131.ブサメン、心理戦を仕掛けられる
その日の夜、源蔵と奈津美のふたりは琢磨に誘われて軽く一杯飲もうということになった。
更には美彩も琢磨からの呼びかけに応じたことで、結局四人で会社近くの炉端焼き店へと足を運んだ。
琢磨がどういう思惑を持ってこの飲みの場を設けようとしたのか、源蔵にはその意図がよく分からない。が、彼はどうも奈津美に対して何らかの意図を抱いている様にも思えた。
その奈津美だが、同期である筈の琢磨に対しては妙によそよそしく、彼から話を振られても事務的な表情で反応するばかりである。
このふたりの間に過去、何かあったのか――ふとそんな疑問を抱いた源蔵だったが、それは飽くまでも当人同士の話であり、部外者である自分が口を挟んで良い問題ではない。
(ま、今日のところはライバル同士、お互いの顔見世ってなところかな)
ひとまず源蔵は、ダイナミックソフトウェアでの社歴が最も浅いという自らの立場を利用し、余りプライベートな話には突っ込まず、会社のこれまでの業績や琢磨、美彩、奈津美らが知る会社内のあれこれに耳を傾ける方向に話題を傾けた。
奈津美と美彩も源蔵の意を汲んでくれたのか、休日での過ごし方などには全く触れず、会社に古くから居るお歴々への感想や、最近の新人社員に対する感想などを口にする程度にとどめていた。
ところが琢磨だけは、少し違った。
彼は源蔵が都小路への出向中、次期当主選考レースで見事に麗羅を勝者へと導いた手腕を評価し、一体どの様なテクニックを駆使したのかと執拗な程に訊いてきた。
「はは……いやまぁ、運が良かっただけですよ。後は、そうですねぇ……やっぱりもともと、麗羅お嬢様が有能やったから勝てた……単純にそれだけですよ」
「いやいや、そんなご謙遜を……過去に聞いた話じゃ、その麗羅お嬢様は最下位に苦しんでたそうじゃないですか。そこから奇跡の逆転優勝なんて、ちょっと話がウマ過ぎるんじゃないですか?」
尚も食いついてくる琢磨に、源蔵はひたすら言葉を濁して謙遜に終始した。
ここで迂闊なことを口走って、こちらの手の内を知られる訳にはいかない。琢磨は、この飲みの席は飽くまでも懇親の場だと語っていたが、源蔵は端から信じていなかった。
そうして宴もたけなわとなり、そろそろお開きにしようかという空気が流れ始めたところで、源蔵はトイレへと立った。
然程飲んではいないが、琢磨の質問攻めには多少気疲れしている。
そろそろ自宅に戻り、美月との通話に時間を割きたいと思い始めていた。
ところがそこに、琢磨も席を立って同じ様に男子トイレへと顔を出した。この店の男子トイレは複数の便器が並んでいる為、自ずとふたり並んで用を足す格好となった。
「ところで櫛原さん……折山の奴、随分綺麗になりましたよね……一体どんなマジックを使って、彼女をあんなに完璧なオンナに仕立て上げたんですか?」
「いやいや、僕は何もしてませんよ。うちの同僚に美容に詳しいひとが居てまして、そのひとから色々教わったみたいですよ」
遂に本性を露わにしてきたか――源蔵は素知らぬ顔を装いながら、しかしその意識は戦闘モードに切り替わっている。
キックオフミーティング前後での奈津美の態度と、その彼女に絡む琢磨の言動から見て、何か仕掛けてくると事前に察知していた源蔵。
その読みはどうやら、当たっていた様である。
「あんなに綺麗になるんだったら、俺も早まったことしなけりゃ良かったなァ……」
妙にニヤついた顔で小さくかぶりを振る琢磨。
しかし源蔵は聞こえない振りで通した。ここで反応するのは、相手のペースに乗せられる様なものだ。
すると琢磨は若干の苛立ちを滲ませてから、更に言葉尾繋いだ。
「いや……実をいうとですね……俺、まだ若手の頃に奈津美と付き合ってた時期があったんですよ」
訊かれもしないのに、己の女性遍歴を語り出した琢磨。
つまり奈津美は、自分の息がかかっているオンナだということをアピールしたい訳か。
(成程……疑心暗鬼にさせてチームワークを乱すってな魂胆か。まぁ、作戦としてはアリやろうけど)
源蔵は内心で苦笑を漏らした。
余りに陳腐で、余りにありがちな作戦だ。しかし、相手が悪い。今、琢磨の目の前に居るのは女性との縁を一切諦めたブサメンなのだ。
ここで女性関係の話を持ち出して揺さぶろうにも、そもそも源蔵自身が女性への気持ちを封印している。そのことを琢磨は、何ひとつ分かっていない様子だった。
「で、実際のところ、どうなんです? 奈津美とはもう、ヤれました? あいつ喪女だし、誘われたら誰彼構わず股開きそうですけど、意外とガードが堅いところありますからねぇ」
下卑た笑いを浮かべて両肩を揺すっている琢磨。
如何にエース級社員といえども、結局はそういうところでしか女性を見ることが出来ないのかと、源蔵は少し情けなくなってきた。
「御冗談でしょ。僕のツラ、見て下さいよ。女性を抱ける顔ちゃうでしょ?」
源蔵は過剰な程におどけた様子で小さく肩を竦めながら、洗面台へと歩を移した。
(このひと、多分折山さんにも裏で何やら仕掛けとるやろな……)
琢磨は技術者というよりも、ただ結果だけを出せば良いと考えている政治屋的なところがある様だ。どちらかといえば謀略と人脈で結果を出すタイプだろう。
(上条さんを引き込んだのも、多分そういうことやろな)
恐らくだが、既に美彩も琢磨とは関係を持っているに違いない。それが彼女に良い出会いなのかどうかはさて置き、美彩自身が納得しているのであれば、源蔵が口を出す必要も無いだろう。
その後、店を出た四人はその場でお開きの挨拶を交わし、それぞれの帰路へと就いた。
ところが駅の改札に辿り着いたところで、何故か奈津美が幾分焦りの色を浮かべた表情で源蔵を追いかけてきた。
「折山さん、どないかしはったんですか?」
「あ、はい……えと、その……」
奈津美は恐らく、自分と琢磨の過去のことを源蔵が耳にしたと察しているのだろう。
勿論、その推測は正しい。事実源蔵は、帰り際の男子トイレで琢磨からあれこれ吹聴された。
「櫛原さん……もしかして……永橋くんとわたしのこと……聞いたり、しました?」
「あー、何かそんな感じの話、ちらっとしてはりましたね」
源蔵はすっとぼけた顔を見せながら、思い出した様な素振りで剃り上げた頭をぺたぺたと叩いた。
「けど、あんまりよぅ覚えてませんわ。僕から訊いたことなら一から百まで覚えてますけど、相手が勝手に語り出したことなんて基本、全然興味無いんで」
「あ……そう、なんですね……」
この時、奈津美は一瞬安堵した様子ではにかんだ笑みを浮かべた。
源蔵もそれ以上は何もいわず、改札を抜けて駅のホームへと足を急がせた。