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159.ハゲは挑まれる

 羽歌奈が隣に引っ越してきてから、一週間が過ぎた。

 オフィスに居る時の彼女は以前からのクールビューティーなバリキャリウーマン然とした凛々しい姿で喜美江から尊敬の眼差しを浴びる毎日なのだが、ひとたび自宅に帰り着いてプライベートの時間に突入すると、それまでの姿がまるで嘘の様に激変する。

 事実彼女は、ほとんど毎日の様に源蔵宅の玄関前に姿を現し、


「室長~、カレーちょっと多めに作っちゃったんで、少し手伝って貰えませんから~?」

「室長室長っ! 大変ですっ! 何だか知らないうちに、去年のあのシリーズがブルーレイで出るみたいなんですよっ

「し~つ~ちょお~……ちょっとぉ~、いまから~、飲みに~、行きませんか~」


 などなど、兎に角源蔵が呆れる程に色々な表情を見せてその都度、彼の度肝を抜いた。

 当然ながら帰宅後の羽歌奈はいつも私服、それも大体が薄手の部屋着だ。

 豊かな胸の膨らみをこれでもかと強調しながら、同時に白い太ももを露わにしたホットパンツ姿で顔を覗かせることが多い。

 こんな姿を他所の男性に見られたら、きっとベッドに誘われていると勘違いしてしまうだろう。


(このひと……ちょっとオンオフの落差が激し過ぎるんとちゃうか……)


 内心で苦笑を禁じ得ない源蔵だったが、しかし彼は一点だけ、絶対にこれだけはやってはならぬと誓っていることがあった。

 単独で、羽歌奈の部屋に足を踏み入れることである。

 独身の見目麗しい美女の部屋に男が身を滑り込ませるというのは、それだけで大きな意味を持つ。

 今どき、源蔵の様な貞操感は時代遅れだということは自身でも重々承知しているが、しかし自らに課したこの鉄則だけは絶対に破るつもりは無かった。


(佐伯さんは、飽くまでも部下やからな……そこだけは勘違いしたらあかん)


 隣人としての羽歌奈は何かにつけて無防備な姿を晒し、親しげに接してくれてはいるものの、そこに甘えてはならぬと常に己を律していた。

 もしここで調子に乗ってしまえば、とんでもない勘違い野郎だと罵倒されることだろう。

 己で引いた一線は余程のことが無い限り、越えてはならない。

 源蔵のこの鋼の意思は、そう簡単に揺らぐ筈は無かったのだが、しかし予想外の形でこの誓いが破られる日が訪れてしまった。

 羽歌奈が、体調を崩して有給休暇を取ったのである。

 源蔵のラインに流れてきた本人からの申告によれば風邪ということなのだが、結構な高温に至る発熱に苦しめられているらしい。

 流石にこれは、捨て置けない。


(佐伯さんには申し訳ないけど、ちょっくら看病に行かせて貰おか……)


 幸い、この日は週末の金曜。

 仮に羽歌奈から風邪を伝染(うつ)されたとしても、二日もあれば十分に回復する自信がある。

 年若い女性の部屋に独身男が入り込むというのはそれだけで事案問題だが、今回ばかりは目を瞑って貰うしかないだろう。


「佐伯さん、楠灘です。少しお邪魔させて貰っても良いですか?」


 インターホンを鳴らし、幾分声を潜ませて呼び掛けた源蔵。

 すると待つこと数分、重い金属製のドアが弱々しく開き、中からマスクを着用した羽歌奈の辛そうな顔が現れた。


「あ……室長……ホントに、来て下さったんですね……」


 この日の羽歌奈は流石にテンションが低い。相当に体力を奪われているのだろう。

 源蔵は近所のスーパーマーケットで買い込んできた病人食用の食材を抱えたまま、羽歌奈の背中を押す様にして室内へと足を踏み入れていった。


(ちょっと、神崎さんのお部屋の雰囲気と似てるやろか)


 シンプルで落ち着いた装いに、源蔵はふと、そんなことを考えていた。

 カフェ『リロード』の二階に居を据えている操の個室も、派手な内装はほとんど見られず、どちらかといえばスマートな雰囲気が全体に滲み出ていた。

 羽歌奈も、同じ様な空気感を漂わせる部屋を作り上げている。

 見た目よりも、生活上の利便性を重視しているのかも知れない。


「室長……ホントに、すみません……こんな形で、お呼びすることになっちゃって……」

「いえいえ、気にせんで下さい。病人は兎に角、早く治して元気になることだけ考えて貰えれば宜しいです」


 気さくに笑いながら源蔵はキッチンに立った。


◆ ◇ ◆


 その翌日も源蔵は、羽歌奈の看病の為に隣室へと足を延ばした。

 時刻は正午少し前。流石にもう起きているだろうか。

 今回も病人食用の食材をレジ袋に押し込んでインターホンを鳴らした源蔵だったが、返ってきたのは聞いたこともない男性の声だった。


「どちらさん?」


 どこか、警戒の色を含んでいる。

 一方の源蔵は、内心で小首を捻った。羽歌奈の親戚か兄弟か、或いは父親辺りが彼女の看病の為に駆けつけてきたのだろうか。

 しかしまずは、名乗らないことには話が進まない。


「隣の楠灘です。看病の為に参りましたが、もしお取込み中なら改めて出直します」

「あ……じゃあ帰って下さい」


 その男性の声は僅かな敵愾心をチラつかせながら、はっきりと拒絶の意を返してきた。

 これは、下手をすれば地雷を踏み抜くことになるかも知れない――源蔵はそのまま踵を返し、自室へ引き返そうとした。

 ところがその時、羽歌奈宅のドアが幾分強い力で押し開けられた。

 そして内側から妙に焦った様子の美麗な面が、僅かに息を乱して飛び出してきた。


「あ、あの、室長……その……も、もし良かったらで、イイんですけど……看病、お願い、出来ますか?」

「え? 大丈夫なんですか?」


 源蔵が問い返すと、羽歌奈を追う様にして見知らぬ若い男の顔がドアの奥から現れた。


「何だよ羽歌奈……オレが看病するっていってんじゃん」


 しかし羽歌奈はその青年の声には一切反応せず、ただ縋る様な瞳で源蔵の強面をじっと見つめてくる。

 これは、流石に無視出来ない。

 源蔵は内心で盛大な溜息を漏らしながら、羽歌奈の部屋へ足を踏み入れる覚悟を決めた。

 その間も、見知らぬ青年からの挑戦的な眼差しが強烈な程の勢いで叩きつけられてくる。

 まるで勝負を挑まれている様な気分だった。

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