146.ハゲは先が思いやられる
源蔵はまず手始めに、これまでに次世代AI機器設計開発部が担当してきたソフトウェア開発案件の過去の不具合について、傾向を探ることにした。
「佐伯さんは現行機種、緑山さんはひとつ前の機種の不具合管理DBから、特に傾向の多いトップ3をそれぞれ抽出して貰えますか」
「は、はい! 今すぐ!」
元気の良い声で応じたのは喜美江だったが、羽歌奈はどういう訳か胡乱な目つきで源蔵を一瞥。しかし彼女もすぐに喜美江と同じく作業に着手した。
現在、室長個室内には源蔵専用の執務デスクがある他、来客対応用の応接テーブルとソファーのセット、更には壁際に事務作業用のデスクが三組並んでいる。
羽歌奈と喜美江には事務作業用デスクのうちのふた組をあてがったが、この時源蔵は、不自然な程に大きなソファーをちらりと見遣った。
(過去にここで、枕業務とかをやってた可能性がありそうやな)
ふたりの男女が体を重ねるには十分なサイズのソファーだった。もうほとんど、シングルベッドと呼んで良い程の面積がある。恐らく過去の室長の誰かが、そういう目的で運び込ませたのだろう。
しかし源蔵にとっては無用の長物だ。寧ろ、邪魔だといって良い。
(こんなんあったら、ベンチ組まれへんやんか……)
実のところ源蔵、この室長個室にひとつのチャンピオンベンチを組み上げようと画策していた。
チャンピオンベンチとは現在ソフトウェア開発中の対象機器に加えて、周辺の各接続機器を全て揃えて、ひとつの完成したシステムを組み上げたものを指す。
いわば、エンドユーザーの使用状況に最も近しい評価環境を構築しようという訳だ。
当然その為には各部署からの払い出し品を掻き集めたり、連携する各メーカーから全てのモジュールを買い揃えるなどの作業が必要となる。予算もそれなりに組まなければならない。
しかし管理職であると同時に、根っからの技術者でもある源蔵にとっては、この室長個室の無駄に広いスペースは効率的にソフトウェア開発を進めてゆく為の生贄にすべきだと考えている。
(この部屋に来たら、市場で出た不具合の再現試験とかも簡単にさくっとやれるっていう状況を作っとかんとな……)
そんなことを考えながら室内をぐるりと見渡していると、やがて羽歌奈と喜美江がそれぞれの抽出作業を終えて源蔵のアカウントにデータを送りつけてきた。
「……はて、何やこれは」
ふたりから得た情報には、ひとつの特徴的な傾向が見られた。
ログ不足による解析不可、という項目が上位を占めていたのである。
「何ですか、これは。今までの市場不具合解析は、こんな適当な結果で終わってたんですか?」
「……そういうことに、なりますね」
羽歌奈は渋い表情。一方の喜美江は、まるで自分が叱責されているかの如く妙に小さくなっている。
源蔵は厳しい顔つきのまま、ふたりに各不具合解析票に添付されているログを全て出せと命じた。
「加工されたもんやなくて、生ログをそのまま出して下さい」
「え……生ログを、ですか?」
心底驚いた様子で、羽歌奈は両目を瞬かせている。しかし源蔵は仏頂面のまま静かに頷き返した。
そして、それからおよそ小一時間程度、源蔵は送られてきた全ての生ログを自身のPCで変換し、抽出し、そして自ら解析に当たった。
「何でこんなもんが、ログ不足で解析出来へんのや」
思わず、そんなひと言を漏らしてしまった源蔵。
すると羽歌奈が興味を惹かれた様子でじぃっとこちらを見つめてきている。
源蔵は自身のPCにHDMIケーブルを繋ぎ、白い壁に向かってプロジェクターを起動してふたりの美女に解析結果を示した。
「コアファイルを吐いてました。その出力タイミングに合わせてシステムログを見たら、内部リセットが起きていたことも分かります。トップ3に上がっている不具合全部、同じ傾向ですよ。こんなもん、コアトレースしたら速攻で原因箇所分かる筈なんですけどね」
何故、この程度の解析も出来ないのか。
不具合解析票に記載されている解析結果を見ると、いずれもソースコードに埋め込まれたログを追いかけているばかりで、システムログやコアファイルの解析には全く、それこそ指一本触れていないことが分かった。
こんなことでは、バグの根本原因など分かる筈もない。
しかるに、何故この様な稚拙で素人臭い解析ばかりがまかり通っているのか。
(不具合解析担当に、知見が無いんか)
源蔵は各不具合解析票の解析担当者欄に視線を走らせた。
いずれも、女子社員である。
(……まさか、枕業務とかで偽のキャリアを積んだ社員ばっかりなんとちゃうやろな)
だが、その予測は恐らく正しいであろう。
技術の研鑽ではなく、性的な見返りを上司や役職者に捧げることで、業務上の実績を積んだことにしていたという訳か。
であれば、解析能力が伴っていないことも頷ける。
(こらぁ……ちょっとやそっとでは体質改善は無理やな)
源蔵は思わず天井を仰いだ。
ところが、そんな源蔵に羽歌奈が驚いた様子で、意外そうな視線を送りつけてきていた。
「……あの、室長……もしかして、解析とか、出来るんですか?」
「え? そらそうでしょう。何の技術も知見も無しに室長になんてなれますかいな」
そんな源蔵の反応に、羽歌奈は更に愕然としていた。
「えっと……そんなことを仰る室長は、楠灘さんが初めて、なんですが……」
源蔵は思わず、眉間に皺を寄せた。
一体この会社はどうなっているのだろう。
或いは、都小路電機という組織が余りに巨大過ぎて、一部の部署では仕事ではなく享楽だけがまかり通っているのだろうか。
そうとでも考えなければ、到底説明のつかない話だった。