116.ブサメン、勝負に出る
それから二日後。
源蔵は麗羅の部屋を訪れ、臨時の業績報告会の開催を申し入れる様にと頼み込んだ。
その場で、継承権レースの決着まで持ってゆく――源蔵は大胆にも、亜梨愛への反撃をそのまま清彦一家への引導にしてしまおうと考えていた。
「え……そんなことが、出来るの……?」
薄手の部屋着姿で出迎えた麗羅は、疲れ切った表情に驚きの色を添えて目を丸くした。
「100パーセント完璧……とはいいませんけど、算段はあります」
ここでしくじっても、自分が都小路家を去れば良い。
時房翁からの折角の誘いをふいにすることになるが、こればかりは仕方が無い。それよりも今は、麗羅の立場と名誉を回復させ、同時に清彦一家を継承権レースから追い落とすことに全神経を集中させるべきだ。
これ以上、麗羅の心が消耗してしまう前に。
その為ならばと、源蔵はここで勝負に出るべきだと判断した。
「櫛原さん……絶対、無茶だけはしないでね。わたしのことは別に良いから……櫛原さんが傷つく様な真似だけは、本当にやめて欲しいの。それだけは、お願い」
この期に及んでも尚、麗羅は自分のことよりも源蔵の身を案じてくれる。
その心遣いだけで、十分だった。
(やっぱり、お嬢様が都小路のトップに立つべきやな)
仮に自分が時房翁の誘いを受けて都小路家に入ることになっても、それは当主としてではなく、現場を預かる指揮官として、だ。まかり間違っても自分は、財閥の頭になる様な器ではない。
それに比べて麗羅は、その美貌とカリスマ性だけで数万に及ぶ全グループ社員の代表に相応しい。
彼女が頂点に立ってこそ、都小路は更なる栄華へと達することが出来る。
源蔵はその強面に穏やかな笑みを浮かべて、大丈夫ですと頷き返した。
「僕が用意周到なやり方しか好まんのは、お嬢様もよう御存知やと思います。どうか、ご安心下さい」
それだけいい残して、源蔵は麗羅の質を辞した。
◆ ◇ ◆
そして、翌日。
都小路本邸内の会議室には時房翁や清彦一家に加え、都小路財閥の幹部連中、更には今回の問題の発端となった舘林欧州輸入から晴樹をも呼びつけて、関係する全ての顔ぶれを揃えさせることが出来た。
「ではまず、晴樹君に伺おう。君が麗羅に、インサイダーに直結する情報を語ったことは事実かね?」
「えぇ、はい……誠に遺憾ながら、私も本当にうっかりしていて、こんなことになるとは思っても見ませんでしたが、麗羅さんには舘林欧州輸入の重要な機密情報を、プライベートな席で語ってしまいました」
時房翁に問われた晴樹は、心底申し訳無さそうな顔つきを見せながら、しかしどこか狡猾な響きを含む声音で朗々と答えた。
これに対して麗羅は、そんな話は一切出なかったと応じたものの、
「いったいわないの話は、この場では無意味でしょう。私が話したと証言しているのに、これ以上の有力な証拠は御座いますか?」
この時、一瞬だけ晴樹は亜梨愛と視線を交わした様にも思えたが、源蔵は能面の様に表情を消したまま何もいわない。
一方の麗羅は、
「わたしは本当に、何も聞いておりません。晴樹さんとはラヴィアンローズの現状についてお話しただけで、舘林欧州輸入に関連することは一切話題に上がりませんでした」
と、ひたすら否定するのみ。
これに対して亜梨愛は、勝ち誇った笑みを浮かべてそっと立ち上がった。
「麗羅の言葉よりも、結果の方が重要じゃない? アンタが株式を売り払ったのは事実じゃないの」
「それも、わたしじゃないわ。わたしのところの株式管理ソフトで売ったことになってるけど、わたしはそんな指示、出してないもの」
