104.ブサメン、無能者で貫く
源蔵が麗羅のIT技術補佐に就任してから、二週間が経過した。
時房翁の支配下にある都小路の大邸宅内では目立った変化は無かったものの、清彦一家と麗羅が凌ぎを削り合う業務棟内では、空気感ががらりと変わりつつあった。
「ねぇ櫛原さん……最近、遊玲玖や亜梨愛のところで大きな騒ぎがあったみたいなんだけど……あなた、何か聞いてない?」
「さぁ、僕は麗羅お嬢様の業務室から出ないんで、よく分からないです」
不思議そうな面持ちで小首を傾げている麗羅。
実はここのところ、遊玲玖と亜梨愛が采配を振るう輸入雑貨業者で大きな問題が起きているのだが、源蔵は敢えて知らないふりを通した。
というのも、あの兄妹に激烈な打撃を食らわせたのが、源蔵本人だったからだ。
(要らんこというて、変に警戒されるのは拙いからな……)
源蔵は今も尚、技術力の低い評価担当出身者として麗羅の下に就いている。それがまさか、あらゆるソフトウェアとネットワーク技術、更にはデータサイエンティストの技量まで身につけているとなれば、一気に警戒されてしまう。
麗羅の下に就いている間は己の実力など欠片にも匂わせてはならぬと、源蔵はひたすら無能者であり続ける芝居に徹していた。
◆ ◇ ◆
実は麗羅のIT技術補佐に着任した直後、源蔵はラヴィアンローズの管理データとサーバーを全てチェックしてみたのだが、その余りに貧弱で杜撰な管理に思わず唖然としてしまった。
(何やこれは……セキュリティもクソもあったもんやないな)
サーバー上に置かれていたラヴィアンローズの全てのデータは、外部からでも簡単に閲覧可能な状態となっており、しかも誰もが自由に書き換え可能な権限のまま放置されていたのである。
これでは遊玲玖や亜梨愛配下のIT技術補佐らに好き放題データを覗き見された挙句、ラヴィアンローズの業務に必要なデータが改竄されまくってもおかしくない。
麗羅が過去に、自身のアイデアがことごとく遊玲玖や亜梨愛に盗まれたと零していたのは、蓋を開けてみればサーバーがこんな状態だったからだ。
(まぁ……今まで麗羅お嬢様の下に就いてたIT技術補佐がまだ若手の評価担当経験者ばっかりやっていうてたからなぁ……)
同じ評価担当でも、十年程の経験を積めば或る程度のOS知識、ソフトウェア知識は身についてくる。しかしこれまで麗羅の下に就いていたのは、せいぜい二年目か三年目までの若手ばかりだったという。
流石にその程度のスキルでは、サーバーのセキュリティや権限管理などは出来ない。
遊玲玖や亜梨愛によって、やりたい放題にラヴィアンローズのサーバーが荒らされまくるのを、誰も止めることが出来なかったのは無理からぬ話であろう。
だが、今は源蔵が麗羅の下に就いている。
ここから先は、ラヴィアンローズが反撃に廻るターンだ。
そこでまず源蔵は、従来と見た目が全く同じフォルダ構成とファイルを残し、ラヴィアンローズの本来のデータは全て隠匿した。
そして見せかけだけ従来のままに残したフォルダやファイルには、悪質なウィルスが仕込まれている海外サイトに直接アクセスするリンクを貼り直した。
つまり、遊玲玖と亜梨愛の部下達が今まで通りの感覚でそれらのフォルダやファイルにアクセスすれば、その瞬間に壊滅的な超攻撃的ウィルスが彼らのサーバー内に侵入するという寸法だ。
(ま……今まで散々、麗羅お嬢様のアイデアを盗んだり何やかんや悪辣な真似してきたんや。こんなもん、可愛いもんやで)
恐らく、遊玲玖と亜梨愛が扱うサーバー内データはほとんど完璧に破壊され、あの兄妹の輸入業者が本来の業務に復帰するまでには一カ月程度の時間を要することになるだろう。
