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139.ブサメン、無力を痛感

 帰宅後、源蔵はそのままベッドに潜り込もうかと考えたが、しかしその前に美月からの着信が入った。

 美彩や璃奈をチームに受け入れるか否かで頭を悩ませていた源蔵だったが、ここで愛娘の顔を見れば多少気が晴れるかもしれない。


「あ、お父さん……何だか、疲れた顔してるね」


 ビデオ通話でその愛らしい美貌を覗かせた美月は開口一番、源蔵の心理を見抜いたかの如く、そんな台詞を放て来た。

 確かに精神的に疲れている。

 ダイナミックソフトウェアを辞めたいと願う一方で、美彩と璃奈をこのまま見捨てて良いのかという葛藤が芽生えていたからだ。

 そもそもダイナミックソフトウェアを辞めて楠灘源蔵に戻ろうとの意思を持ち始めた最大の理由は、美月が経営する店で雇われシェフに入りたいと本気で願ったことにある。

 その美月が今、どこまで源蔵を必要としてくれているか――その応え次第では、もう少しダイナミックソフトウェアで頑張るのもひとつの手だ。

 ところが美月はそんな源蔵の思惑をまるで無視するかの如く、全く異なる話題を口にしてきた。


「えっとね、お父さん。落ち着いて聞いて欲しいんだけど」


 彼女の端正な顔立ちには緊張の色が張り付いている。何か拙いことでもあったのか。

 自然と源蔵の強面にも硬い表情が浮かぶ様になった。


「何か、あったんか?」

「うん、その……操さんのことなんだけど」


 ここで源蔵は、ごくりと息を呑んだ。

 そういえばここ最近、操がカフェ『リロード』店舗には余り顔を出さなくなったという話を聞いていた。おまけに、随分と痩せ始めているとも。

 嫌な予感を覚えた源蔵ではあったが、まずは美月の次の言葉を待つことにした。


「今日ね、操さんと話したんだ……でね……その……操さん実は……」


 美月は一瞬、いい澱んだ。

 その瞳には逡巡の感情が見て取れる。

 が、彼女はすぐに意を決した様子で画面越しに源蔵の顔をじっと見つめてきた。

 そしてひと息入れてから、次なる台詞を放った。


「操さんね……HIV感染症だったんだって」


 思わず息を呑んだ源蔵。

 まさか、そんなことが――しかし美月の表情は真剣そのものである。彼女は決して嘘などついていないのだろう。

 だがしかし、何故操がHIVなどに感染してしまったのか。

 その理由はすぐに明らかとなった。


「うちも正直、耳疑ったんだけど……ほら、前に話したバリスタ講師の元カレ、居たじゃん? どうも、その元カレから感染したっぽいんだよね」


 美月は大きな溜息を漏らした。

 対する源蔵はただ絶句したまま、凝り固まってしまっている。何をどういえば良いのか、全く頭が廻らなかった。


「お父さん、大丈夫?」

「あ、うん……大丈夫。ちゃんと話、聞いとるよ」


 心配そうな面持ちの美月に対し、源蔵は空元気を搾り出して笑みを浮かべた。

 そして同時に、踏ん切りがついた。

 矢張り今すぐにでも楠灘源蔵に戻り、操を支えてやろう。今の自分に出来ることは、それしかない。

 ところが美月は、思わぬひと言を更に繋げてきた。


「それでね、お父さん……操さんには絶対、会わないで欲しいの」

「え、何で?」


 美月が何をいわんとしているのか、源蔵にはよく分からない。どうして操と会って、彼女を支えてやることが出来ないのか。

 そんな源蔵の疑問を見抜いたらしく、美月は小さくかぶりを振って吐息を漏らした。


「お父さんが北米支社に出向行く前、操さん、何ていってたか覚えてる? 操さん確か、こういってたんだよね……お父さんのこと、ずっと待ってる。待って、伝えたいことがある、って」


 確かに操は、そんなことをいっていた様な気がする。

 だが、それとこれと一体どういう関係があるのか。源蔵にはまだピンと来ていなかった。


「よく考えて、お父さん……女がね、帰ってくるまで待ってるって宣言したにも関わらず、男不在の間に別の奴と関係を持っちゃったんだよ? そんなこと知られたら、どう感じると思う? 多分……うぅん、絶対操さん、立ち直れなくなると思う」

「いやいや……神崎さんが僕を異性として見てたとか、んなアホな」


 源蔵には、どうにも信じられない。操が源蔵をひとりの男として見ていた上に、彼の帰りを本気で待っていたというのだろうか。

 だが美月は、操はそのつもりだったと断言している。それが源蔵にはよく分からなかった。


「兎に角……お父さん、今はこっちに返ってきちゃ駄目。操さんのことは、うちや詩穂さん、冴愛ちゃんで支えるから。変にお父さんが帰ってきたりしたら、操さん絶対自分を責めまくるだろうし、何しでかすか分かんないよ?」


 源蔵は、何もいえなかった。

 まさかこんな形で、結論が出ることになろとは――源蔵は今しばらく、櫛原厳斗としてこちらに残ることを余儀無くされた訳である。

 その愕然たる表情を、美月は気の毒そうな面持ちでじぃっと見つめていた。


「お父さんの気持ち、分かるよ……今すぐにでも操さんを支えてあげたいよね? でも、それだけは絶対に、やっちゃ駄目だから……我慢して、うちらを信じて? お願いだから」


 今、源蔵がリロードに舞い戻ることは即ち、操を徹底的に叩きのめすことに他ならないのだという。

 美月曰く、こればかりは操が招いた自業自得ではあるが、かといって操のことが大好きだから、彼女を責めることは出来ないとも語っていた。

 リロードの面々は皆、操をひとりの人間として尊敬し、大切に思っている。

 だからこそ源蔵抜きで何とか助け、支えてやりたいのだという。


「……分かった。ほな僕は、こっちに残る。その代わり美月、神崎さんのこと、しっかり頼むで」

「うん。任せて。絶対にちゃんと支えてみせるから」


 そこで通話回線は途切れた。

 この夜、源蔵はしばし眠りに就くことが出来なかった。

 余りにもショッキングな事実だった。


(僕は……肝心な時に、役立たずやな)


 如何に仕事で結果を出そうとも、リロードを守ってくれた大切な恩人を助けてやることが出来ないなら、ただ無力で無様な輩に過ぎない。

 その事実を、源蔵はひたすらに痛感するばかりだった。

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