14.バレてしまった断トツの成績
土曜日の、ランチタイム。
カフェ『リロード』店内は、ごく一部で奇妙な緊張感に包まれていた。
今や常連客と化した早菜や美智瑠、或いは晶といった面々は、カウンター席のストゥールに腰かけている美麗な顔立ちの新規客の姿を、固唾を呑んで見守っていた。
操と冴愛も、表面上はいつも通りの態度ではあるが、その内心はきっと穏やかではなかっただろう。
この日、新たに登場したひとりの男性客は、白富士インテリジェンス株式会社の統括経営室長兼総合開発部長の玲央だった。
彼は気さくな笑顔でドアチャイムを揺らし、本日のオススメランチであるハンバーグプレートをオーダー。
そして今は食後のコーヒーをのんびりと楽しんでいるところだった。
「いやあ、噂にたがわぬ大変美味なお料理でした」
「恐れ入ります」
本当に美味しそうに全てを綺麗に平らげた玲央は、心から満足した様子で穏やかな笑みを浮かべた。
この時、操と冴愛は幾分ほっとした顔で小さな吐息を漏らしていたが、厨房から顔を覗かせた源蔵は未だ緊迫感に満ちたままである。
玲央がこの店を訪れたのには、きっと何か理由がある筈だと踏んでいたからだ。
そして事実、玲央は穏やかな表情でカウンター裏に出てきた源蔵に、のっぴきならぬ台詞を吐いた。
「正直に申し上げます。私は楠灘さんには、このお店で働くことを辞めて頂きたいと考えておりました」
玲央のこの台詞に操や冴愛のみならず、早菜、美智瑠、晶の三人までが表情を硬くした。
が、源蔵は何となく予感していた為、然程に驚くことは無かった。
更にいえば、玲央はまだ何かを続けていおうとしている。ここは彼の言葉を待った方が良さそうだ。
「私としては楠灘さんに、我が社での業務に全力投球して頂きたいと願っていたからです……が、その考えは先程、改めました。このお店は楠灘さんにとっても、一種の活力の源となっている様ですね。ここから見る楠灘さんのお姿は、実に活き活きとしておられた。このお店の厨房で元気を補充することで、我が社での業務に更なる力を発揮して頂けるなら、その方がベストでしょう」
玲央の言葉に、嘘は無さそうだった。
ここで、それまで漂っていた緊張感が一気にほぐれた様な気がした。
源蔵はタオルで手を拭いながら、もう一度頭を下げた。玲央の理解を得られた意味は、非常に大きいといって良い。
「楠灘さんがこちらで働かれることについては今後一切、干渉致しません。その上でひとつ、御相談があるのですが」
玲央は幾分勿体ぶったいい方で源蔵の顔を真正面から覗き込んでいた。
ここで再び、一部の面々の間に緊張感が漂い始めた。矢張りこの人物、ひと筋縄ではいかない。
「半年後に、幹部社員登用審査が御座います。私としては楠灘さんに、是非受験をお願いしたい」
「……ですが、年齢が受験資格に達していないのではありませんか?」
内心で驚きを抑えつつ、源蔵は眉間に皺を寄せた。確か、35歳以上でなければ受験出来ない筈だった。
が、玲央は現幹部社員の推薦があれば受験可能だと静かにかぶりを振った。そしてその推薦人には、玲央自らが立つとも告げた。
リロードの店内に驚きと困惑、そして期待が入り混じった空気が漂う。しかし源蔵は、まだ何か裏があると睨んでいた。
まずは玲央の本心を聞き出さなければならない。
「先日の役職者を集めての挨拶の際、楠灘さんは何かおかしいと思いませんでしたか?」
「おかしいこと、ですか?」
源蔵は腕を組んで首を捻った。
どの役職者も知った顔ばかりだから、別段妙な点は無かった筈なのだが、いわれてみればひとつだけ気付いたことがあった。
「皆さん、そのぅ……美男美女が多かった、ですかね」
「そう……まさに、その通り」
何とは無しに答えたつもりの源蔵だったが、玲央のその応えに、本当ですかと思わず訊き返してしまった。
玲央の表情はしかし、真剣だった。決して冗談を語っている様には見えなかった。
「我が社は典型的な家族経営の会社です。白藤家が会長から専務の座を独占し、代表取締役にも白藤家の血筋の者が半数以上入っています。そしてこの白藤家にはひとつ厄介な家訓がありましてね」
曰く、人間の資質はその能力と美醜に現れる、などというものらしい。
かつて白富士インテリジェンス株式会社は、前身の白藤情報技術株式会社の時代に、代表者が余りに醜い容貌だった為に受注が振るわず、同業他社に後れを取りまくるという時期があったのだという。
その為、現在の白藤家では兎に角、必要以上に美醜に拘る風潮が強く、それは幹部登用から新入社員の採用に至るまで、様々なところで影響しているということらしい。
しかし玲央は、この馬鹿げた家訓を自分の代で一掃したいと鋭く吐き捨てた。
「今どき、こんな前時代的な考えで会社が成り立つ筈がありません。現に一部上場企業のどこを見ても、美醜で採用や人事を決めている会社など皆無です。もっといえばこれは明らかな人権侵害であり、コンプライアンス違反も甚だしいでしょう」
しかも今年の夏、白富士インテリジェンスの株主保有率に変動が生じ、新たな大株主が誕生している。近いうちに、今の経営方法や人事にメスが入るだろう。
しかし白富士インテリジェンスの経営組織である白藤家では、この馬鹿げた思想が未だに当然の如くまかり通っているのだという。
玲央は語る。
こんなふざけた思想で経営を続けていれば、いずれ遠からず優秀な社員がどんどん減ってゆき、会社そのものが大きく傾くだろう、と。
「皆さんも、ご自身の部署内をよく思い出して下さい。必要以上にイケメンや美女が多い様に思いませんでしたか?」
玲央に問われ、早菜や美智瑠、晶、更には操までもが、確かにいわれてみればと頷く有様だった。
「私はそこに風穴を空けたい。そこで目を付けたのが楠灘さんです。貴方は新入社員採用試験では断トツの成績を叩き出し、人事部の連中を黙らせたという実績があります」
「え、そうなんですか」
源蔵は驚いたものの、しかし確かにそうでなければ、自分の様な不細工が採用には至らなかったかも知れないとも考え直した。
「実は我が社の人事の際には、美麗枠などというふざけた採用、登用基準が極秘適用されています。実際、その弊害が既に出始めています。採用の際に顔立ちを優先する余り、能力や意識の低い若手社員がぽつぽつと出始めているのです。その実例が、先日の社内コンペでした」
ここで玲央は驚くべきひと言を発した。
彼は美麗枠で採用された若手イケメン社員である雅史が、美智瑠のアイデアを盗用した事実を知っていたというのである。
勿論、これはコンペ後に改めて調査した結果、分かったことだという話だが、それでもそこまで調査する能力があるという時点で、玲央の管理や統制に於ける実力は相当なものであろう。
「ですので、楠灘さん……貴方には決して美醜では計り知れない実力を、白藤家に思い知らせて頂きたい。勿論これは強制ではありません。私からの一方的なお願いですので、お断り頂いたからといって貴方に何らかの不利が生ずることはありませんから、その点はご安心下さい」
玲央はここで一旦、言葉を切った。
その余りに衝撃的な真相に、源蔵はしばし言葉を失ったままだった。