102.ブサメン、眩暈を感じる
その後、源蔵は麗羅の執事を務める是枝藤一郎から都小路邸内の一部、即ち麗羅の居住する離れと業務棟についての案内を受けた。
是枝執事は御年71歳で、麗羅の祖父で都小路財閥の現当主である都小路時房の若かりし頃から執事として都小路家に入っていた人物らしい。
次いで麗羅の父のもとで十数年程度の期間を仕え、そして現在は麗羅専属の執事として彼女を補佐しているのだという。
是枝執事は幼少の頃から麗羅を見てきている為、どうやら彼女に対しては相当な愛着を抱いている様だ。それ故、麗羅を排除しようとする叔父夫妻には並々ならぬ対抗心を抱いている模様。
「こちらが、本日から櫛原様にお使い頂く離れとなっております」
最後に、麗羅の居住棟のすぐ隣にある小さな一棟に案内されて、源蔵は思わず仰天してしまった。
(え……僕もここに住むの?)
そんな話は全然、聞いていなかった。事前に分かっていれば、色々と入用な物を準備してきたのだが。
しかし、同行していた麗羅専属侍女の八奈見眞子がさも当然とばかりに、源蔵の居住棟について細々と説明を進めてゆく。もしかすると、知らなかったのは源蔵だけだったのかも知れない。
(末永課長も、ひと言ぐらい事前にいうててくれたら良かったのに……)
尚もぶつぶつと内心でぼやきながら、源蔵は是枝執事と眞子のふたりに伴われて、都小路の本邸へと歩を進めていった。
麗羅の新しいIT技術補佐が着任したということで、その挨拶に向かうことになった様だ。
途中で、主人たる麗羅が合流してきた。彼女は先程のカジュアルな室内着とは異なり、若干グレードアップしたフォーマルな衣服に身を包んでいた。
そして源蔵が連れて行かれたのは、本邸内の応接室と思しき豪奢な一室だった。
そこに幾つかの顔ぶれが揃っている。
幅広の応接テーブルを前にして、中央の大きなソファーに腰かけているのが都小路財閥の現当主、時房翁であろう。
老齢ながら射抜く様な鋭い眼光を静かに湛えたその双眸は、数多くの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の兵士を思わせる凄みを漂わせていた。
そしてその時房翁の左右に顔を揃えているのが、妾腹の子でありながら事実上、当主継承権レースのトップに立っている都小路清彦と、その家族達であった。
「新任の技術補佐担当を連れて参りました」
麗羅からの紹介を受けて、源蔵は失礼にならぬ様にと言葉を慎重に選びながら簡単な自己紹介を済ませた。
その間、時房翁は黙然と源蔵の頭を反り上げた強面をじっと凝視するばかりだったが、何故か清彦とその家族達はにやにやと馬鹿にした様な笑みを零している。
不細工な凡庸中年が絶世の美女ともいうべき麗羅の下に就いたのが、そんなに可笑しいのだろうか。
(まぁ分からんでもないけど)
確かに麗羅の美貌は、これまで源蔵が出会ってきた多くの女性達と比較しても、その美しさは群を抜いているといって良い。
それだけに源蔵の不細工ぶりが更に悪目立ちするのは仕方の無いところだろうが、しかしそんなに嬉しそうに笑う程のことなのだろうか。その辺がよく分からない。
ともあれ、源蔵は挨拶と今後の業務予定についての説明を終えて、この場での責任は果たした。特に失礼となる様な台詞も口走っていない筈だ。そこは管理職までをも経験した処世術が活きた格好だった。
「成程……今まで麗羅の下に就いてきた連中よりかは、ちょっとはマシかも知れないな」
ここで清彦が、源蔵の巨躯を上から下まで嘗める様に見まわしてから、小さくフンと鼻を鳴らした。
「いつまで持つか、見ものだね。櫛原さん、君はこれまで麗羅が雇ってきたIT技術補佐担当が短期ですぐに辞めてったって話、聞いてるかい?」
今度は清彦の長男である都小路遊玲玖が嘲笑を滲ませて訊いてきた。
源蔵は内心、
(めっちゃキラキラネームやな……遊玲玖って、あんた……)
などと全然関係ないことを考えていたのだが、しかし遊玲玖がいう様に、麗羅の過去のIT技術補佐達が次々と短期間で辞めていったというのは、気になるところではあった。
「はい、簡単には伺っております。詳細についてはまだお聞きしておりませんが」
「ふぅん……ま、歴代の補佐連中みたいに、途中で尻尾巻いて逃げることが無い様、精々頑張ったらイイんじゃない?」
今度は遊玲玖の妹で、清彦の長女である都小路亜梨愛が可笑しくて堪らないといった調子でくすくすと笑いながら、そんな台詞を投げかけてきた。
亜梨愛は可愛らしい顔立ちの娘ではあるが、その陰険な表情がどうにもその魅力を大きく引き下げてしまっている様に思えてならない。
折角大財閥の一員に生まれたのだから、表情の作り方などをもっと勉強したら良いのに、などと本当にどうでも良いところにばかり目が付いてしまった源蔵。
(何か、微妙に残念なひとばっかりやな……)
如何に時房翁の血を引いているからといって、皆が皆、大富豪の威厳を具えている訳ではないということだろうか。
源蔵が見たところ、この応接室に顔を揃えた中で都小路家の血筋として相応しい立ち居振る舞いを見せているのは、時房翁と麗羅のふたりだけであった。
「麗羅の下に就く以上は、櫛原さんも私達のライバルということになるわね……お互い、頑張りましょう」
最後に清彦の妻で、遊玲玖と亜梨愛の母である都小路雅恵が強気な顔で宣戦布告を放ってきた。
如何にも、これから権力争いが始まりますよといわんばかりの妙に芝居がかった態度に、源蔵は腹の底で辟易していた。
(いやいや……僕ただのサラリーマンなんですけど)
正直、勘弁して欲しいと内心でぼやきながらも、一応はそれなりの礼を尽くして対処した源蔵。
まるで悪役令嬢ものの現代版に放り込まれた様な錯覚に、思わず眩暈を感じてしまった。