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168.ハゲは推測する

 平日の夕刻。

 源蔵は女子会に出かけるという羽歌奈、喜美江、彩華の三人を室長個室から送り出してから、自らも帰り支度を整え始めた。

 そこで何気なく作業デスクの方を見ると、丁度同じタイミングで貴之も愛用の黒いリュックサックに荷物を詰め込んでいる。


「久我山さん、お疲れ様です……飯でも食いに行きます? 御馳走しますよ」

「え、イイんですか?」


 少しばかり元気が無さそうだった貴之だが、源蔵からの誘いを受けて僅かに表情を和らげた。

 以前、羽歌奈や喜美江らと一緒に連れていった鉄板焼きが好評だったことを受けて、今宵は男ふたりでまた同じ店に最高級の肉を食いに行こうという話になった。

 それからものの三十分程が経過した頃には、源蔵と貴之は鉄板越しに腕利きシェフの立ち姿を眺めるストゥールに腰を落ち着けていた。


「そういえば今日はあの三人、どこの女子会に呼ばれてたんですかね?」

「あー、同じ室の女子社員で集まる、みたいなことは仰ってましたね」


 源蔵に答えながら、貴之は記憶を掘り起こす様な顔つきで小首を傾げた。

 成程、と頷き返した源蔵。

 実のところ、ここ最近羽歌奈はほぼ毎晩、源蔵と夕食時間を一緒に過ごしている。

 マンションでも隣同士だから必然的にそうなってしまう訳だが、彼女とてたまには同僚の女子らと気兼ねなく食事を楽しみたい筈であろう。

 そういう意味では、源蔵はもっと羽歌奈の拘束時間を緩めてやる必要があると考え始めていた。

 尤も、一緒に居たいとべったり張り付いてくるのはいつも羽歌奈の方なのだが。


「……何か、心配事でも?」


 ここで源蔵は、貴之の表情が浮かないことに気付いた。

 決して機嫌が悪いという訳でも無さそうだったが、明らかに何か、腹の底に一事抱えていそうな顔つきを見せていた。


「あ、いえ、その……」


 貴之は歯切れ悪く頭を掻いたが、源蔵は何となくピンと来た。

 恐らく、彩華との間のことだろう。

 業務に於いては、貴之は今のところこれといった問題を抱えている様には思えない。非常に効率的で、てきぱきと作業を進めてゆくその姿には、寧ろ頼もしさすら覚える。

 そんな貴之が心配事を抱えているとすれば、プライベートな面に於いてであろう。

 しかし源蔵としては、これ以上踏み込んで良いものかどうか、大いに迷った。

 上司が部下の恋愛事情に首を突っ込むのは、本人が希望しない以上は完全にご法度だ。一種のハラスメントに抵触する可能性もある。

 それ故、源蔵としても貴之の口から何かが語られるまでは敢えて追及しないことに決めた。


「そうですね……こんなこと、室長に相談して良いのかどうか、分かりませんけど……」


 貴之は意を決した様子で、その優しそうな面を向けてきた。眼鏡の奥に覗く瞳には、不安の色が見え隠れしている。


「僕で分かることならお答えしますよ。まぁ、もし分からんことやったらすんません、諦めて下さい」


 源蔵が冗談めかして笑うと、貴之は幾分ほっとした表情を浮かべた。

 どうやら、少し肩の力が抜けたようである。

 貴之はグラスに注がれているビールをぐいっとひと息に呷ってから、居住まいを正した。


「実は西沢さんとのことなんです。ボク最近、西沢さんと色々な話をする様になったんですが……どうもここんとこ、話が噛み合わないっていうか、変なすれ違いが起きてる様な気がして……」


 曰く、彩華とはそれなりに会話が弾むものの、時折彼女の表情が微妙に暗くなったり、不機嫌そうな色を一瞬だけ浮かべることがある、というのである。

 大体そういう表情を見るのは、彩華の愚痴に付き合っている時だというのだが、何故彼女がそんな顔色を見せるのかについては、貴之はよく分からないのだという。

 源蔵は相手の言葉にじっと耳を傾けながら、何となく、こうではないかという推測を立て始めていた。


「その、西沢さんが愚痴を垂れ流した後、久我山さんは何て答えてます?」

「えぇっと、そうですね……大体は、こうすればイイんじゃない? 的な台詞ですかね」


 矢張りそうか――源蔵は彩華と貴之の会話のすれ違いの原因が、何となく分かった様な気がした。


「それは、ちょっと拙いかもですね……今後、西沢さんから愚痴とか聞かされたら、解決策をすぐに提示するのはやめときましょうか。そういうのは西沢さんの方から、どうしたらエエかとアイデアを求められた時だけにしときましょ」

「え……どういうことですか?」


 貴之は今ひとつ、ピンと来ていない様子である。

 しかし源蔵には彩華の心情が手に取る様に分かった。もう少し正確にいえば、美月との父娘付き合いの中で培ってきた、男女の思考形態の違いについての論証であった。


「女性が愚痴を一方的に垂れ流して、解決策を訊いてこない時ってのはね、往々にして、共感が欲しい時なんやと僕は理解しています」


 つまり彩華としては貴之から、大変だったね、或いはよく頑張ったね、といった共感と慰めの言葉が欲しかっただけなのだろう。

 それに対して貴之の方から訊かれもしないうちに先に解決策を提示するというのは、彩華にすれば、


「お前の頑張りが足りないからだ」


 と、暗に否定されている様なものだ。

 彼女が気分を害しているのは、恐らくそういうところであろう。


「え……そういうものなんですか……?」

「まぁ、多分に推測入ってますけど、恐らくそういうことちゃいますかね」


 それ故、源蔵も羽歌奈や美月に対しては、愚痴を聞く際には絶対に自分から解決策を提示することはない。

 彼女らの方から直接に解決策を求められるか、或いはその様な空気を匂わせてきた場合にのみ、提示する様にしている。

 その源蔵のスタンスを聞いて、貴之は成程と何度もひとりで納得した様子で頷いていた。


「まぁ、飽くまでも参考程度にしといて下さい。僕のいうてることが、必ずしも当たっているとは限りませんので……」

「いえ……凄く、身に覚えのあることばかりでした。本当にありがとうございます」


 ここで貴之は今宵初めて、心の底からの晴れやかな笑顔を覗かせた。

 これで少しは彼と彩華の間の問題が片付けば良いのだが――源蔵は焼き立てのステーキ肉を頬張りながら、内心で密かに祈った。

 それはそうと、貴之はいつの間に彩華と本格的に付き合い始めたのだろうか。

 よくよく考えれば、その辺の話はまだ一度も聞いたことが無かった。

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