13.バレてしまったエースの称号
決算を間近に控えた或る日、社内に大きなニュースが流れた。
白富士インテリジェンス株式会社の社長子息、白藤玲央がロサンゼルスに在る北米支社から帰国し、新たに統括経営室の室長として迎え入れられるという発表が為されたのである。
玲央は31歳という若さだが、その経営手腕は社長や専務に次ぐ実力者と囁かれており、彼が居れば白富士インテリジェンスはこの先30年は安泰だろうと誰もが太鼓判を押す重鎮中の重鎮であった。
だがその一方で、余り宜しくない噂も耳にしている。
どうやら彼は女癖が相当に悪いらしく、北米支社へ赴任したのも、社内の既婚女性社員との不倫関係が原因だったとされているのである。
真偽の程は定かではないが、その相手である女性社員が玲央の北米支社転属を切っ掛けに退職しているという点から見ても、かなり黒に近いグレーだったと見て良さそうだ。
(あぁ、あの件か……あれは中々インパクトあったなぁ)
当時すでに第二システム課の準エースとして頭角を現し始めていた源蔵も、玲央の噂は耳にしていた。その彼が再び日本の本社に復帰したということは、禊は済んだと考えて良いのだろうか。
(まぁ僕には関係無い話やから、別にエエんやけど……)
相手は社長の令息、しかもその立場は統括経営室長ときた。今後も全く接点は無い相手であろう。
そんなことを考えていた源蔵だったが、玲央が赴任してから数日後に、思わぬ展開が繰り広げられた。
総合開発部の部長が別の部署へと配置替えとなり、新たに玲央が兼任部長として総合開発部のトップに立ったというのである。
これには源蔵も、少しばかり驚いた。
そして玲央は兼任部長への着任早々に、部内の課長や係長、主任クラス全員を大会議室へと掻き集め、就任の挨拶と同時に各役職者との軽い面談を実施すると宣言したのである。
源蔵は第二システム課の係長であり、彼もまた玲央との面談が組まれることとなった。
(まぁ、上司にならはる方やし、一応御挨拶ぐらいはしとかな拙いかな……)
まさかいきなり、取って食われることは無いだろうなどと軽く考えていた源蔵。
そしていよいよ個別面談の順番が廻ってきたところで、源蔵は室長室へと足を運んだ。
「失礼します。第二システム課の係長、楠灘です」
「あぁ、どうぞ。お入りください」
源蔵が一礼して足を踏み入れると、玲央はわざわざ立ち上がって出迎えてくれた。
(うわぁ……こらぁびっくりする程のイケメンさんやがな)
丁寧にお辞儀しながらも、源蔵は内心で驚きを禁じ得なかった。
玲央は噂に聞いていた以上の美男子で、スマートなイケメンだった。これ程のオトコならば、そりゃ確かに色んな女性が引っかかるのも仕方が無いと納得してしまう程の素晴らしい容貌だった。
「お噂は聞いていますよ、楠灘さん。貴方は第二システム課のみならず、総合開発部全体に様々な恩恵をもたらしてくれている我が部のエースと呼ばれているそうで」
「勿体無い御言葉です。いつも周りの皆様に助けて頂いた結果、たまたまその様にお褒め頂く成果に繋がっているだけです」
源蔵は恐縮しながら頭を下げた。
対する玲央は、そう硬くならずにと柔和な笑みを浮かべながら、源蔵にソファーを勧めてくれた。
「今回の皆さんとの面談では、総合開発部の現状を役職者の方々からつぶさにヒアリングして、部の状況や問題の有無を把握することを目的としています。どうか忌憚の無い御意見をお願いします」
流石社長令息、そして北米支社で鍛えられてきただけのことはある。
彼は女癖の悪さで変なマイナスイメージを無駄に強調されているが、源蔵は仕事の面では非常に優秀で、頼りになりそうだという印象を抱いた。
「第二システム課は御存知の通り、當間課長のリーダーシップのもと、様々な課題をほぼ納期内にクリアし、大きな問題に直面しそうな時には課内のチーム横断的な連携で対処に当たっています」
源蔵は決して覆い隠す様な真似はせず、課内の状況を赤裸々に語った。
対する玲央も変な横槍を入れることは無く、真剣な面持ちで源蔵の言葉ひとつひとつにしっかりと聞き入ってくれた。
そうして面談はおよそ30分程に亘ったが、源蔵としては非常に良い時間を過ごすことが出来たという実感を抱いた。
「大変よく理解出来ました。流石、部のエースといわれるだけのことはある。実に分かり易く、的確な状況分析だったと思います」
「恐れ入ります。少しでもお役に立てましたなら幸いです」
やがて予定の時間となり、源蔵は立ち上がって一礼した後、部屋を辞そうとした。
ところがその去り際、玲央は何かを思い出した様な調子で源蔵を呼び止めた。
「そういえば楠灘さん……カフェを経営しておられるとお聞きしましたが、事実でしょうか?」
「あ、はぁ……一応会社からは了承を得た上で、オーナーという形で携わっております」
何故そんなことを訊くのかと内心で小首を捻った源蔵だが、嘘をつく訳にもいかないし、そもそも悪いことをしているつもりも無いから、正直に答えた。
すると玲央はそうですかと小さく頷いてから、今度は店舗名と所在地を訊いてきた。
「リロードと申します。場所は……」
玲央に答えながら、何ともいえぬ表情を返した源蔵。
一体そんなこと訊いて、何をしようというのであろう。
「あぁ、別に他意は無いですよ。ただ、どうやら一部の社員の間では大変好評だとお聞きしたものですから、是非一度お伺いしてみたいと思いまして」
曰く、玲央は社内の評判のみならず、カフェオーナーとしての噂もかねがね聞いていたから気になっていたのだという。
(うわぁ……何かヤバいことにならんかったらエエんやけど)
内心で薄ら寒いものを感じながら、源蔵は室長室を後にした。
玲央が一体、何を思ってわざわざリロードのことを訊いてきたのか。
本当に単なる好奇心なのか、或いは何か別の思惑があるのか。
源蔵の予想では、玲央は近々リロードに来店するだろう。その際に、くれぐれも粗相があってはならぬと変なところで気を廻さざるを得なくなってきた。
(神崎さんと冴愛ちゃんにも、前もって知らせとかんといかんよな)
変な冷や汗を流しながら、源蔵は自フロアへと引き返していった。