118.ブサメン、今度は激戦区に放り込まれる
麗羅が都小路家次期当主の座を勝ち取ってから、およそ二カ月が経過した。
あの日――その麗羅を庇って晴樹に左脇腹を刺された源蔵は、意識を失ったまま病院へと担ぎ込まれ、その日のうちに手術を受けた。
辛うじて命を取り留めた源蔵だったが、担当医からは一カ月の療養を命じられた。
その間、都小路家とダイナミックソフトウェアの双方からひっきりなしに見舞客が訪れ、その余りの数の多さに閉口した病院側が、わざわざVIP専用の個室を用意するという騒ぎにまで発展した。
(僕は普通に相部屋で良かったんやけどなぁ……)
高品質な設備が整っている個室へと移動させられた際、源蔵は何度同じことを思ったか分からない。が、病院側は他の入院患者の迷惑になるからといって、源蔵の希望を聞き入れようとはしなかった。
仕方なくVIP専用個室で一カ月を過ごすことになった源蔵だが、麗羅を始めとする見舞人らはこれで気兼ねなく足を運ぶことが出来ると考えたのか、それまで以上に足繁く源蔵のもとを訪れる様になった。
流石に病院側も、源蔵の回復具合を考慮して一日の見舞人数について制限をかけてくれたものの、それでも日々源蔵を訪れるひとびとの数は軽く二桁に達する有様だった。
中でも、麗羅の顔はほとんど毎日の様に見た。
彼女は、
「櫛原さん、必要なものがあったら何でもいってね」
「あのね櫛原さん……そのぅ……退院したら、また都小路に戻ってきてくれるのよね?」
「わたし、櫛原さんには一杯恩返しがしたいから、ずっと傍に居るね」
などと異口同音に毎日同じ様な台詞を繰り返していた。
ところが、そんな麗羅の希望はあっさりと打ち砕かれる破目となった。
ダイナミックソフトウェアが、源蔵の都小路家への出向契約を解除する手続きに踏み切ったのである。
どうやら末永課長が、次期当主の継承権争いでラヴィアンローズを勝利に導いた源蔵の手腕を高く評価し、その類稀なる才能は社内でこそ活かすべきだと強く主張した様だ。
その末永課長の言葉に経営陣も同意したらしく、あれよあれよという間に源蔵の出向契約解除の段取りが進んでいったのだという。
麗羅と時房翁は何とかして源蔵を都小路家に残したい意向を示していたが、証人保護プログラム適用の際にFBIと取り交わした約束の方が優先された。
即ち、FBIの監視下にある企業での就業が最優先という条項に従う必要があった訳だ。
その監視下に置かれている法人のひとつが、ダイナミックソフトウェアだったのである。
(まー、流石にこればっかりはしゃあない)
源蔵は尚も縋りつく麗羅を振り切る格好で、ダイナミックソフトウェアへの復社を決めた。
何とか食らいつこうとする構えを見せていた麗羅と時房翁も、最終的には諦めてくれた。
が、麗羅はそれでも源蔵との関係を断ちたくないと、切々と訴えかけてきた。
「だったら……プライベートで時々、会ってくれないかしら? 櫛原さんのお仕事の邪魔にならない様に、ちゃんとスケジュールとか合わせるから」
「あぁ、はい……まぁ、別にそれぐらいなら……」
そんな約束を麗羅と取り交わして、ダイナミックソフトウェアへと戻った源蔵。
担当医からは大人しく療養せよと命じられていた一カ月だったが、結局何だかんだで変に気ぜわしい毎日を送らざるを得なかった。
◆ ◇ ◆
そして、現在。
ラヴィアンローズの業績をV字回復へと導いた源蔵の手腕を活かすべく、ダイナミックソフトウェアの経営陣は、彼をDS横浜サテライトへと異動させた。
このDS横浜サテライトは経産省が推進する次世代モバイル端末設計構想に於いて、同業他社との間で熾烈な争いを繰り広げているという話だった。
ダイナミックソフトウェアの決して少なくない支店やサテライトの中でも、このDS横浜サテライトは特に多くのエリートが集まる最優秀部署といわれているのだが、そこへ都小路家での実績を引っ提げた源蔵が参戦する形になった訳である。
(何や……のんびり暮らそう思うてたのに、結局また白富士の時みたいなことになりそやなぁ……)
内心でぼやきながら、DS横浜サテライトの設計部門へと異動を果たした源蔵。
彼を出迎えたのは、それなりの経験とスキルを持つ若きエンジニア達であった。
「お噂はかねがね、お聞きしていますよ」
「相当な凄腕だそうですね……是非お手並み拝見とさせて下さい」
源蔵を迎え入れた若者達は、男女区別無くそんな台詞を次々と投げかけてきたのだが、その目は決して笑ってはいなかった。
寧ろ、強力なライバルならば全力で追い落としてやるといわんばかりの、ギラギラとした対抗心を剥き出しにしている。多くの者が、隙あらばトップに立とうとする野心に溢れている様に見えた。
(いやいやいや……僕はホンマに、出世とか手柄とか、そんなん全然興味ないのに……)
内心でやれやれとかぶりを振りながら、それでも新天地での仕事に就かざるを得なかった源蔵。
そんな激戦区に放り込まれてから、早くも一カ月が過ぎようとしていた。
「あ、折山さん、おはようございます」
「あ、ど、どうも……おはよう、ございます」
そろそろ新しい職場での雰囲気にも慣れ始めてきた源蔵だったが、彼とチームを組む仕様分析担当の折山奈津美は未だに源蔵に対して、妙にびくびくした態度を取り続けていた。
聞くところによると奈津美は三十路のお局様で、DS横浜サテライトには十年近く勤務しているベテランさんなのだそうだが、これまでの彼女の経歴はあまりぱっとしたものではなく、若きエリートが多く集まるこのサテライト内で、よくぞ今まで生き残ることが出来たものだと感心する者が少なくないのだという。
特にその地味な外見と雰囲気が、華やかな空気感を漂わせる多くの若手エンジニア達の間では相当に浮いていると囁かれている。
スキルや経験には確かなものがあるらしいのだが、微妙に人見知りでキョドった仕草や態度が、同僚や若手達から敬遠されている様だ。
その奈津美と源蔵が、今はふたり一組のチームとして稼働している。
周囲から何故か同情と憐れみの視線を浴びる毎日だったが、しかし源蔵としては、仕事さえきっちりやってくれればそれで良かった。
「今日は、先日打ち合わせたモジュールのテスト仕様案の作成から始めますね」
「あぁ、はい、そうですね……分かりました」
極力相手を怖がらせぬ様にと気を遣って笑みを浮かべたりする源蔵だったが、それでも奈津美の妙におどおどした態度は変化しない。
(このひとと、上手くやってけるやろか……)
源蔵は内心で酷く不安だったが、それでもチームを組んだ以上は前向きに頑張るしかない。
そのうち、奈津美の方も慣れてくるだろう――今は、そう信じるしか無かった。