120.ブサメン、橋渡し役となる
翌日になって、少しだけ変化が生じていた。
昼休みに源蔵がお手製弁当を自席で広げていると、その隣の空席に奈津美が幾分緊張した面持ちで腰を下ろして、源蔵の強面をちらちらと眺めてくる。
最初のうちはただ視線を送ってくるばかりの奈津美だったが、やがて意を決した様子で、地味ながらも整った顔立ちを向けてきた。
「あ、あの……お、お隣、御一緒しても、宜しいでしょうか?」
「はぁ、結構ですよ……っていうか、もう座ってはるやないですか」
源蔵が冗談交じりに相好を崩すと、奈津美は目に見えてほっとした様子で小さな吐息を漏らした。
そうして彼女も源蔵に倣って、可愛らしい弁当箱を広げ始める。
「あの、昨日ちらっとお聞きしたんですけど……櫛原さんは、その、御自分でそのお弁当を作られてるんですか?」
「えぇそうですよ。自分で栄養管理出来ますし、それに少しでも食費を安ぅ付けようと思いまして」
食費を浮かせる云々は嘘だが、栄養管理については事実だ。
源蔵は今でも、その引き締まった筋肉質の体型を維持する為に色々と頑張っている。筋トレやロードワークのみならず、食事に於ける栄養管理も楠灘だった頃から今までもずっと続けていた。
すると奈津美は、幾分はにかんだ笑みを浮かべながら、凄いですねと小さく頷き返してきた。
(ははぁ……これはアレやな。このひと、僕に料理を見て欲しいんやな)
何となく、そんな気がした。
昨日、翔太が源蔵の弁当を絶賛していたことから、きっと彼女も源蔵の料理技術に一目置いているのだろう。その上で源蔵から、自身の料理の技量についてコメントが欲しいという訳か。
「ちょっと、見せて貰って良いですか?」
「あ……はい! どうぞどうぞ」
ここで奈津美は、先程までとは少し違った明るい笑顔を浮かべた。ここまでの華やかな笑顔は、DS横浜サテライトに赴任してきてから初めて見たかも知れない。
そんなことを思いながら源蔵は、奈津美の弁当箱をそっと覗き込んだ。
「色合い、バランス、量……どれも申し分ないですねぇ」
「あ、ありがとうございます。櫛原さんに褒めて貰えると、何だか、自信が付きますね」
頭を掻きながら、恥ずかしそうに笑う奈津美。
ここで源蔵は、折角だからと幾つかのおかずの交換を申し出た。特別な理由は無い。ただ純粋に見た目だけでなく、奈津美の本当の腕を知りたいと思ったからだ。
「櫛原さんのお口に合うか分かりませんけど、わたしなんかの物で良かったら、是非」
そんな訳で、ふたりは二品ずつ、お互いの弁当のおかずを交換した。
(ほほぅ、これはこれは)
源蔵は奈津美お手製の玉子焼きと豚生姜焼きに舌鼓を打った。悪くない味付けだ。これならば、その辺に居る野郎連中の胃袋を十分に掴むことが出来るだろう。
ところが奈津美の方はというと、源蔵の弁当箱から抜き取ったきんぴらごぼうと白身魚の西京焼きに、何故か絶望的な顔を浮かべていた。
「う……お、美味し過ぎる……な、何なんですか、これ……」
恐らく、己の技量と源蔵の腕前が余りに違い過ぎて、変な衝撃を受けているのだろう。男子弁当だからと、少しばかり侮っていたのかも知れない。
だがこればかりは、どうしようもない。源蔵は調理師学校で基礎から料理を学び、調理師免許も取った腕前である。奈津美の技量では到底届かないレベルなのは、覆しようがなかった。
「ははは……まぁ今回はたまたま、折山さんのお口に合う品が揃っとったってだけの話でしょう」
「いえ、これって、そんなレベルじゃないです……ホントにもう、プロ級ですよ。櫛原さんって一体、何者なんですか?」
源蔵の強面を間近からじぃっと見つめてくる奈津美。
いつもなら男性相手に挙動不審な態度を示すことが多い彼女だが、今回は男相手の緊張感よりも、源蔵の料理技術への関心が勝ったのかも知れない。
と、そこへ翔太が結構な勢いで乱入してきた。
「えー、何なにー? もしかして今日も櫛原さんのお弁当、味見出来るってカンジですかー?」
「いやぁ、僕かて腹減りますんで、物々交換ですよ」
すると翔太はコンビニ弁当のプラスチック製の蓋を開けて、おひとつどうぞ、などと掲げてくる。もうすっかり、源蔵と奈津美から一品ずつ貰えるものだと思い込んでいる様子だった。
「え……え……い、良いんですか? その、わたしのお弁当、でも……」
「えー? くれないんですかー? オレめっちゃ気になってるんですけど?」
翔太の屈託の無い笑みに、奈津美はあわあわと目に見えて取り乱しているが、そんな彼女の困惑など知らぬとばかりに、源蔵は自分の弁当箱から蛸の揚げ物を抜き取って翔太の唐揚げと交換した。
「うわ、揚げ物同士の交換って……味変にもならないじゃないですか」
「文句いわんと、今日はそれで我慢しとって下さい」
翔太に切り返しながらも、源蔵は恥ずかしそうに俯いている奈津美にちらりと視線を流した。
折角おかず交換の流れが出来上がっているのだから、ここで背中を押してやらなければ、場が勿体無い。
「ほら折山さんも、何か交換しときましょうよ」
「あ、えっと、それなら、これ……」
奈津美が唐揚げと交換に差し出したのは、ジャガイモの煮物だった。もしかすると、肉じゃが風味で仕上げたものだろうか。
(あー、男子って結構、肉じゃがで釣れるって話やもんね)
などと馬鹿なことを考えながら翔太の反応をそれとなく観察していた源蔵。
対する翔太は、心底嬉しそうな笑みを浮かべて奈津美からのジャガイモを素直に受け取っていた。
「へぇ~……折山さんのこのジャガイモ、すっげぇ優しい味がしますね」
「あ、えっと、その……どうも」
すっかり小さくなってしまっている奈津美。だがこれで確実に、そしてほんの少しだけ、奈津美と翔太の間の距離は縮まった筈だ。
(まぁ後は、周りがどない見るかやけど……)
DS横浜サテライトのオフィス内でも女子人気トップクラスの翔太と、十年近いキャリアを持つ三十路のお局様の交流。当然ながら、やっかみのひとつやふたつは、飛んでくるだろう。
(職場恋愛に波乱は在って当然みたいな話やからな)
とはいえ、自分が橋渡し役になった以上、きっと巻き込まれるだろうなと変なところで心配の種が持ち上がってきてしまった源蔵。
この後の展開に若干の不安は残るが、自分の様な強面のブサメンにわざわざ難癖を付けに来る様な若手の女子社員など、そうそう居るものでもないだろう。
ここは一旦、気楽に構えることにした。