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149.ハゲはビジョンを抱える

 室長個室でのチャンピオンベンチ構築を進める傍ら、源蔵には室長としてこなさなければならない業務が幾つもある。

 そのうちのひとつが室内各課の定例会議への出席だった。

 本来であればリモートでの参加も可能なのだが、最初の内はなるべく各課の役職持ちの面々と直接に顔を合わせて、彼ら彼女らの反応を見ておきたいという考えから、敢えて電話会議が可能な大会議室へと足を運ぶ様にしていた。

 当然ながら、係長という役職を持つ羽歌奈と同じ会議に出ることもある。

 彼女が所属する統括管理二課には新崎課長以下、係長二名、主任四名の役職者が在籍しており、このうちおよそ半数が女性という構成となっている。

 源蔵はそのうちのひとり、主任の西沢彩華にしざわあやかに対して密かに注目の眼差しを送っていた。


(果たしてこのひとに、役職通りの実力があるのかどうか……)


 過日源蔵は、ログ不足による解析不可という馬鹿げた解析結果を残している不具合解析票を大量に目にしたのだが、それらを直接担当していたのが、この彩華だったのである。

 解析当時の彼女は役職を持たない平の技術社員だったのだが、どういう訳か幾つもの実績を重ねたことになっており、現在は主任として働いている。

 その点が源蔵には、どうにも納得出来なかった。


(まさかとは思うけど……)


 会議の最中も源蔵は、彩華の言動や態度を静かに観察していた。

 彩華は新崎課長や男性の係長、更には同僚の男性主任らに対して妙に媚びた視線を送り、時折意味も無く妖しげな微笑を浮かべたりもしていた。

 そして遂には源蔵に対しても、何か意味を含ませている表情を向けてくる有様だった。

 同課の係長である羽歌奈に対してはほとんど無視を決め込んでいる彩華だが、男性陣に対するこの態度にはおかしな点が幾つも見受けられる。


(やっぱり、そういうことなんやろか)


 これは、確かめる必要がある。

 源蔵は会議の終了間際、確認したいことがあるから少しだけ残って欲しいと彩華に呼び掛けた。

 最初彩華は意外そうな面持ちであったが、すぐにその美貌には妖艶な笑みが張り付き、畏まりましたと丁寧に頭を下げてきた。

 一方、新崎課長は何故か妙ににやにやと下卑た笑みを浮かべて会議室を出ていった。

 そして羽歌奈はというと、幾らか困惑した色を見え隠れさせている。

 しかし源蔵の意識は、居残った彩華に対してのみ向けられていた。


(さて……どう出てくるやろな)


 そんなことを思いながら他の面々が全員出てゆくのを待っていると、彩華がゆっくりと源蔵の座っている席へと歩を寄せてきた。

 彼女の笑みは、どう見ても営業スマイルでも無ければ上司に対する敬愛の微笑でもない。

 明らかに、相手を誘惑せんとする挑発的な意味を多分に含んでいた。


「お疲れ様です……それで、私にはどういった御用件でしょうか」


 いいながら彩華は、通常ではあり得ない行動に出た。

 彼女は源蔵の前に椅子を引いて座るのではなく、会議机に豊かな肉付きの尻を押し付ける様にして座り、彼の目の前でミニスカートから伸びる太ももをこれ見よがしに露わにしながら脚を組んだのである。

 彩華はどうやら、この会議室に呼び止められたことを枕業務の為だと認識している様子だった。

 そんな彼女に対して源蔵は大きな溜息を漏らし、会議机を挟んで反対側にある椅子を指差した。


「座るところを間違えてますよ。西沢さん、そっちの椅子に座って下さい」

「え?」


 一瞬彼女は、源蔵が放った言葉の意味を理解していない様子で小首を傾げていた。

 しかし源蔵は更にもう一度、椅子に座れと強面を渋い色に染めて命じた。

 するとようやく彩華は源蔵の意図を理解したらしく、失礼しましたと小声で詫びてから、キャラメルブラウンの艶やかなロングボブレイヤーを揺らしながら慌てて正面の椅子に座り直した。


「さて西沢さん……ログの解析は、苦手ですか?」

「ログ……ですか?」


 彼女は源蔵が何をいわんとしているのか、まだ理解していない様子だった。

 そこで源蔵は、彼女が過去に担当した不具合解析票のお粗末極まりない内容を次々と指摘し、そしてそれらを全て源蔵自身が解析し直してバグの原因を突き止めた旨を告げた。

 その間、彩華は呆然とした面持ちで源蔵の強面を見つめるばかりであった。


「西沢さんの今の担当業務は、何ですか?」

「はい、えぇと……市場不具合流入時の、一次解析です……」


 そう答えた彩華だが、実際の解析は彼女の下についている若手がメインとなって着手しており、彩華自身はほとんど何の役にも立っていないことを源蔵は既に把握していた。


(けどこのひと、情報処理系の大学は出てるんやんな……)


 つまり、素養はある。が、この会社に入ってからはその能力を全く発揮していない。

 恐らくは枕業務などという馬鹿げた悪習に身を堕としてしまい、彼女の本来の実力を腐らせてしまっているのだろう。

 いわば彩華も、犠牲者のひとりだということが出来る。


(問題は本人に、どこまでやる気があるかやな)


 ここで源蔵は巨躯をずいっと前に押し出す様な格好で身を乗り出した。その迫力に気圧されて、彩華は今にも泣き出しそうな面持ちで僅かに身を引いた。


「西沢さんに改めてお聞きしますが、貴方は今後、当社で技術者としてのキャリアを積んでゆく気は、ありますか?」

「技術者、ですか……?」


 この時彩華は、最初の内は呆然としていたものの、やがて悔しそうに唇を噛んで静かに俯いた。

 それからしばらく、重苦しい沈黙が流れた。

 源蔵は辛抱強く待ち続けたが、やがて彩華は僅かに目を赤くして向き直り、小さく頷き返してきた。


「はい……あります」

「分かりました。では明日から当分の間、室長付の解析担当として僕のところに来て貰います」


 それだけいい残して、源蔵は立ち上がった。

 そして彼が室長個室に引き返すと、その扉の前で何故か羽歌奈が不安げな様子で佇んでいた。


「あ、丁度エエところに……明日から佐伯さん、緑山さん、久我山さんの御三方は西沢さんと一緒に、室長付解析担当として働いて貰います」

「はい、承知しました……って、え? 西沢さんもですか?」


 羽歌奈は心底驚いた様子で目を白黒させていたが、源蔵はそうだと頷き返してから、それ以上は何もいわず室長個室内へと足を踏み入れた。


(この四人を、僕の手足になる精鋭に鍛える。資質は十分にあるしな)


 源蔵の中では、明確なビジョンが組み上がっている。

 その組織設計には一点の曇りもなかった。

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