136.ブサメン、ひとり冷静
そして遂に、決戦の日を迎えた。
ダイナミックソフトウェア本社の社屋最上階に在る大会議室に社長や専務、各部署の主だった面々、更には執行役員なども顔を揃えており、中々壮観な景色が現出していた。
更には都小路電機からも幹部クラスが列席しており、社内コンペ参加各チームのメンバーにかかるプレッシャーは相当なものになっている。
そんな中で源蔵はひとり、涼しげな顔で自チーム小テーブルにのんびりと腰かけていた。
この日、源蔵のチームで発表に立つのは奈津美と翔太の両名だ。源蔵は、ふたりが言葉に窮した時にフォローするサポート役として臨むことになっている。
奈津美と翔太は緊張でがちがちに凝り固まっていたが、このふたりならば十分にやれると源蔵は信じて疑わなかった。
(あれ、麗羅お嬢様も来てはったんや)
合同発表会開始直前になって、ひと際美しい姿が都小路電機側に席を与えられていた。どうやら麗羅は、都小路グループの代表としてこの社内コンペの行く末を見届ける腹積もりらしい。
その麗羅が他の参加者の目を盗んで、源蔵に対してだけ小さなウィンクを送ってきた。
(ははは……お嬢様、めっちゃ余裕かましてはんな……)
それもそうだろう。
今回彼女は審査する側に立っているのである。
都小路家の次期当主レースでは審査される側に立っていた彼女だが、この会議室では真逆の立場に居るのだから、相当に気が楽なのだろう。
そうこうするうちに、今回の社内コンペを主催する企画部署の部長がマイクを取って立ち上がった。
彼が開会の宣言と挨拶の言葉を述べてから、司会進行役がその後を引き継いで、いよいよ発表会開始へと流れてゆく。
どのチームも気合のこもった様子で自慢の企画内容を次々と発表していったが、中でも多くの耳目を集めたのが琢磨チーム発表の、MDフォームズに搭載するアプリケーション企画だった。
「これ以上のアイデアは恐らく出てこないでしょう。最高の企画内容であると自信を持ってお届けします」
勝ち誇った笑みを浮かべる琢磨に対し、既に発表を終えた他のチームは一様に肩を落としている。
源蔵が仕入れた情報によれば、他のチームもMDフォームズ搭載アプリ開発に舵を切ろうとしていたらしいのだが、琢磨が自慢の政治力を発揮してそれらを全て叩き潰していたらしい。
(やっぱり頭ひとつ抜けてたってことかな……少なくとも、社内の政治力であのひとに勝てるひとは皆無やろうな)
事実、翔太とて完璧にしてやられた。恐らく奈津美が動いていたとしても結果は変わらなかっただろう。
そして琢磨の弁舌も中々に達者だ。彼の言葉に、ダイナミックソフトウェア上層部は惜しみない称賛を贈っていた。
ところが――。
(やっぱり、そういう顔になるわな……)
源蔵は、都小路電機側の反応が今ひとつ鈍いことに気付いていた。麗羅ですら、何ともいえぬ微妙な表情を浮かべている。
そして壇上に立っていた琢磨も、都小路電機のお歴々から然程の賞賛を貰えなかったことに、意外そうな面持ちを見せていた。
だが源蔵にしてみれば、これは当然の結果だった。
「では最後に、折山チームの企画案発表です」
最後のトリを務めるのは、奈津美と翔太の両名であった。
ふたりは壇上に立ち、未だ緊張の色が残る顔ではあったが、それでも堂々と発表を開始した。
「では発表致します。私達が企画したのは、Gプレイ及びAストアを経由する配信ソフトとなります。こちらはブルートゥース接続上でレシピ情報を転送する機能をメインとしております」
この時、ダイナミックソフトウェア上層部は意外そうな面持ちを見せていたが、しかし都小路電機側は皆一様に、興味津々といった様子で身を乗り出していた。
逆に琢磨は、最初のうちは鼻でせせら嗤う様に勝ち誇った笑みを浮かべていたが、都小路電機側の真剣そのものの表情を見るにつけて、次第にその顔が青ざめてゆくのが分かった。
「残念ながらMDフォームズ購買層の九割以上が二十代から三十代の男性で占められており、今回のAI調理器具ターゲット層とは大きくかけ離れています。その為、MDフォームズにアプリを搭載するという案は、下手をすれば抱き合わせ商法というマイナスのイメージを消費者に抱かせることになりかねません」
