113.ブサメン、心配になる
源蔵が麗羅の元婚約者、舘林春樹と直接顔を合わせたのは、その翌日になってからだった。
いつもの様にラヴィアンローズ専用厨房で人数分の昼食を調理し終えたところで、侍女の眞子が幾分慌てた様子で調理器具を洗っている源蔵のもとへと駆け込んできた。
「く、櫛原様……たたたた大変です!」
「どないしはったんですか?」
手を拭いながら呑気に振り向いた源蔵。
対する眞子は、今にも死にそうな顔つきである。
「その……昨日いっていた舘林様が、またお嬢様のところへやってこられたんです!」
源蔵は、そうですかと曖昧に頷き返した。
実は昨晩、源蔵は時房翁に呼ばれて彼の書斎に足を運んでいたのだが、その際に晴樹のこともそれとなく聞いてみた。
館林家は都小路家の遠縁に当たる血筋で、都小路財閥程の規模は無いものの、それなりに大きな企業グループのトップに君臨する家系らしい。
麗羅と晴樹は幼稚園の頃からの幼馴染みで、裕福な家庭の子女ばかりが集まる私立の一貫校で長い年月を共に過ごしてきた様だ。
高校の時には実際に男女の仲となっており、ふたりが婚約者としての絆を結んだのもその頃だったという。
ところが大学に進学したところで麗羅の両親が不慮の事故で他界した。
ここから麗羅は都小路家の継承者になるべく、清彦一家との争いに意識を向ける様になったのだが、その辺りから彼女と晴樹との間ですれ違いが生じる様になったと思われる。
そして晴樹が亜梨愛にいい寄られたのは、大学卒業間際のことだった――と、時房翁は渋い表情でかぶりを振った。
それ以降、晴樹と亜梨愛が急速に距離を縮めていった一方で、麗羅は孤立し、段々表情を失っていったのだという。
それから間もなくして晴樹は正式に麗羅との婚約を解消し、亜梨愛と付き合い始めたということの様だ。
そこまでは、よくある男女間の拗れだろう。
問題は、その後だ。
晴樹は一度は亜梨愛との交際をスタートさせたものの、余りに自由奔放で自己中な亜梨愛にほとほと手を焼いたらしく、麗羅の気を遣い過ぎる程に他者を思い遣る穏やかで優しい性格の値打ちに気付いた様だ。
結局晴樹は亜梨愛とも別れたが、かといって麗羅とヨリを戻すことも出来ず、まるで逃げる様にして舘林家が海外で展開する事業グループの最大拠点へと赴任したらしい。
恐らく、少し時間を置いて麗羅の気持ちが落ち着くのを待った上で、その間に自分自身も男を磨き、麗羅に相応しい相手となれる様に努力を重ねていたのだろう。
実際、先日帰国した晴樹はまだ二十代の若さでありながら、部長級の役職を得て戻ってきた。
余程に努力し、多くの知見を得られる様にと頑張ってきたのだろう。
(自分を省みて、麗羅お嬢様の伴侶となるに相応しい男になる為に努力するってことは、人間性は決して悪くないってことやな)
眞子と肩を並べてラヴィアンローズの業務室へと引き返す最中も、源蔵は時房翁から聞かされた晴樹の人間像を頭の中に描きながら、今後の関係の持って行き方についてあれこれ考えていた。
「是枝さんも、びっくりしてました……舘林様は、以前は相当にプライドが高くてひとに頭を下げる様な御方じゃなかったらしいんですけど、昨日はお嬢様の前で両膝をついて、申し訳無かったっていって、ほとんど土下座に近いぐらいに頭をお下げになられてたそうです」
成程――源蔵は内心で軽く頷いた。
晴樹はそれ程までに麗羅を傷つけたことを悔やみ、そしてもう一度彼女と再スタートを切りたいと考えているのだろう。
(まぁ……悪い話やないわな)
聞けば晴樹は、麗羅とはお似合いカップルといわれた程のイケメンだそうだ。彼女のとびきりな美貌の隣に立って絵になるのは、間違い無く晴樹だろう。
彼女の傍らに居ることが出来るのは少なくとも、自分ではない。
麗羅は過日、源蔵の総合力を高く評価し、ずっと手元に置いておきたいなどと語っていたが、晴樹が名実ともに本物の伴侶として戻ってきたならば、最早自分などが割り込む隙は無いだろう。
(要は、落ち着くところに落ち着いたってだけの話やな)
勿論全く残念な気分が無い訳ではない。
操然り、美彩然り――自分と少しでも距離が縮まろうとした女性とは、最終的には再び溝が出来てしまう。麗羅もその例に漏れなかった。
期待した訳ではなかったが、矢張り自分は女性とは縁が無いのだなと改めて認識すると、矢張り多少は気が滅入って来る部分がある。
だがそれは、もう仕方の無い話であろう。源蔵自身が女性との間に壁を作る性格になってしまっているのだから、その様な運命に至ることを受け入れるべきである。
(ラヴィアンローズのことは、僕が引き継ぐ……麗羅お嬢様には、ひとりの女性として幸せになって貰いましょうかねぇ)
自分の中で踏ん切りをつけたところで、源蔵と眞子はラヴィアンローズの業務室に到着した。
そして室内へと足を踏み入れると、応接ソファーに麗羅と、そして見知らぬイケメンの姿があった。
「あ、櫛原さん……」
この時どういう訳か、麗羅は随分と困惑した面持ちで腰を浮かせた。
一方、イケメンの方は自信満々の様子でスマートに立ち上がった。
「貴方が、櫛原さんですね……オレは舘林春樹といいます」
麗羅が何かをいうよりも先に、晴樹が歩を寄せてきて源蔵に握手を求めてきた。源蔵は内心で驚きを滲ませながらも、失礼にならない程度の気遣いを見せてこれに応じた。
「麗羅や是枝さんから聞いてます。櫛原さん……貴方が麗羅を助けて下さってたんですね」
晴樹曰く、彼は麗羅が両親を失う前の明るい笑顔を見せる様になっていたことに、随分と驚いていたのだという。
「貴方には、御礼をいわなきゃね……麗羅の笑顔を取り戻してくれて、ありがとう」
「ははは……そんな大袈裟な。僕は自分の仕事をしとっただけですよ」
源蔵は剃り上げた頭をぺたぺたと叩いた。
ところがこの時、晴樹は不意に麗羅の傍らへと位置を変えて、彼女の肩を抱いてぐっと引き寄せた。
「本当に、助かりました。ここから先は、オレが麗羅をしっかり支えていきますので、櫛原さんはもっと肩の力を抜いて頂いて大丈夫ですよ」
「え……ちょっと、晴樹、やめてよ」
麗羅は困惑した様子で晴樹を押し退けたが、しかし晴樹の笑みには揺ぎ無い自信が垣間見られる。
彼女を裏切った筈の男だが、それでも麗羅は自分を愛しているに違いないという想いが、彼の中にあるのだろうか。
(……何や、変な温度差あるなぁ)
麗羅の幾分嫌悪感を漂わせる表情と、自分が絶対に勝つという確固たる自信を抱く晴樹。
余りにもふたりの態度が真逆過ぎて、源蔵は少し心配になってきた。