それ程に源蔵が仕掛けた罠は強力で無慈悲だった。
そして一カ月もあれば、源蔵のデータサイエンティストとしてのスキルを駆使して、ラヴィアンローズがその販路を大きく拡大して逆転の土台を作ることも出来るだろう。
(ビッグデータも、ついでにあのご兄妹から全部抜かせて貰たからな……今まで散々やられてた分、逆にこっちが利用させて貰うで。悪く思わんといてな)
源蔵は、一切容赦するつもりは無かった。
麗羅を徹底的に助けると腹を括った以上、清彦一家を完全に叩き潰す腹積もりだった。
◆ ◇ ◆
遊玲玖と亜梨愛が苛立った顔を見せる様になったのは、あのふたりのIT技術補佐らが源蔵の仕掛けたウィルスの罠に引っかかったタイミングと前後している。
それらの情報は麗羅の耳には直接入ってはいない様だが、源蔵は業務棟内の全サーバーにハッキングをかけ、あの兄妹の輸入業者の現状を完璧に把握していた。
「お嬢様……何やら遊玲玖様と亜梨愛様のお仕事が、大変なことになっている様ですが……」
今度は是枝執事までもが、微妙に嬉しそうな顔つきで源蔵と麗羅の居る業務室に足を運んできた。
源蔵は尚も素知らぬ顔つきで、ラヴィアンローズの業務に必要なデータを次々と処理し続けているが、その傍らに侍女の眞子がぴたりと張り付いていた。
「櫛原様……何だか、物凄い速さですね」
「ん? そうですか?」
源蔵は内心、拙いと冷や汗をかく気分だった。いつもの癖で、ついつい超高速タッチタイピング技術を発揮してしまっていたのである。
その様子に、麗羅も興味津々の様子でデスク越しに覗き込んできていた。
「櫛原さんって、本当に、ただの評価担当、なのよね?」
「えぇ、そうですよ。僕はデータの取り纏めぐらいしか能の無い男ですから……」
乾いた笑いを漏らしながら、何とか必死に誤魔化した源蔵。
この芝居がどこまで通用しているのかは、よく分からない。
麗羅も眞子も、微妙に疑わしげな視線を投げかけてきているが、源蔵は気付かぬ素振りで通すことにした。
それにしても、と源蔵はデスクトップの画面に視線を戻しながら密かに苦笑を滲ませた。
(あちらのご兄妹の下に就いてるIT技術補佐も、そんな大した技術力は無いやろな)
大体どこの会社も、優れた技術者を富豪のお遊びに付き合わせる為に出向させる様な真似はしない。ソフトウェア開発業務に於いては、人材は何より大事な宝だ。
その重要なリソースを割いてまで都小路内部の権力争いに加担するなど、狂気の沙汰だろう。
それ故、清彦一家の下に就いているIT技術補佐のスキルレベルも大体察しが付く。
当然ながら麗羅のこれまでのIT技術補佐らも、似た様な意味合いでレベルの低い評価担当者が割り当てられていたのだろう。
だが、源蔵は違う。
彼は表向きは無能な人間だ。それもこれも、FBIによる証人保護プログラムで身分を隠す為だ。
しかしその実態は、ひとりでシステムを組み上げる程度のことは出来てしまう上級エンジニアなのである。清彦一家の下に就いているIT技術補佐らでは当然ながら、太刀打ち出来る筈もない。
それ故に、源蔵は徹底して無能であることを貫き通す必要があった。
(バレたら速攻で追い出されるやろな……せめて麗羅お嬢様が継承権を勝ち取るまでは、何とか隠し通さんと……)
今後も、何かと冷や汗をかく事態が続くかも知れない。
己の技術を駆使して清彦一家を一網打尽にすることよりも、麗羅の前で無能なブサメンで居続けることの方が遥かに難しい様に思えてならなかった。