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117.ブサメン、二度目の死線

 尚も呆然としたままの麗羅の肩を、源蔵は軽くぽんと叩いた。


「さぁお嬢様。皆さんに御挨拶を」


 会議室内は祝福の空気に包まれている。

 ほんの数瞬前、都小路家の継承権レースに終止符が打たれたのだ。

 勝者は麗羅――恐らく、誰も予想だにしなかった結末だっただろう。ラヴィアンローズは断トツの最下位だったし、清彦一家は万全の態勢で着々と業績を上げ続けていた。

 その潮目が変わったのは、源蔵が麗羅のもとにIT技術補佐として赴任してきた時だった。

 それ以降、ラヴィアンローズの業績は驚異的なV字回復を見せ、清彦一家の率いる各業者を一気に抜き去っていった。逆に遊玲玖や亜梨愛は墓穴を掘って脱落し、その煽りを受けて清彦と雅恵も継承権候補の立場を失ってしまった。

 麗羅は未だに自身の勝利を実感出来ていないのか、源蔵に促されるままに席を立ち、にこやかに握手を求めてくる財閥幹部連中の前へと進み出ても、未だ信じられないといった様子でぽかんとした表情のままだ。


「よくやった、麗羅。お前が次期当主だ。これでわしも、やっと引退出来るよ」


 多くの幹部連中の間から、時房翁が一歩進み出てきて麗羅の手を取った。

 ここで漸く、麗羅の表情に変化が生じた。その絶世の美貌は歓喜の涙に濡れ始めた。


「あ……ありがとう、ございます……御爺様……わたし……わたし……やりました……」


 今にも膝から崩れ落ちそうになるのを、時房翁や他の幹部連中が笑顔で支える。その様子を、清彦一家は苦虫を噛み潰した様な顔つきでじぃっと見つめていた。

 麗羅は低い嗚咽を漏らしながらも、多くのひとびとに感謝の言葉を並べてゆく。その美貌は泣き顔のままだったが、この世の何よりも美しく、誇らしい涙に思えた。

 ところがこの時、源蔵は不穏な空気を察して、別の一角に視線を走らせた。

 見ると、今にも退出しようとしている清彦一家の傍らで、晴樹が憤怒の表情のまま、何やら懐に手を突っ込んでいる。

 と思った次の瞬間には、彼は鋭利な刃物を手にして麗羅のもとへ突進しようとしていた。


(おいおい……何であんなもん、持ってんねん……ここのセキュリティはどないなっとんや)


 源蔵は内心で呆れながらも、晴樹が駆けてゆこうとする軌道上にその巨体を割り込ませた。

 周囲のひとびとも晴樹の凶行に気付いたらしく、そこかしこで悲鳴や怒号を鳴り響かせている。

 晴樹が手にしているのは、アンティーク物のナイフだった。彼のコレクションなのかどうかは、よく分からない。

 ここで源蔵は晴樹の手首を打って叩き落とそうかと考えたが、もし万が一晴樹の握力が勝った場合、そのまま麗羅の美しい体躯に凶刃が到達してしまう可能性がある。

 であれば、ここは自身の巨躯を間に割り込ませて壁を作り、麗羅を守るしかない。


「櫛原さん!」

「櫛原君!」


 麗羅と時房翁の悲鳴に近い叫びが鼓膜を鋭く打ったが、源蔵の意識は晴樹が握るアンティーク物のナイフその一点だけに集中していた。

 やがて、左の脇腹辺りに焼ける様な激痛が走った。

 晴樹が突き出した刃は源蔵の肉体に吸い込まれ、遂に麗羅を捉えることはなかった。


「てめぇ! 邪魔するな!」

「そういう訳にもいきませんのでね……失礼しますよ」


 直後、源蔵の肘打ちが晴樹の側頭部を襲った。

 晴樹はその一撃だけで昏倒し、周囲に居たひとびとに取り押さえられた。

 対する源蔵、脇腹から夥しい鮮血を垂れ流しながらも、その場に片膝をついて、自らその刃を抜き取った。


「やだ……やだ……櫛原さん!」


 麗羅が酷く取り乱して源蔵に縋りついてきた。

 それから一瞬遅れて、時房翁や何人かの幹部連中が介抱の為にと周囲に輪を作る。

 源蔵は大丈夫ですと手で制しながら、手早く脱ぎ去ったワイシャツを一塊にして出血箇所を押さえた。


「救急車じゃ! 早く! それから、警察も呼べ!」


 時房翁が珍しく取り乱した様子で叫ぶ。その間も麗羅は、先程までの歓喜から一転して、恐怖と絶望にまみれた必死の形相で出血箇所を押さえる源蔵の大きな掌に、自身の両手を添えていた。


「やだ……櫛原さん……お願い! 死なないで! お願いだから……!」

「ははは……大丈夫ですよ。まだ意識はありますから」


 源蔵の顔色は自分でもよく分かる程に一気に失われつつあるが、それでも彼は脂汗を流しながら、強面に笑みを浮かべた。


(僕は銃弾を喰らったこともあるんでね……これぐらいでいちいち、驚いたり出来ませんわ)


 内心で苦笑を漏らしつつ、それでもあとどの程度の出血で意識が失われるのかを予測し、尻ポケットからスマートフォンを取り出した。

 FBI極東支部の友人に、緊急事態発生の信号を送っておく必要がある。それさえ済ませておけば、後はどうなろうと構わない。


(美月のことだけは、何とか、頼みます……)


 楠灘源蔵としての唯一の肉親――例え血が繋がってはいなくとも、たったひとりの娘である美月のことだけは思い残すことの無い様にしておきたい。

 源蔵は薄れつつある視界の中で、信号発信完了のバナーを辛うじて目視し、そして安堵の笑みを浮かべた。


「担架じゃ! 早く、担架を持ってこい!」


 尚も時房翁の怒声が鳴り響く。

 そして麗羅は相変わらず、源蔵の汗まみれの面のすぐ近くにその美貌を寄せて、とめどなく涙を溢れさせていた。


「あ、すみません、お嬢様……肝心なこと、いうてませんでしたね」

「もう……もう良いから、櫛原さん……何も、何も喋らなくて良いから……!」


 麗羅の懇願する様な瞳に、しかし源蔵は、これだけは伝えておかなければならぬと腹の底に力を込めた。


「次期御当主確定、誠におめでとうございます。IT技術補佐として、心から、お祝い……申し……上げ……ます……」


 急激に力が抜けてきた。

 どうやら、出血のペースが思った以上に速かったらしい。

 ここで源蔵はぐらりと上体を傾け、その場に突っ伏してしまった。


「やだ! やだ! 櫛原さん! やだぁ!」


 麗羅の悲痛な叫びが、暗転する源蔵の意識の中で、いつまでも鳴り響いていた。

 それにしても、と源蔵は静かに苦笑を滲ませる。


(撃たれたり刺されたり……普通のサラリーマンでこんな経験、二回もするか、普通……)


 その直後、思考が停止した。

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