奈津美が説明したこの情報は、源蔵がデータサイエンティストとしての技量を駆使して掻き集めた事実であった。
MDフォームズはタブレット端末としては非常に高スペックだが、実際に調理を手掛ける主婦層にはほとんど売れていない。デジタルデバイスに強い購買意欲を持つ層には受けが良いが、使い勝手と安さを追求する主婦層には到底向かない製品だったのだ。
にも関わらず、MDフォームズにのみ専用アプリを搭載するということは即ち、AI調理器具の購入に併せてMDフォームズも一緒に購入しろと迫る様なものである。
家計を預かる主婦層ならば、MDフォームズとの抱き合わせ商法など以ての外であろう。
だから源蔵は、一般の主婦が普通に所持しているスマートフォンにアプリを配信する方策を取った。
(MDフォームズ搭載アプリってのは、うちの会社の上層部には受けがエエんやろうけど、実際にモノを買ってくれる主婦の皆様方には何の訴求力も無いんやで……永橋さんの敗因は、エンドユーザーやなくて、自分とこの会社のお偉方の顔色ばっかり見てたことや)
モノづくりは、実際に使ってくれるユーザーの顔を見て進めなければならない。
しかし琢磨は技術者としての矜持ではなく、社内に於ける己の地位を向上させることだけに注力した。それが決定的な敗因だったといえるだろう。
(永橋さんは多分、自分では実際に料理とかせんのやろうな……せやからMDフォームズみたいな、調理台に置いたら邪魔でしゃあないようなモンを平気で採用したんとちゃうかな)
源蔵は実際に、キッチンにMDフォームズを置いて料理を実践してみた。ところが、余りにそのサイズが大き過ぎて、正直なところ邪魔にしかならなかった。
調理する際に必要なのは、正確なレシピと手順である。他人が作った料理の出来栄えをでかでかと表示するだけの大型タブレットは、全く無用の長物に過ぎなかった。
それ故に、MDフォームズなどを採用してしまえばこの企画は絶対に失敗すると確信した。
(何でその程度のことも、分からんかったんやろうなぁ)
源蔵はただただ、呆れるしかなかった。
やがて、奈津美と翔太の発表も終了した。
ふたりは大役を無事にやり切った充実感を面に浮かべて、源蔵と葵が待つ小テーブルへと戻ってきた。
そしてそれから一時間後――社内コンペの最優秀企画案が発表された。
勿論、その栄冠に輝いたのは源蔵達のチームが発表した配信アプリ型ソフトウェアだった。逆にMDフォームズ搭載アプリを発表した琢磨のチームは、最下位に沈んでいた。
恐らく都小路電機側も、MDフォームズを採用するのは愚策中の愚策であると判断したに違いない。
「や、やった……櫛原さん……わたし達……本当に、優勝、しました……!」
自席で結果を知った奈津美が、信じられないといわんばかりの表情でうっすらと涙を浮かべた。
翔太は翔太で、派手にガッツポーズを作りながら大声で吠えている。
周囲からは、称賛の拍手が沸き起こっていた。
「やりましたよ! 櫛原さん! うちが! うちが優勝です!」
葵も興奮しきりの様子。
そんな中で源蔵はひとり、冷静だった。
(いや……あんなん、勝って当然やねんけどな)
逆に源蔵は、不思議だった。どうして自チーム以外、どこも配信アプリ案を出してこなかったのか。
或いはどのチームも琢磨チームが打ち出したMDフォームズ案に引き摺られ過ぎて、自社独自のアイデアに固執してしまったのだろうか。
(ちょっとこの会社、エンドユーザーの目線って部分が弱すぎるんとちゃうか……)
少し不安になってきた。
が、今は取り敢えず、社内コンペ優勝という結果を素直に味わおうとも思う。
いつまでも仏頂面では、一緒に頑張ってきた奈津美や葵、翔太に対しても失礼であろう。
「ほんなら今日は、ちょっと奮発してぱぁーっと行きますか」
源蔵の呼びかけに奈津美も葵も、そして翔太も満面の笑みで頷き返してきた。
今夜はきっと、長い夜になるだろう。