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142.ブサメン、一杯食わせる

 DS横浜サテライト内に幾つか在る小会議室のひと部屋に、重苦しい空気が立ち込めている。

 奈津美、葵、翔太、美彩、璃奈の五人は今にも死にそうな顔つきで、青ざめた表情を俯かせていた。

 そんな中で源蔵はただひとり、呑気な顔つきで手にした缶コーヒーを呷っている。


(もうそろそろかな)


 壁掛け時計にちらりと視線を走らせた源蔵。

 するとほぼ同時に小会議室のドアが開き、琢磨のにこやかな顔が飛び込んできた。


「やぁやぁ皆さん、突然の招集に応じて下さって、ありがとうございます」


 表情こそ笑っているものの、その目は決して和やかな色を浮かべてはいない。これから俺がこのチームの主だから、誰ひとりとして口答えするなという威圧感が潜んでいる様に感じられた。

 源蔵以外の面々は、悲痛な面持ちで静かに頭を下げるのみである。

 今日この時から、奈津美が代表を務める新型AI調理機器専用レシピ転送アプリの現場監督は、担当課長である琢磨がそのトップに立つということになるのだ。

 これまでに散々嫌な目に遭わされてきた奈津美や翔太のみならず、美彩や璃奈までが苦悶の色を浮かべているというのは、琢磨の過去の言動が如何に酷いものであったのかを十分に物語っているといって良い。

 しかし当の琢磨には全く悪びれた様子が無い。

 彼が奈津美や翔太、美彩、璃奈に対して取ってきた態度、言動は彼にとっては至極当然のものであり、誰にも責められるいわれは無いというところなのだろう。


「さて、記念すべき永橋チームの最初のミーティングの議題ですが……」


 既に琢磨は、この開発チームが自分のものであると認識している様だ。永橋チームなどと当たり前の様に呼ばわったのが、その最たるものだろう。

 流石にここまでくると、苦笑を禁じ得ない。源蔵は口元が緩みそうになるのを必死に堪えた。


「櫛原さんの処遇についてです。人事とも話し合ったのですが、櫛原さんには都小路電機に出向して頂き、うちと先方の橋渡し的な立場としての大役を果たして頂きたいと思っています」


 その瞬間、室内の美男美女らは絶望的な面で源蔵に視線を集めてきた。

 琢磨は栄転だといわんばかりの朗らかな表情だが、要は源蔵を体よくチームから追い出して、本格的に自分が全てを掌握しようと画策したに過ぎない。

 しかしこれは、ダイナミックソフトウェアの人事部が正式に決めた事項だ。

 源蔵には拒否権は無かった。


「謹んでお受け致します」


 ゆっくりと立ち上がってから、深々と頭を下げた源蔵。

 奈津美は今にも泣き出しそうな顔で、源蔵の強面を横合いからじっと見つめてきていた。


「そんな……櫛原さん……ホントに、出ていっちゃうんですか……?」


 美彩が僅かに立ち上がりかけたが、この時琢磨が、微笑を浮かべながらも射抜く様な視線で彼女をじろりと睨んだ。

 社内コンペ期間中、美彩は琢磨から精神的に抑圧され、追い込まれてきたに違いない。彼女はエースと呼ばれた男の鋭い眼光を浴びて、何もいい返すことが出来ずに再び腰を下ろすしかなかった。

 それから琢磨は、何事も無かったかの様な調子で再び源蔵に笑顔を向けた。


「では櫛原さん。是非とも、宜しくお願いしますよ」

「はい、お任せ下さい」


 もうこれ以上は、何の議論も必要は無い。

 源蔵はノートPCを小脇に抱えると、そのまま小会議室を出た。

 その大きな背中に奈津美、葵、翔太、美彩、璃奈らの追い縋る様な視線が張り付き、彼を無言で引き留めようとしていたが、しかし源蔵は構わず退出した。

 そして廊下を少し進んだところで足を止め、スマートフォンを手に取って発信。

 電話の相手先は、麗羅だった。


「あ、ゲンさん。もう終わった?」

「はい、先程。後は計画通りに」


 短い会話の中に、全てが凝縮されている。

 琢磨は転んでもただでは起きぬ男の様だが、源蔵は更に全てをひっくり返す腹積もりだった。


◆ ◇ ◆


 翌日、同時刻。

 DS横浜サテライト内の小会議室に、琢磨や奈津美達が顔を揃えているところに、源蔵の姿があった。


「……櫛原さん、どうして貴方が、ここに?」


 琢磨の敵意に満ちた視線が源蔵の穏やかな面に叩きつけられたが、源蔵は飄々とした顔つきのまま、


「先程、連絡が入ったかと思います。お手元のPCでメーラーをご確認下さい」


 と、短く応じるのみだった。

 これを受けて琢磨は訝しげな表情ながら、いわれた通りに自身のノートPCを覗き込み、そして数分後にはすっかり顔を青ざめさせていた。

 一方、奈津美達も何事かと同じ様にそれぞれの端末上で画面を覗き込んでいる。そしてその直後には、全員の面に明るい喜色が浮かび上がっていた。


「御覧の通り、都小路電機への出向としてあちらに参りましたが、その日の内に僕が都小路電機側の嘱託としてこちらに居残ることになりました。あと、先方とうちの人事との協議の結果、僕がこのチームの運営統括責任者となりましたので、また引き続き宜しくお願いします」


 源蔵が口にした運営統括責任者というのは、役職に当てはめると室長権限を持つことになる。

 つまり、琢磨よりも二段階上の立場にあるという訳だ。

 源蔵が都小路電機から与えられた権限は予算、運営、人事など多岐に亘る。単なる担当課長では到底足元にも及ばぬ強者の立ち位置だった。

 実はこの運営統括責任者の権限は、事前に麗羅と都小路電機役員、そして源蔵の間で就任が取り決められていたのである。

 勿論、琢磨が今回のソフト開発に横槍を入れてくるであろうことを事前に察知した上での話だ。

 このダイナミックソフトウェアには都小路電機から出向してきているマネージャークラスの社員が数多く在籍しており、彼らの耳目にも琢磨の行動は早い段階から飛び込んでいたのだ。


「ゲンさんに仇為す様な輩は、わたしが排除するから」


 麗羅のその鶴の一声で、全てが決まった。

 琢磨は体よく源蔵を追い払ったつもりだろうが、逆に自らの首根っこを掴まれた様なものである。


(永橋さんには悪いけど、僕に喧嘩を売るのは後十年は早かったですなぁ)


 歓喜の表情を浮かべて源蔵の周囲に輪を作る奈津美達の歓迎の声を受けつつ、源蔵は今にも死にそうな顔の琢磨を横目で流し見ていた。

 琢磨は完全に、墓穴を掘った。手を出してはならない相手に、手を出してしまったのだ。

 今後、彼が社内で再び浮上する切っ掛けを掴むことは、もう無いだろう。

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