135.ブサメン、弟子入りを懇願される
翌日、午後。
翔太が真っ青な顔つきで進捗ミーティングの場に姿を現した。
「影坂さん……どうか、なさったんですか……?」
奈津美が恐る恐るといった様子で静かに問いかけると、翔太は突然会議卓に額を押し付け、平謝りの姿勢を取った。
「すんませんシタ! MDフォームズの件……駄目だったっス!」
曰く、翔太に協力してくれそうな同僚達は全員、首を縦に振らなかったらしい。
理由は単純だ。既に琢磨が相当に早い段階で、MDフォームズ開発者達の協力を片っ端から取り付けていたのである。
(……ま、そらそうなるやろな)
源蔵は驚きなど微塵にも抱いていなかった。
琢磨の嗅覚と政治力ならば、恐らくいの一番にMDフォームズ開発のコアとなっていた目ぼしい連中を早々に口説き落として、自陣営に引き込んでいる筈である。
後から今回の社内コンペに参加した翔太が如何に走り回ろうと、後の祭りだったに違いない。
それでも源蔵が翔太の頑張りに期待したのは、彼ならばもしかしたら、という若干の期待があったからだ。
しかし結局は翔太に、無駄足を踏ませる格好となった。この点については源蔵も、翔太に対して申し訳無いことをしたと自責の念を抱かざるを得ない。
「うぅ……何だか、ヤバい方向に話が進み始めてますね」
葵がその美貌を幾らか苦々しい色に歪めて、大きな胸を持ち上げる格好で腕を組んだ。
一方で奈津美も、愕然としたまま俯いている。このままでは、彼女が最も厭う状況が現実のものになりかねないと恐怖しているのだろう。
ところが――。
「あれ……櫛原さん……何だか、すっごいケロっとしてますね?」
今の今までどんよりと曇った表情を覗かせていた葵が、不思議そうな面持ちで源蔵の強面を覗き込んできた。その端正な顔立ちに僅かな希望の色を滲ませながら。
これに対して源蔵は、申し訳無いと素直に頭を下げた。
「いえ、実はですね……僕は最初からMDフォームズに頼るつもりはありませんでしたし、永橋さんが先に動いてはるやろなってことも何となく分かってましたから」
するとそれまでの平身低頭ぶりから復活した翔太が、驚きと期待を綯い交ぜにした視線を投げかけてきた。
源蔵は翔太に無駄足を踏ませてしまったことを詫びつつ、自身の腹の内にあるアイデアを改めて語ることにした。
「これは飽くまでも、僕の考えです。採用するかどうかは折山さんにお任せします」
「……是非、教えて下さい」
奈津美は藁にも縋る様な勢いで、椅子ごとにじり寄ってきた。
葵も大きくて柔らかな胸を会議卓上に押し出す様な格好で、物凄く前のめりな姿勢となっている。
源蔵は剃り上げた頭をぺたぺたと叩いてから、静かに語り始めた。
何故、MDフォームズでは駄目なのか。
そして先制攻撃を仕掛けていた琢磨を逆転する方法は、何なのか。
最初はただ茫然と源蔵の言葉に耳を傾けていた三人のチームメイトらも、その理路整然とした根拠を聞くにつれて次第にその表情が希望の色へと変じていった。
「な、成程……確かに……いわれてみれば……仰る通りですね……」
奈津美は何度も深い吐息を漏らした。恐らく彼女も、源蔵が語った内容には思い当たることすら無かったのかも知れない。
だが、納得はしてくれた様だ。というよりも、源蔵の言葉が全て正しいとまで思い込んでいる節がある。
「でも……だったらどうして、影坂さんがMDフォームズ案を出した時、何もいわなかったんですか?」
葵のこの疑問も尤もだ。
源蔵は素直に頭を下げながら、翔太が持つ可能性に賭けたことを白状した。
翔太は間違い無く、次代のエースになり得る人物である。
それ程の男が自ら奔走し、勝利を貪欲に目指そうと頑張っているのであれば、源蔵が抱いていたMDフォームズの欠点を全て覆してしまうのではないかという期待もあった。
ところが結局は、琢磨が全てを掻っ攫う格好で翔太の計画が頓挫してしまった。
であれば、最早ここで源蔵が温めていたシナリオに舵を切るしかない。
「あはは……やっぱり櫛原さん、普通に後方腕組おじさんじゃないですか」
「いや、んなこたぁないでしょう」
自分などが偉そうに事態を傍観することなど、出来る筈が無い。そこまでの器ではない。
少なくとも源蔵は、そう信じている。
しかし葵は、決して持論を曲げようとはしなかった。
「櫛原さんってやっぱり、物事を俯瞰して見えてますよね……でも技術者としても凄いから、ミクロの観点でも本当に細かい部分にまで目が届くし……どんだけ凄いひとなんですか」
微妙にうっとりとした表情の葵。
そんな彼女の視線にむず痒さを感じながら、源蔵は缶コーヒーをグイっと呷った。
ともあれ、先程までチーム内に漂っていた絶望感はすっかり払拭され、今はひたすら期待を胸にして突き進む前向きな空気だけがその場を支配する様になっていた。
源蔵が提示した策は、その実現性と市場データに裏打ちされた信憑性も相まって、三人のチームメイトに絶対に勝てるという自信を植え付けることに成功した様だ。
そして、勝負は残り二週間。
それまでに四人は企画仕様書を完成させ、発表会の場に臨まなければならない。進むべき道は明確となった訳だが、やることは山積みだ。
しかし奈津美、葵、翔太の三人ならばきっとやり切るだろう。これだけ自信と希望に満ち溢れた表情を見せているのだから、源蔵の見立てに間違いは無い筈だ。
「あ、あの、ところで櫛原さん、ひとつ、お願いがあるんスけど」
ここで翔太が妙に改まった態度で、真っ直ぐな視線を叩きつけてきた。
一体何事かと小首を傾げた源蔵に対し、翔太は深々と頭を下げてきた。
「その……オレを弟子にして下さい! オレ、櫛原さんみたいになりたいんス!」
「いや、何いうてはりますの」
流石にこれには源蔵も困惑を隠せなかった。
期待の若きエース候補が、自分なんぞに弟子入りなどして何になるのか。
ところが更にこの思わぬ申し入れは左右の美女ふたりにも連鎖した。
「あ……わ、わたしも是非、お願いします!」
「私も……櫛原さんの弟子になったら、一杯お金稼げて、推し活資金も潤うと思うので!」
奈津美と葵が立て続けに頭を下げてきた。
流石の源蔵も、この時ばかりは答えに窮してしまった。