119.ブサメン、察する
DS横浜サテライトのオフィス内に漂っている雰囲気は、中々に独特で複雑怪奇だ。
社員全員が同じ方向に足並みを揃えている一方で、同じ技術レベルの者達は互いにライバル視して牽制し合っている。
そうかと思えば、定時後には皆で一緒に飲みに出かけて親睦を深めたりもしている。
或る時間ではかけがえのない仲間、或る局面では敵同士、そしてまた別のシーンでは気の置けない友人といった具合に、自分達の関係性を使い分けている様にも見える。
よくぞあれだけ器用に自分達の顔をその時々で変えられるものだと、源蔵は呆れるというよりも、本気で感心してしまっていた。
(あんな腹芸、僕にはちょっと無理やな)
昼休み、自分で作ってきた弁当箱を自席で広げながら、源蔵は内心で何度もかぶりを振っている。
ここは一種の伏魔殿の様なところだと自らにいい聞かせ、交流する相手は極力人数を絞ろうと考えた。でなければ、いつどこで、誰が敵と化すか分かったものではない。
そんな中で、奈津美だけは気を許して良い相手かも知れないと思い始めている。
彼女は年かさの女性社員らの間では、よく気が利いて仕事も出来る優秀な社員として概ね好評だった。男性社員にも敵は居ない様子で、大体誰もが奈津美とは穏やかに接している。
問題は、若手女子社員の方だろう。
彼女らは奈津美を敵視している訳ではないが、イイ歳してろくな成果も出せていないお局様、無用のロートルなどという目で見ている節がある。
(僕にいわせたら、あの子らの方がよっぽど使いモンにならんのやけどな……)
源蔵は奈津美を見下している若い女子エンジニア達の実力不足を、早くから見抜いていた。彼女らは一見すると見目麗しいエリート達なのだが、ところどころで肝心な基礎知識が欠落しており、事実として重大なバグを時折連発させている。
逆に奈津美が作成した仕様分析結果は毎回ほぼ完璧に近しい出来栄えを見せており、若いエンジニアらの手本にしても良いぐらいだった。
ただ彼女の場合、その地味さが災いして、上司受けが余り良くないだけの話である。
流石に源蔵の技術レベルと比べてしまうと天と地ほどの差があるが、奈津美と同年代の他のエンジニアと比較すれば、彼女は結構イイ線をいっている。
(ま……そういうとこも含めて、あの子らにはその辺が全然、見えとらんのやろなぁ)
結局のところ、DS横浜サテライトにエリートが多いといわれているのは、ごく一部の社員が恐ろしく優秀であり、他の凡庸な社員を大きくカバーして結果を出しているに過ぎない。
奈津美は、そのごく一部の優秀な社員のうちのひとりだといって良いだろう。
(勿体無いよなぁ……もっとアピールしたらエエのに)
だが、彼女は随分と控えめで大人しい女性だ。自分が出した成果を誇るということは、これまでほとんどしてこなかったのだろう。そしてこれからも、奈津美は陽の当たる場所には自ら足を向けようとはしないのかも知れない。
勿論、それが本人の意思だとするならば、源蔵としても無理強いする訳にはいかない。
だがもしも、奈津美本人にはやる気があって、ただその大人しい性格が災いしているだけだとすれば、これ程に惜しい話も無いだろう。
(一回その辺についても、本人の口から聞き出した方が良さそうやな)
しかしそれは、今ではない。
少なくとも源蔵はまだ、これまでのキャリアや成果について気軽に問いかけることが出来る程の信頼関係は築けていないと思っている。
もっと奈津美の中の心の壁を打ち崩さなければ、本音を聞き出すことなど出来ないだろう。
(追々やな……まずはゆっくり……)
そんなことを考えながら弁当をつついていると、不意に後ろから声がかかった。
「へぇ~……何だか美味しそうなお弁当ですね。奥さんに作って貰ったんですか?」
若くて張りのあるイケメンボイスだった。
振り向くと、そこにDS横浜サテライト内でも上位三傑に入るといわれている美男子、影坂翔太が覗き込む様な姿勢で佇んでいた。
翔太は二十代半ばの青年だが、その少ない社歴とは裏腹に、高いスキルを持つ有望株だ。
ひと当たりも良く、誰とでも親しく接することが出来るコミュニケーションの達人の様な人物だった。
そんな翔太に対し源蔵は、苦笑を滲ませながらかぶりを振った。
「いやぁ。生憎僕は、独身でしてね。この弁当も自作です」
「え……マジですか! 櫛原さんって実は、女子力めっちゃ高い系?」
翔太は心底感心した様子で、空いている隣の席に慌てて着席し、源蔵お手製の弁当を興味津々の眼差しでじぃっと覗き込んできた。
「うわー、マジでスゲーっす……オレ、料理の出来るひと、めっちゃ尊敬してるんですよね……」
「ははは……ひとつ、味見してみますか?」
源蔵が弁当箱を掲げて翔太の目の前に差し出すと、この若いイケメンは嬉しそうに笑顔を輝かせてフリットをひとつ摘まんで口の中に放り込んだ。
「うわ……サイコーじゃないですか! えー、マジかー……櫛原さんって仕事も出来る上に、料理もパねぇっすね……」
随分と感激した様子の翔太。
ひとに褒められるのは決して悪い気分ではなかった源蔵だが、この時、翔太の背中にひとつの視線が突き刺さっていることに気付いた。
奈津美だった。
彼女は驚きの中に、幾らかの羨望を綯い交ぜにした瞳をこちらに向けてきている。
その目線の大半は翔太に浴びせられていたが、同時に源蔵と、彼お手製の弁当にも興味の先を向けている様に思えた。
(あれ……もしかして折山さん、影坂さんのことが気になんの?)
奈津美の翔太を見る瞳の中に強い感情の揺れを察した源蔵。
翔太はDS横浜サテライト内でも特に若い女子連中からは人気のイケメンなのだが、奈津美も彼女らと同じ様に、翔太の魅力にヤられてしまったひとりなのだろうか。
「いやー! マァジで美味いっす、コレ! どっかにレシピ、アップしてないんですか?」
「上げてはいませんけど、御希望ならラインか何かで送りましょか?」
すると翔太は物凄い勢いで尻ポケットから自身のスマートフォンを取り出し、両手で拝む様な仕草でそっと源蔵の前に差し出してきた。
「アザっす! 宜しくお願いしまっす!」
その間も奈津美は、翔太の明るい笑顔に視線が釘付けとなっている。
きっと声をかけたくても、他の若くて綺麗な女子連中に気圧されて、満足に呼びかけることも出来ないのだろう。
(まぁこればっかりは、本人がどうにかするしかないやろな)
内心で苦笑を滲ませつつ、源蔵は翔太とID交換を終え、早速に今日の弁当のレシピを送ってやった。
翔太は奈津美のみならず、他の若くて美人な女子社員らの視線も一切無視して、ただひたすら、源蔵から貰ったレシピにひとりで小躍りしていた。