108.ブサメン、年季の違いを見せつける
都小路邸、その居住棟内の一角。
源蔵は目の前で繰り広げられようとしていた蛮行に、心底呆れ返ってしまった。
ベッドの上に、ひと組の男女の姿。
一方はシャツの胸元をはだけさせた遊玲玖で、そしてもう一方は、ほとんど裸に近しい姿の麗羅だった。
更にその周辺には屈強な体躯の若い男が三人。いずれもそれなりに鍛えられている様子で、顔つきもどこか狂暴だった。
「櫛原さん……!」
衣服を剥ぎ取られ、黒いランジェリー姿となっていた麗羅は、涙目で訴えかける様な視線を送ってきている。今まさに、これから遊玲玖と濡れ場を展開しようとしていたものと思われるが、彼女のその表情から見るに、恐らく同意のもとではなかったのだろう。
この少し前、源蔵は是枝執事から恐るべき報告を耳にした。
麗羅が、遊玲玖に拉致されたというのである。
曰く、遊玲玖は彼女を無理矢理手籠めにして肉体関係を結ぶことで、精神的な優位に立とうとしているものと思われるという話だった。
余りに短絡的で、余りに稚拙な話だ。そもそもこの法治国家たる日本で不同意性交は立派な犯罪に当たる。
にも関わらず、遊玲玖は強硬手段に出た。つまり、それ程までに追い詰められているという訳だろう。
しかしだからといって、源蔵はこの状況を安易に見過ごすことは出来なかった。
「遊玲玖お坊ちゃん。この様な行為が、日本では許されないことは御存知ですよね?」
「はっ、そんなことはどうでも良いんだよ。御爺様の力で、何とでも揉み消せるからな!」
遊玲玖は勝ち誇った様子で、相手を馬鹿にする様な嘲笑を浮かべている。
そしていつの間にか、遊玲玖の部下と思しき屈強な男三人が、源蔵を取り囲んでいた。
源蔵はやれやれと小さくかぶりを振ってから、剃り上げた頭を軽く叩いた。
「麗羅お嬢様、念の為にお伺いしますが、遊玲玖お坊ちゃんとは同意の上でしょうか?」
「違う……わたし、遊玲玖となんか寝たくない!」
麗羅が叫んだその瞬間、源蔵は腹を括った。
同時に、三人の男達が小さく身構えた。いずれも、空手を嗜んでいるものと思われる。
「では麗羅お嬢様、僕に権利代行の許可をお願いします。お嬢様からひと言頂ければ、僕はこの連中を始末することが出来ますんで」
「はぁ? お前、馬鹿じゃないのか? たったひとりで、何が出来るっていうんだよ」
男のひとりが、耳障りな哄笑を撒き散らした。
しかし源蔵は周囲の男共の反応など一切無視して、麗羅の今にも泣き出さんとしている美貌にのみ視線を送り続けた。
そして、麗羅は小さく頷き返してきた。
「認めます……櫛原さん、わたしを、助けて」
「承知致しました」
それから、ものの十数秒後。
今の今まで余裕の笑みを浮かべて麗羅の艶めかしい裸体に覆い被さって遊玲玖は、愕然たる表情でその場に固まってしまっていた。
源蔵の足元には、先程まで凄んでいた男三人が、呻き声を漏らしながら蹲っている。
「呆れたもんですな……たかだか初段程度を三人集めたところで、僕をどうにか出来ると思うたんですか」
源蔵の格闘技歴は既に十年を超えている。
対して、目の前の男達はいずれも若い。精々、二十歳前後か。源蔵はこの三人の構えと所作から、空手の経験年数は二年か三年程度と踏んだ。
つまり、やっと有段者になったばかりの連中だ。
高校卒業時には既に三段に達していた源蔵から見れば、赤子の手を捻る様なものであった。
源蔵は足元に倒れている男共を無視して、ベッドに近づいた。
遊玲玖は情けない悲鳴を喉の奥から漏らしながら、慌てて跳び退った。
「お嬢様、お怪我はありませんか?」
「うん……大丈夫……」
尚もその美貌を青ざめさせている麗羅だったが、しかしその面には安堵の色が浮かんでいた。源蔵は己のワイシャツを脱ぎ、それを上着代わりにして麗羅の上半身にかけてやった。
「今回のことは、御当主様に報告させて頂きます」
いいながら源蔵は、スラックスの尻ポケットからスマートフォンを取り出した。実はこの室内に足を踏み入れる直前に、録音アプリを起動していたのである。
遊玲玖の蛮行は、彼自身の声で証明された格好となっていた。
「け、警察に突き出そうとしたって、む、無駄だからな……」
「えぇ、勿論そんなことは致しません。しかしながら御当主様から見れば、麗羅様も大事なお孫さんです。法的な罰は無くとも、都小路家内の処分は下されるでしょうな」
源蔵の言葉に、遊玲玖は麗羅以上に青ざめた顔でその場に凝り固まってしまった。
恐らく、時房翁が下すであろう処断は下手をすれば日本の司法よりも重いケースがあるのかも知れない。
だが、源蔵にとってはどうでも良い話であった。
「では麗羅お嬢様、失礼致します」
ひと言断りを入れてから、源蔵はお姫様抱っこの要領で、麗羅の豊満で色気の塊の様な肢体を軽々と持ち上げた。
麗羅は一瞬びっくりした様な顔で源蔵の強面を見上げてきたが、すぐにその表情は親に抱かれた幼子の様に素直で、安心し切った色に変じた。
微妙に頬を赤らめているのは、格好が格好だけに、単に恥ずかしいだけなのだろう。
ともあれ、源蔵は主たる麗羅の救出に成功した。
後の処置は時房翁に全て任せることになるだろうが、今は兎に角、麗羅を安全な場所まで移動させて、そこで侍女の眞子による介抱を受けさせるべきだろう。
「あの……櫛原、さん……」
廊下を行く途中、源蔵の太い腕の中でしなだれかかってきている麗羅が、妙に濡れた声音でそっと呼び掛けてきた。
「その……ありがと……」
「お気になさらず。お嬢様を助けるのが、僕の義務です」
仕事であろうとプライベートであろうと、麗羅が窮地に陥っているのであれば、いつでも助ける。
これまで数々の苦難に遭ってきた彼女だ、せめて自分ひとりぐらいはどんな時でも手を差し伸べてやらなければならない。
少なくとも源蔵は、そう考えていた。