127.ブサメン、絶句する
翌週、月曜。
DS横浜サテライトのオフィスに出勤した源蔵は、幾分興奮した様子の葵と、何ともいえぬ表情で困惑の色を浮かべている奈津美の姿から、何かがあったと察した。
「あ、櫛原さん、おはようございます」
何かをいいたげな様子で、それでも朝の挨拶だけは欠かさない奈津美。
その奈津美に続く形で、葵が幾分前のめりな勢いでその美貌をぐいっと寄せてきた。
「櫛原さん、凄いことになりました!」
「……蔵橋さん、ちょっと落ち着きましょか」
苦笑を滲ませながら、ふたりをオフィスチェアーに座らせた。次いで源蔵も自身の椅子を引き寄せて、何があったのかと訊いた。
すると奈津美が、上から新たな指示が今朝届いたという意味の台詞を口にしたのだが、その内容が都小路電機絡みの件だった。
曰く、これから開発が始まる新型AI調理機器専用のレシピ転送アプリ開発打診が、ダイナミックソフトウェアに届いたというのである。
しかも話はそれだけにとどまらず、ダイナミックソフトウェアの執行役員らが社内コンペを開催し、優秀な企画案を二、三本程度用意して都小路電機に回答したい旨の意向を抱えているらしい。
「ははぁ、そうなんですか」
源蔵は素知らぬ風を装いつつ、内心で苦笑を滲ませていた。
麗羅は、何が何でも源蔵をこのプロジェクトに関わらせる腹積もりなのかも知れない。だがそれは、普通に考えれば到底無理な話だ。
如何に彼女のお気に入りだからといって、たかだか一社員が会社規模のプロジェクトにおいそれと首を突っ込める筈が無い。この辺りから思うに、麗羅には会社組織の何たるかという常識の部分が欠落している様にも思われる。
ところがここで、葵が源蔵の思惑を上回るひと言を放ってきた。
「で、その社内コンペ参加者は上からの指示で決められるそうなんですけど、そのうちのひとりに、折山さんが御指名頂いたそうなんです」
その説明に、源蔵は思わず腕を組んだ。
更に葵がいうところによれば、このコンペ参加者指名は本社の末永課長が一枚噛んでいるらしい。
(あ……まさか)
ここで源蔵は漸く、ピンときた。
都小路家への出向の際には、末永課長が都小路家側の担当者と詳細なやり取りをしていた筈だ。となると、麗羅からの意向も彼を通じて社内に送り込まれてくる可能性が高い。
(そうか……お嬢様、僕を引きずり出す為に、敢えて僕やなくて、折山さんを担ぎ出した訳か……?)
恐ろしく自意識過剰で自惚れた発想だということは重々承知ではあったが、しかし麗羅の性格を考えると、こういうことをやってくるのは否定出来ない。
自分のことであれば全く動く素振りすら見せない源蔵であっても、彼の仕事仲間の為であれば絶対に一肌脱ぐであろうと思われていた訳だ。
中々、源蔵の性格を上手く衝いている。
(こらぁ一本取られたってなところやな……)
源蔵としても、奈津美が成功の階段を上る為であれば自身の力を惜しみなく発揮しようと頑張る腹積もりだ。その意図をきっちり読まれていたことになる。
(流石……巨大財閥の次期当主ってなとこか……ひとを動かすのが、ホンマに上手い)
しかし、悪い気はしなかった。
麗羅はそこまで源蔵の力を買ってくれている訳なのだから、その期待に応えないのは失礼だろう。更に何より奈津美のキャリアアップにも繋がるのだから、一石二鳥だ。
だが問題は、奈津美自身にその意思があるかどうか。
彼女が社内コンペ参加の指名を辞退すれば、この話は無かったことになる。
「折山さんは、どの様にお考えですか?」
「わたし……是非やってみたいです」
予想外にも奈津美は、強い意志を湛えた瞳で源蔵の強面をじっと見つめ返してきた。
だがこれも或る意味、源蔵の期待通りでもあった。
過日のスーパー銭湯での一件で、彼女は少しばかり自信を持ってくれる様になったのだろう。その僅かに芽生えた意志の光が、今こうして実を結ぼうとしているのかも知れない。
であれば、源蔵としても悩む必要は無かった。
「折山さん、よう決心して下さいました。僕も微力ながら、是非ともお手伝いさせて頂きましょう」
「はい……宜しくお願いします!」
奈津美の表情が一気に明るくなった。
こんなにも華やかな表情が出来るのかと、源蔵の方が驚く程の煌びやかな笑顔だった。
だが、これで何もかもが上手く事が運ぶという訳ではない。
まずは社内コンペで勝ち残らなければ、お話にならないのである。
その為には源蔵も、持てる知識とスキルの全てを投入しなければならないだろう。
「でも、今回はちょっとライバルが手強いかもですね」
葵曰く、此度社内コンペ参加者に指名された企画立案担当社員はいずれも指折りの実力者揃いであり、このDS横浜サテライトからもエース級が参戦する運びとなっている。
勿論、奈津美とてそれらのライバルに負けないだけの実力はあると信じる源蔵だが、短期決戦では何が起こるか分からない。
ここは、腹を括って取り掛かる必要があるだろう。
「ほな、蔵橋さんと折山さんは先方からの要求仕様をひとつの圧縮ファイルに纏めて下さい。僕は機能要件、制御仕様の方に取り掛かります」
源蔵が軽く両掌を打ち合わせると、奈津美と葵は早速、自身のノートPCに張り付いて作業に着手した。
葵が名前を挙げた社内のライバル達は、いずれも手強い者ばかりだ。中には源蔵が本社に居た頃に、何度かやり取りしたことのある技術者も居る。
(あのひとらを出し抜くのは、ちょっとやそっとではいかんやろな……)
だからこそ、遣り甲斐がある。
そして彼らに打ち勝つことが出来れば、都小路電機に対しても胸を張れる程の企画案を突きつけることが出来るだろう。
社内企画コンペが開催されるのは、今から一カ月後。
それまでは当分、奈津美も葵も仕事の鬼と化さなければならない。
(折山さんには申し訳あらへんけど、影坂さんとのアレコレはちょっと先延ばしやな)
そんなことを思いながら、源蔵は自身のノートPCの起動完了を待っていた。
と、その時だった。
不意にスマートフォンから、メッセージ着信を知らせるメロディーが流れてきた。
送信者は、FBI極東担当だった。
(え……証人保護プログラム解除の意思確認……?)
その思わぬ見出しに、源蔵はつい言葉を失ってしまった。