152.ハゲは気遣う
超高級鉄板焼き店で最もはしゃいでいたのは、矢張り喜美江だった。
最初に食材を盛り上げた大皿の前で記念写真を撮ったのだが、その時のハイテンションな笑顔は誰よりも輝いて見えた。
次いで料理人が目の前で次々と高級食材を程良く焼き上げてゆく過程に両目をキラキラさせ、そして火が通った肉や野菜をじっくりと味わうその姿は、本当に心から楽しんでいる様だった。
「ホント……喜美江ちゃんって美味しそうに食べるよね~……」
隣の席で羽歌奈が、可笑しそうに肩を揺すった。
ここ最近、羽歌奈は喜美江のことを緑山さんではなく、喜美江ちゃんと名前で呼ぶ様になっている。逆に喜美江も従来の佐伯さん呼びから羽歌奈先輩呼びへと変化しており、美貌の係長を随分と慕う様になっていた。
勿論ふたりとも、業務時間内ではお互いに技術者としての面を押し出し、下手に慣れ合う様な真似はしていない。が、一歩仕事を離れてプライベートの時間になると、姉妹の様に仲良くなっている姿が源蔵にはとても微笑ましかった。
(仕事とプライベートをしっかり切り分けて、お互いにエエ関係を結んでくれてるのは、流石天下の都小路電機の社員ってところかな)
しかし一部の役職者は枕業務を求めたりなどして、本当にどうしようもない連中が居ることもまた確かな事実である。
だが少なくとも源蔵は、自身が与えられた次世代AI機器設計開発部統括管理室は正常な会社組織として運営してゆく腹積もりだ。
既に部長以上の役職者には麗羅から何らかの通達が届ている模様で、源蔵の方針に下手な横槍を入れることは無いらしい。
であれば、ここから先は源蔵自身の意思でこの統括管理室を運営してゆくことが可能だ。これは裏を返せば、源蔵が下手を打てばその全てが同室全課員に被害が及ぶ。
責任は重大たといって良い。
勿論、その責任に見合うだけの権限と報酬は約束されている。だが、これまでの歴代室長達は、果たしてどうだったのだろうか。
(権限と報酬だけ貰うて、責任は欠片も果たしとらんかったんやろうな)
だからこそ、枕業務などというふざけた悪習がまかり通っていたのだろう。
それだけに尚一層、源蔵の肩にかかっている責任はより重いものになっているともいえる。
今後は誰よりも己を律してゆかなければならない。
(まぁでも……やることは今までと何も変わらんけどな)
白富士時代も、そしてダイナミックソフトウェア時代も、源蔵は己の矜持に従って生きてきた。そして彼の下に付いた者達は誰もが成功者への一歩を踏み出していった。
更に源蔵がトップに立った組織はいずれも健全に運営されてもいた。今更、己の手法を変える必要も無さそうに思える。
(後はどれだけ、敵を作らんかやな……)
今のところ源蔵は、技術者としての面をより強く押し出しているが、今後は一部門のトップとしての手腕も問われてゆくことになるだろう。
己の信念にばかり拘り過ぎて、他の権力者との間に軋轢を生んでしまえば、必ず悲劇が起こる。
そのことだけはしっかりと肝に銘じておかなければならなかった。
(それはそうと……久我山さん、ちょっとは元気になれたやろか)
ふと思い出して傍らの貴之に視線を流してみたが、彼の面には社屋を出る時までの悲壮な色は見られず、羽歌奈や喜美江と一緒になって最高級の食材を素直に楽しんでくれている様子だった。
と、ここで羽歌奈が源蔵の顔色を伺う様な調子でそっと覗き込んできた。
「あのぅ、室長……さっきから気になってたんですけど……あの色紙って……」
いいながら羽歌奈がカウンターキッチンの奥を指差した。そこには、或る若手俳優のサインが記された色紙が立てかけられている。
源蔵は、ああ気付きましたかと小さく頷き返した。
その若手俳優は、現在或る特撮ドラマに出演している若きイケメンだった。
「実はこのお店、今やってる例の日曜朝の特撮で一度、撮影に使われたことがあるんですよ」
「あ……やっぱり、そうだったんですね! 何だか、見覚えがあるなって思ってたら……!」
そういって今度は喜美江以上に目を輝かせ始めた羽歌奈。
そういえば彼女は、確か特撮オタクだった様な気がする。
源蔵が都小路電機の出社初日を迎える前に、路地裏のバーで彼女と初めて顔を合わせた際、羽歌奈は源蔵が手にしていたブルーレイボックスに随分と食いついていた。
この超高級鉄板焼き店で特撮オタクの一面を覗かせたのは、必然だったかも知れない。
「え、じゃあわたし、知らないうちに聖地巡礼を果たしちゃってたんだ……!」
「まぁでも、このお店は客層とお値段がそれなりなんで、普通のオタクにはちょっと手が届かないかも知れませんけどね」
そういって笑う源蔵の丸太の様な剛腕に、いきなり羽歌奈がしがみついてきた。
その瞳は感激に潤んでいる。
「あ、あああ……ありがとうございます室長……何だか、とっても夢みたいで……」
会社での羽歌奈は、仕事のデキるバリキャリクールビューティーなのだが、特撮オタクとしての彼女は本当に子供の如き純真な反応を見せている。
ここまで喜んでくれるなら、源蔵としても連れてきた甲斐があったというものだ。
その後、源蔵が他にも色々普通のオタクでは手の出せない聖地を知っているから連れて行ってやろうかと提案すると、羽歌奈はまるで夢見心地の乙女の様にひたすら喜んでいた。
「室長も中々、スミに置けないっスねー」
ひと通りの食事を終えて店を出たところで、いきなり喜美江が肘で源蔵の脇腹をちょいちょいと突いてきたのだが、源蔵には喜美江が何をいわんとしているのかがよく分からない。
「んも~……無自覚な女たらしって、ちょっとイケメン過ぎますよ~」
「いや、せやから何の話ですか」
そんなことをいい合いながら駅方面へと歩を進めている途中、不意に貴之が愕然とした表情で足を止めた。
何事かと源蔵も同じ方向に視線を流すと、そこで思わず渋い表情になってしまった。
ふたりが目を向けたのは、ラブホテル街。
その入り口に当たる辻の辺りから、彩華と賢人が並んで出てくるのが見えた。
(あちゃあ……エラいところに出くわしてしもうたな……)
この時の貴之は、目に見えて死にそうな表情を浮かべていたのだが、だからといって下手に慰めの台詞を添えてやる訳にもいかなかった。
(こればっかりは流石に、本人に乗り越えて貰うしかあらへんか)
源蔵は内心で、やれやれとかぶりを振った。
そしてそんな野郎連中の不自然な挙動に気付いたのか、羽歌奈と喜美江も彩華の姿に気付いて、喉の奥であっと声を上げそうになっている様子だった。