麗羅の表情は、相変わらず苦しげだった。彼女が株式売却の指示を出していないのは事実だが、株式管理ソフトに売却コマンドが入力された履歴が在る以上、この場に居る者は麗羅の言葉が虚偽だと考えるだろう。
しかし、茶番はもう十分だった。
「ではそろそろ、ひとつずつ反証して参りましょうか」
ここで源蔵がのっそりと立ち上がり、自身のスマートフォンを会議室備え付けのスピーカーに有線接続してから、ひとつのアプリを起動した。
「実はここに、麗羅お嬢様と舘林春樹さんのディナーデート時の会話録音が全て、入っております」
その瞬間、晴樹はまさかと驚きの表情を浮かべながら、愕然と立ち上がった。
「そんな、馬鹿な……あの時、麗羅は録音端末を持ち出す素振りなんて、何もしてなかったぞ!」
「そらぁそうでしょうね。僕が遠隔で操作してましたから」
源蔵は何食わぬ顔でしれっと答えた。
麗羅に頼んで、彼女のスマートフォンにインストールして貰っていたのは、遠隔操作可能な収音マイク機能での録音アプリだった。
源蔵は清彦一家の悪辣な手口に対抗する為、そして麗羅の身を守る為、彼女自身の了承を得た上でこのアプリを開発していたのである。
「当局の正当な捜査やないから刑事事件の証拠には使えませんけど、これをどっかの週刊誌に流したら、舘林欧州輸入の幹部がインサイダー冤罪を仕掛けたってことで、特ダネ扱いになるでしょうね」
それは即ち、晴樹の社会的な死を意味する。
彼は、源蔵が淡々と語る言葉を受けてすっかり顔色を失い、その場でがくがくと震え始めた。同時に亜梨愛は先程までの勝ち誇った笑みが消え失せ、不安そうに清彦や雅恵と顔を見合わせている。
しかし、切り札はもう一枚ある。源蔵は尚も言葉を繋いだ。
「あぁそれから株式管理ソフトですが、これは外部から不正にアクセスされてまして、舘林欧州輸入の株式が勝手に売却されてましたね。その不正アクセス元ですが、アクセスログから遡りまして、コニーポート業務室からだったことが分かっております」
いいながら源蔵は、会議室備え付けのプロジェクタにログ一式を表示させた。
この時亜梨愛は、信じられないものを見たといわんばかりの驚愕の色を浮かべて、その場に立ち尽くしてしまっていた。
「先程の録音と違って、このアクセスログは立派な物証となり得ます。そんな訳で亜梨愛お嬢様は、後日当局から金融商品取引法違反で逮捕される可能性があるでしょうね」
「そんな……ど、どうしてアンタに、そんなことが出来るのよ!」
亜梨愛は今、この段に至っても源蔵が無能な評価担当に過ぎないと思い込んでいる様だった。
しかし源蔵は亜梨愛など相手にせず、時房翁にのみ視線を向けている。
時房翁は大きな溜息を漏らしてから、清彦一家に渋面を据えた。
「亜梨愛は当然として、清彦……お前も、そして雅恵さんも継承権候補から外す。子供ふたりが揃いも揃って法律違反を犯すなど、以ての外だ。自分達の子供すら満足に教育出来ん者が、どうして都小路のトップに立つことが出来る?」
この時、清彦と雅恵はがっくりと肩を落として俯いていた。
一方の亜梨愛は、口をぱくぱくとさせて何かをいおうとしていたが、まるで言葉になっていない。
そして、この瞬間――麗羅の、都小路家次期当主の座が確定した。
麗羅は呆然と、源蔵の強面を見上げている。
まさか、こんなにも一気呵成の勝負で継承権レースに終止符が打たれるなどとは、思っても見なかったのだろう。しかし源蔵は、この結末は既に想定していた。
(流石に犯罪者をふたりも出した家からは、大財閥の後継者なんて選ばれる訳もないわな)
結局、自業自得だ。
源蔵はただただ吃驚したまま両目を瞬かせている麗羅の隣で、静かに苦笑を滲ませていた。