこれも結局は、自分が恋愛経験皆無の童貞だから無駄に拘り過ぎてしまっていただけなのだろうか。

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