123.ブサメン、軽くキレる
源蔵、奈津美、葵の三人から成るモジュール開発ユニットは、色々な意味でDS横浜サテライト内で注目を浴びていた。
(仕事しに来てんのか、遊びに来てんのかよう分からん雰囲気やな)
ソフトウェア構成仕様書の最終チェックを進めながら、源蔵は自席でぐるりとオフィス内を見渡した。
時折飛んでくる自チームへの視線は、幾つかの種類に分けることが出来る。
まず源蔵に対しては、悪意のある攻撃的な目は全く向けられていない様子だった。
都小路家で披露してきた源蔵の技術はダイナミックソフトウェア内の至る所で喧伝されており、どのエンジニアも彼に対して一目置いている。
彼らはいずれも、源蔵と正面から衝突するのは得策ではないと踏んでいるのが伺えた。
同じ様な視線は、葵にも向けられている。
源蔵程の凄腕と組んで評価担当を任されているのが、モデルと見紛う程の長身グラマラス美女で、しかもラノベ大好きなオタクという色々な方向にベクトルが取っ散らかっている葵。
彼女に対してはオフィスのあちこちで、食事や飲みの席に誘おうとする男性社員の声がひっきりなしにかかっている。
が、葵はほとんど応じる素振りを見せず、ひたすら我が道を行くマイペースぶりを発揮していた。
これだけ断りまくっていたら反感を買う可能性も少なくなかったが、断る際の理由が、
「あ、今日は好きなアニメがやってて、絶対リアタイしたいんですよ」
「録画しまくってる特撮を消化しないとダメなんで、今日は御遠慮します」
などとことごとく自身のオタク趣味であった為か、男性社員らは彼女にオトコが居る気配が無いと妙に安心している様子だった。
では女子社員はどうかというと、彼女らも実は葵に対しては好意的な見方をしているらしい。
葵は芸能人かと思わせる程の美貌と抜群のスタイルを誇りながら、オタクである事実を全方位に向けて包み隠さず開放している所為か、オトコにはまるで興味のない無害な存在という風に受け止められている様だ。
女子社員らからすれば、狙っているオトコを横取りされかねない強敵の登場だった筈であろう。
ところがいざ蓋を開けてみれば現実の異性にはまるで関心を示さない二次元大好き美女だった訳だから、安心すると同時に、変に敵に回して男性社員らから顰蹙を買うのは拙いという打算が働いていると見て良さそうだった。
(会社って、仕事するとこと違うたっけ……?)
源蔵は葵に対するオフィス内の反応が、仕事ではなく異性の交遊関係が軸になっている事実に苦笑を禁じ得なかった。
ここDS横浜サテライトは優秀な技術者が多いという話だったが、矢張り本当に優れているのはごく一部の社員だけだったというのは、間違い無いらしい。
その一方で、仕事は出来るが超地味なアラサーお局様の奈津美が同じチームに居るというのが、悪目立ちしている感が拭えなかった。
特に女子社員らからの受けが宜しくない。
オフィス内で三本の指に入るイケメン翔太が奈津美に対して心を砕いている態度を垣間見せているのも、彼女に敵意が向けられる一因となっていた。
先日も源蔵が廊下を歩いていた際、給湯室で一年目や二年目辺りの女子社員らが奈津美の悪口を囁き合っている姿を目撃した。
曰く、奈津美如きが翔太と気安く話しているのが信じられないし、あり得ない。
曰く、三十路のお局様が年下のイケメンに媚びを売っているのは見苦しい。
曰く、源蔵や葵と一緒に居ることで、自分も凄いオンナなんだと勘違いしているのに違いない。
(いやいや……折山さんってホンマに仕事出来るひとやからね)
源蔵は呆れると同時に、彼女らの卑屈な思考回路に嫌悪感を覚えた。自分達の出来の悪さを棚に上げて奈津美を攻撃するなど、彼にしてみればあり得ない話だった。
(そういやぁ、こないだもなぁ……)
数日前、或るモジュールで致命的なバグが検出された。
そのモジュールの詳細設計と評価を担当している若い女子社員らが、奈津美に責任を押し付けようとしたことがあった。
彼女らのいい分によれば、同期するモジュールを担当している奈津美がしっかり外部チェックをしなかったのが悪いだの何だのと勝手ないいがかりをつけてきたのである。
その主張に係長クラスの上役までもが同調しそうになっていた。
奈津美は小声で反論するばかりで、その理路整然とした言葉は相手の声の大きさに圧し潰されそうになっていた。
これには流石の源蔵も堪りかねて、奈津美に責任を押し付けようとした女子社員らと係長クラスの上役を一喝した。
「エエ加減にして貰えますか。そのいい分を通すんなら、それはつまり設計を担当した僕にも喧嘩売ってる訳ですよ。どっちの責任か、白黒はっきりさせましょか」
ところが、ここで怒りを滲ませたのは源蔵だけではなかった。
「オレもひと言、いわせて下さい。そのモジュールのバグの所為で、こっちまで余計な仕事増やされちゃいましたから」
翔太が源蔵の反撃に便乗する形で、奈津美に責任を擦り付けようとした女子社員らに怒りをぶつけた。
彼女らは自分達が悪いにも関わらず、まるで被害者然として俯いていたが、それでも源蔵と翔太は彼女らの肩を持った係長クラスの上役ともども徹底的に論破した。
結局この件は、いいがかりを吹っかけてきた女子社員二名が自責で対処することになったが、これがDS横浜サテライト内でのやり方なのかと、源蔵は何度も溜息を漏らした。
「あの子ら……ちょっと警戒した方が良いかもっスよ」
敵を撃退して少し落ち着いたところで、休憩スペースの一角で翔太が源蔵にそう忠告してきた。
「オレの知る限り、仕返ししないと気が済まないってタイプみたいっスからね。折山さんに何か嫌がらせとか、してくるかも知んないっス」
翔太のその言葉が、今も源蔵の脳裏にこびりついている。
そして現在。
チェックを終えたソフトウェア構成仕様書を奈津美の席に置いたところで、源蔵はふと眉間に皺を寄せた。
決して少なくない評価結果エビデンスが、山の様に積まれている。その表紙には、
「明日休むので、チェックお願いします」
などと可愛らしい文字で書かれた付箋が貼り付けられていたのだが、その納期が余りに短く、残業前提の仕事量だった。
しかも、そのチェック作業は本来、奈津美の担当範囲ではない。それでも彼女はきっと、何もいわずに引き受けてしまうだろう。
源蔵は、山積みの評価結果エビデンスを手に取って、これを押し付けてきたモジュール担当の席へと歩を向けた。
「あの、何か?」
素知らぬ風で笑顔を向けてくる女子社員に、源蔵も笑顔を返した。
「勝手に他チームの工数使うの、やめて貰えますかね?」
笑みは浮かべているものの、凄みを利かせた源蔵の強面に、その女子社員は一瞬で青ざめた。
翔太は警戒しろといっていたが、そんな軽い対応では済まされない。源蔵は、叩くべきところは徹底的に叩くべしと腹を括った。
「折山さんの工数管理は、僕がやってるんです。その僕に何の相談も無しに仕事振るって、どういうつもりなんですかね?」
その女子社員は、平身低頭の勢いで謝り倒した。
が、恐らく今後も同様のことが起きるだろう。
源蔵は何か対策を講じねばならぬと、内心で大きな溜息を漏らしていた。